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大公妃候補だけど、堅実に行こうと思います  作者: 瀬尾優梨
書籍版続編

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令嬢、ままならない

 あ、まずい、と気付いたテレーゼが顔を上げた先には、予想通りの人物が。幸運なのは、相手が複数でなかったことくらいか。


 沈みゆく夕日を背に立っているのは、女官服姿のコーデリア。軽く両足を開いてテレーゼの前に立ちはだかるその姿は威厳はもちろん、威圧感に満ちている。が、表情は相変わらず不機嫌丸出しで、いい予感がしない。


(……ひとまず、礼儀正しく、好意的に挨拶を――)


 テレーゼは持っていたメモ帳をさっとメイベルに渡し、スカートの裾を摘んでお辞儀をした。


「……お仕事お疲れ様です、コーデリア様」

「何をしに騎士団詰め所に行っていたのですか」


 コーデリアは口調こそ丁寧を心がけているようだが、声は震えている。

 間違いなく――怒っている。なぜなのかは分からないが。


(今は休憩時間だし、騎士団に行くななんてことも言われていないし、私用だから私服で行っているし――)


 数秒呼吸を置く間に己の行動が女官として違反していないことを確認し、テレーゼは再びお辞儀をした。


「騎士の友人がおりまして、少々立ち話をしておりました。ジェイド・コリックといって、大公妃候補時代に護衛騎士になってくれた人で――」


 とたん、ひくっとコーデリアの頬が引きつったのが分かった。

 テレーゼとしてはジェイドとの関係性を明白にするために背景も述べたのだが――なぜかは分からずますますコーデリアの不機嫌に拍車を掛けてしまったようで、いよいよ胸がばくばく鳴り始めてきた。


(ど、どうしよう……これ以上しゃべれば、もっと酷くなりそう……でも、えっと……)


 テレーゼがもだもだし、メイベルが隣であわあわしているうちに、コーデリアはますますむかむかしてきてしまったようだ。

 彼女は大股一歩でテレーゼとの距離を詰めると、右手の人差し指を立てて真っ直ぐテレーゼの胸に突きつけてきた。


「……あなたは、自分がそんじょそこらの女官見習とは違うということを、まだ自覚していないようですね。他の者であればまあ、騎士団に男漁りしに行くにしても休憩時間なら目を瞑っていたでしょうが、あなたの相手をするとはその騎士も程度が知れるものです」

「誤解です! 男漁りじゃないです!」


 さすがに黙っていられず、テレーゼは語気強く言い返した。

 迂闊な行動をしたことでテレーゼが叱られるのはまだ分かる。だが、ジェイドまで悪し様に言われるのは我慢ならなかった。


 初めてテレーゼが反論したからか、コーデリアは一瞬怯んだように息を呑んだ。だがすぐに彼女は唇の端を曲げ、忌ましそうにテレーゼを睨んできた。


「……誤解だろうと何だろうと、わたくしの目にはそう映ったのだから仕方ありません。それに……あなたの軽率な行動でリィナ様の品位を落とすことにもなりかねないのだと、まだ分からないのですか?」

「えっ?」


 そこまでは、思い至らなかった。


(私のせいで……リィナが? でも、リィナも大公閣下も、私の行動に何かおっしゃることはないのに……)


 テレーゼの気迫が薄れたのを察したらしく、コーデリアは指を突きつけた格好のまま、眉間に深い縦皺を刻んでテレーゼに顔を近づけてきた。


「リィナ様は平民出身で、しかも養子先は――なぜこのようなことになったのか甚だ疑問ですが、貧乏で有名なリトハルト侯爵家。リィナ様の足下を掬おうとする輩はいくらでもいます。そして皆は、リィナ様があなたを信頼していることも知っている。であれば――大公閣下の愛情と庇護に包まれるリィナ様より、迂闊で馬鹿なあなたを蹴落とすことでリィナ様の足場を崩す方が楽だと、そう思うのが常識ではなくて?」


 リィナを失脚させるために、テレーゼを狙う。

 その可能性を、まったく考えていなかったわけではない。

 そして――大公の婚約者としてリィナの名を公表して久しいが、一般市民はともかく、公城の全ての人間がリィナを手放しで歓迎しているわけではないことも分かっていた。


(分かっていたのに――)


 テレーゼは唇を引き結んで俯き、足下の砂利を睨むように見つめた。

 今鉢合わせたのが先輩女官だったからよかったものの、リィナを疎ましく思う者であればテレーゼの行動を見とがめ、あらぬ噂を流すことだって考えられる。


『リィナはそなたを信用しているようだが、心配もしている。それだけは忘れるな』


 食事会の後、厳しい口調で告げた大公の顔が脳裏を過ぎる。リィナを溺愛する大公は、暗にテレーゼにも注意を促していたのではないか。

 彼はテレーゼの立場や思考をよく理解してくれているので、バサーに行くのをやめろ、使用人と仲良くするな、と行動に制限を掛けることはしない。ただ、「よく考えて行動しろ」と言いたかったのだろう。


(私は……)


「テレーゼ様」


 そっとメイベルに声を掛けられて顔を上げると、いつの間にか目の前からコーデリアの姿が消えていた。そういえばさっき俯いたとき、それまで胸に突きつけられていた指が見当たらなかったことを思い出す。


「……メイベル、コーデリア様はどちらに?」

「ちょっと前にあちらの方へ」


 どうやらメイベルは一部始終を見ていながら、テレーゼの気持ちが落ち着くまでと声を掛けずに待ってくれていたようだ。


 テレーゼは小声でメイベルに礼を言い、示された方に向かう。

 コーデリアに、辞去の挨拶ができていない。正論を言われてショックを受けようと今はコーデリアの顔を見たくないと思おうと、それでは先輩に対する態度がなっていないことになる。


(コーデリア様のおっしゃったことはもっともだわ。気付かせてくださったお礼を言って、お見送りをして――)


 歩きながらも、心臓を雑巾絞りされているかのように胸が痛いし、かつて生煮えの肉を食べて悶絶したときのように胃もきりきり痛む。


 それでも背筋を真っ直ぐ伸ばして建物の角を曲がったテレーゼが見たのは――


「ありがとう、コーデリア。とてもきれいな花だから、部屋に飾っておきたくて」

「いいえ。わたくしでよろしければ、いつでもお呼びくださいませ」


 テレーゼの前方、秋の花で彩られた渡り廊下を歩いていく女性たちの姿。

 あの後ろ姿は、コーデリアに間違いない。ブルネットのポニーテールがふわふわとご機嫌そうに揺れている。ちらっと見えた限り、彼女は庭園に咲いている花を数本手にしていた。


 そしてその隣。

 侍女や騎士を伴って歩いているのは――


(リィナ……)


 光沢のある青いドレスを着た妹だった。先ほどの会話からして、庭園に咲いている花をコーデリアが切ってあげたのだろう。

 テレーゼが俯いていた時間はほんのわずかだったと思うのだが、その間にコーデリアは通りがかったリィナを見つけ、彼女が庭園の花を欲していると知って駆けつけたのではないか。侍女や騎士ならともかく、女官なら鞄の中に鋏などを持っていてもおかしくない。


 リィナたちは建物の陰に呆然と立ちつくすテレーゼの存在に気付くことなく、廊下を曲がっていってしまった。


 だが、コーデリアはテレーゼに気付いたようだ。


 彼女はポニーテールを翻してこちらを見ると、一つ瞬きした。

 そして――にやりと、勝利に満ちた者の笑みを浮かべ、リィナの後を追いかけていったのだった。

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