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大公妃候補だけど、堅実に行こうと思います  作者: 瀬尾優梨
書籍版続編

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令嬢、羽を伸ばす

 初の実地訓練の翌日は給料日で、数日後にはテレーゼはリズベスたちと同時に休みを取ることができた。


 ……取ることが、できたのだったが。


「……うう、辛い」

「辛すぎる」

「頭からキノコ生えそう」

「しかも毒キノコね」

「食べたらお腹を下すやつね」

「まあまあ。私たちも頑張ったんだし、今日くらいは羽を伸ばしましょうよ」


 ね? と仲間の一人に励まされ、皆はしょぼしょぼと頷いた。

 今、テレーゼたちは城下町のカフェに繰り出し、テーブル席二つを占領してランチを食べていた。

 先日の初の実地訓練の結果はおしなべて酷かったようで、一見すれば優しそうな先輩女官とペアを組めた仲間も、「すごかった……二人きりになったとたん、豹変した……」と、絵本の挿絵で見たことのある異国のキツネのような顔になって呟いていた。


 話を聞くと、どうやら中には開始三十分ほどで先輩の暴言に耐えきれず泣かされた仲間もいるようで、

「コーデリア様にこう言われちゃって~」と話題にしようと思っていたテレーゼは閉口することにした。


(うーん……話を聞いていると、コーデリア様とペアを組んだ私はまだましな方だったんじゃないかとさえ思われてくるわね)


 そのため、今は比較的元気なもう一人の仲間と一緒に皆を励ます役を請け負っていた。

 テレーゼは隣の席の仲間の背中をポンポンと叩き、その手にフォークを握らせてやった。


「ほら、おいしいものを食べて、英気を養おう。明日からまた、訓練が始まるよ」

「うん……頑張る」

「ご飯……おいしそう……」


 入店直後はほとんどの仲間が撃沈していたのだが、それぞれが注文したぴりっと辛いパスタやあつあつのステーキ、とろりと蜂蜜が滴るパンケーキやナイフを入れるとパイ生地がさくっと音を立てるキッシュなどを食べていくうちに、少しずつ表情が和やかになっていった。

 おいしいものは人の心を癒すようである。


「っあー、おいしかった!」

「ほんとほんと。来てよかったわ!」


 おいしいものをたくさん食べて店の外に出ると、先ほどより視界がずっとクリアになったようにさえ思われた。ランチを食べたので体重は増えたはずだが、足取りさえ軽くなったように感じられる。

 食事の力は偉大である。いずれ、全ての領民が毎日満ち足りた食事を取れるようになればと思う。


(まだ時間はあるし、ちょっと市場を見ながら帰ろうかなぁ)


 テレーゼが大きく伸びをして秋めく大通りを見渡す、その傍らでは。


「あれって、騎士団よね?」

「深緑の制服……きっとそうね」

「近衛騎士って素敵よねぇ。たくましいし礼儀正しいし、優しくしてくれるし」

「分かる分かる。うっとりしちゃう」


 仲間たちがきゃっきゃとはしゃいだ声を上げていた。どうやら市場巡回の騎士たちが通りかかったようだ。

 見習仲間たちは階級に多少の差はあれど、全員貴族の娘。だがドレスも制服も着ていない普段着の彼女らは、町を歩く市民階級の少女たちと何ら違いはなく、凛々しい騎士たちにすっかり心を奪われているようだ。


 騎士、と聞いてテレーゼはつま先立ちになり、騎乗して大通りを進む騎士たちを遠目に眺める。


(もしかして、この中にいたり――あっ、みっけ!)


 いればちょっとおしゃべりしたいな、と思っていた矢先、テレーゼのすみれ色の双眸は、茶色の髪の青年の姿を捉えた。


「ジェイド! おつとめお疲れ様!」


 そう言いながら声を掛けると、数名の騎士が振り返った。その中にはもちろん、テレーゼが名を呼んだその人もいる。わざわざテレーゼのいる場所まで馬を進めてくれたのは、騎乗していてますます長身と体格の良さが際立っているような騎士。


 彼はテレーゼの前で馬を止め、馬上からほんわかとした笑みを向けてきた。


「これは……テレーゼ様。今日は休日でしょうか?」

「ええ、見習仲間とお出かけしているの。ジェイドは市街地調査? あの、呼び止めて大丈夫だった?」

「そんなところですが、ちょうど終わったところなので大丈夫ですよ」


 そう答える彼の名は、ジェイド・コリック。今年の春、大公妃候補として公城に参上したテレーゼの護衛となってくれた近衛騎士だ。騎士らしくしっかりした体と精悍な容貌を持つ彼だが、人当たりはよくて、頼りになる。


 彼は、他の令嬢のようにお茶を嗜んだりお花を愛でたりせず、厨房や馬屋、練兵場や裏庭などあちこちを探検したがったテレーゼに辛抱強く付き合い、困ったときには手を貸し、窮地に陥ったときには助けてくれた。そんなお兄ちゃん気質に溢れるジェイドに、テレーゼはすっかり懐いていた。

 今は女官見習と騎士ということで一応対等な立場に立っているはずなのだが、相変わらず敬語で接してくるのが生真面目な彼らしいと思う。


 ジェイドは微笑んだ後、肩から掛けていた上着を軽く払いのけ、馬の手綱を引いた。


「いつも笑顔で頑張っているのは、本当にあなたらしいですね。しかし、無理は禁物です。今日のように、休日はゆっくり体を休め羽を伸ばして、勉学や訓練に挑んでください。……では、報告に参りますので、私はこれで」

「うん。ジェイドもお仕事頑張ってね!」


 テレーゼの言葉にジェイドは片手を挙げて応えると馬の向きを変え、道の端で待っていた同僚のもとに向かっていった。そのがっしりした後ろ姿はとても頼りがいがあり、同僚たちとなにやら和気藹々と話している彼の背中を見ていると、なんだかテレーゼまで嬉しくなってくる。


(そう……だね。休めるときにはしっかり休む! お母様のメソッド集にも、『よく食べてよく寝れば、大概のことは乗り越えられる』ってあったものね!)


 晴れやかな気持ちになりながら振り返ったテレーゼは――カフェの前で待ってくれていた仲間たちのえも言えぬ視線を浴び、ぎくっと口元を引きつらせた。


(……あっ、知り合いだからっていきなり騎士様を呼び止めたりしたから、驚かせてしまったかしら……)


 彼女らにはテレーゼがかつて大公妃候補だったことも、その時に護衛騎士がいたことも教えている。だがそれが誰なのかまでは言っていなかったので、傍目から見ると騎士の職務妨害をした小娘に思われても仕方ないだろう。


「あの、皆。今の人は――」

「テレーゼの恋人?」

「ううん、違う」


 反射的に即答すると、とたん七人はあからさまにほっとしたような顔になった。


「なーんだ……私たちに隠れてジェイド・コリック様とお付き合いしているのだと思っていたわ」

「そんなまさか……って、ジェイドのこと知ってるの?」

「そりゃあ、半年前の大公妃選定時、バルバの手先に捕らわれたお姫様を華麗に救出した騎士様なんだもの。有名に決まってるじゃない」

「……お姫様って?」

「それはあなたです」

「へー」


 どうやら半年前の事件がきっかけでジェイドは一躍有名になっていたようだ。


(なるほどなるほど。それは確かに有名になってもおかしくないわね!)


 兄代わりのようなジェイドが人気者になると、やはりテレーゼも嬉しい。

 一人にまにま笑っていたテレーゼは……ふと、仲間たちが「ジェイド様も格好いいけど、あの人も素敵」「あの人も優しい」とあれこれ話に花を咲かせている中、一人難しい顔で黙っているリズベスに気付いた。


「どうしたの、リズベス?」

「え?」

「難しい顔をしてるわ。……も、もしやさっき食べたキッシュのパイ生地の破片が、喉の裏に貼り付いていて不快だとか――!?」

「う、ううん。そうじゃないの。ただ――」


 そうしてリズベスは顔を上げる。彼女の視線の先にいるのは、市街地調査を行っているらしい騎士たち。ジェイドは既に引き上げているようだが、数名の騎士たちはまだそこに残っていた。


 ひょいっとリズベスの顔を覗き込んだテレーゼは、おや、と小首を傾げる。

 色白のリズベスの頬は今、ほんのり赤く染まっており、少しだけとろんとしたような眼差しをしていた。俯いているから難しい顔をしているように思われただけで、実際は――


(あ、もしかして?)


「リズベス、騎士団に好きな人でもいるの?」

「よくもまあ、ここまでばっさり言えるわね、この子!」


 ひらめいた、とばかりに満面の笑みで言ったとたん、仲間に後頭部を軽く叩かれた。リズベスは真っ赤になってぷるぷる震えており、なんとなくその様子が以前、大公にプロポーズされたときのリィナの反応と重なって見えた。


「ちょっとは遠回しに聞いたりしなさい!」

「というか、テレーゼにも人の恋心を見抜けるものなのね」

「『恋? なにそれ換金できるの?』みたいな顔をしてるのにね」

「さすがに失礼じゃない!?……あ、えっと、ごめん、リズベス。私、デリカシーなかったよね」

「ううん、気にしないで!……それに、好きって言うのもおこがましいし……こう、遠くから見ているだけでも幸せだなぁ、って思えるのよ」


 そう言ってリズベスは微笑んだ。先ほどまで道の向こうにいた騎士たちは既に移動してしまっているので、誰がリズベスの恋する君なのかは分からない――が。


(騎士団に、リズベスの好きな人がいる。そして、私にはジェイドという頼りがいのある仕事仲間がいる)


 テレーゼの頭の中で、素早く物事がつなぎ合わせられていく。

 ひょっとしたら、テレーゼにも微力ながら協力できることがあるのではないだろうか。


 リズベスは恥ずかしがり屋だから、きっと「誰が好きなの!?」と詰め寄っても教えてくれないだろう。彼女も「遠くから見ているだけでも幸せ」と言っているのだから、恋する君と急接近するより、少しずつ距離を縮めていける方がいいのではないだろうか。


(もし、私に何かできることがあれば……いつも世話になっているリズベスのためにも、協力したいわ!)












 テレーゼはリズベスの片思いを知って満面の笑みになり、そして今はあごに手をあてがってニヤニヤ笑いながら何かを考えているようだ。傍目から見たら不審者である。


 リズベスたちはそんな仲間の姿をしばし見つめていたが、やがて肩を落として小さく笑った。


「……あらら、テレーゼの中で何かが始まったみたいね」

「テレーゼって、恋愛話に結構敏感だし鋭いのね」

「超鈍感だと思ってこれまでテレーゼの前では恋愛話を遠慮していたけど、余計な気遣いだったかしら?」

「かもねぇ」


 仲間たちがあれこれ好き勝手にしゃべる中、リズベスは目を細め、もの言いたげな眼差しでテレーゼの横顔を見つめていた。

チベスナ顔

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