はじまる前の物語・ジェイド
ジェイド・コリックは目の前の箱を見つめていた。
「コリックおまえ、そんな睨んでも結果は変わらないから」
「いえ、睨んでいるのではなく見つめているだけです」
「そうかいそうかい。何でもいいけど、早く引いてくれ」
箱を持つ上官に促され、ジェイドは意を決して箱に手を伸ばした。
ほぼ立方体の箱には、上部にだけ穴が空いている。男の拳より少し大きいくらいの穴なので、中をじっくり見ることはできない。
穴の中に手を突っ込むと、中には数枚の紙が入っているのが分かった。もともと箱の中には三十枚ほどの紙が入っていて同僚たちが順に引いていったのだが、ぼんやりしていたジェイドは必然的に列の後の方に並ぶことになってしまい、中身はかなり少なくなっている。
どれを引いても結果は同じようなものだ。そう自分に言い聞かせ、ジェイドは紙の一つを選んで引き抜いた。小さめの紙を二回折りたたみ、さらにのり付けされているので開けるのにも一手間掛かりそうだ。
「よし、全員引いたか? まだ中を見ていないな? んん?」
箱の中が空っぽになったところで、上官が部屋に集まった騎士を順に見ながらそう言う。ジェイドたちは全員、折りたたんだ紙を手にしている。ジェイドのように真顔で紙を見つめている者もいれば、やけにそわそわしている者、まだ中を見ていないはずなのに既に顔色が悪い者もいる。
「それでは全員、確認せよ!」
上官の号令と共に、ジェイドたちは紙を開いた――
来月、大公妃候補を城に集めることになった。
二十歳の若き大公であるレオン閣下の花嫁をそろそろ探そうということで立案されたこの計画を進めるには、城中の者たちの協力が必須である。
ジェイドたち近衛騎士団の若手たちは、令嬢の身辺警護係を担当することになった。一人の令嬢につき一人の騎士が一ヶ月間限定の専属となり、令嬢が快く過ごせるようサポートするのが役目である。
これは令嬢たちの護衛のためでもあるが、騎士たちの訓練の一環でもある。令嬢にもいろいろな者がおり、相手をするのに大変手こずることもあるだろう。騎士をこき使う者や色目を使う者、わがままを言って当たり散らす者だっているかもしれない。
だがこれから先、近衛騎士は大公を始めとしたさまざまな貴人の護衛をせねばならない。どのような相手の護衛になるのかはそのときによって変わる。どのようなとき、どのような相手でも騎士としての誇りを忘れず職務を全うするためのトレーニングの一種でもあるのだ。
そういうわけで、令嬢と同じ人数の近衛騎士がくじを引き、自分の担当を決めることになった。場合によっては令嬢と騎士が敵対しあう家柄出身だったりするかもしれないため、これには会議中も反対意見が上がったようだ。だが、「そんなことで文句を言うような令嬢なら話にならないし、仕事に私情を挟む騎士もいるはずないよな?」と大公が笑みを浮かべて反対派をねじ伏せたらしく、くじ引き方針になったのだという。
そんなこんなで、ジェイドが選んだ紙に書かれていた名前は。
「テレーゼ……リトハルト?」
「お、それ聞いたことがある。ちょっとワケアリのお嬢様なんだよな」
どこからか、「はぁー!? ルクレチア・マーレイって……えええー!?」という悲鳴とげらげら笑う声が聞こえてくる中、脇からひょいっと手元をのぞきこんできたのは、ジェイドより四つほど年上の騎士だった。
「ワケアリ……とは?」
「簡単に言うと、侯爵家なのに金がない。以上」
そう言う彼が持つ紙をちらっと見やると、「クラリス・ゲイルード」と書かれていた。ゲイルードといえば名を聞いただけで誰もがピンと来る超有名公爵家だが、反対に「リトハルト」に関しては良い噂も悪い噂も、どちらも聞かないのだ。
「そうなのですか……どのような令嬢なのでしょうね」
「金がないから、夜会にも滅多に顔を出さない。だから俺も、リトハルト家に金がないのは分かっているが、テレーゼ嬢がどのような人なのかは知らない。ただまあ……悪い噂は聞かないのだから、そこまで心配することはないと思うぞ」
「……俺、心配しているように見えます?」
「見えるなぁ。……まあたぶん、大人しくて控えめな令嬢だろうな。おまえは見た目の割におっとりしているから、案外令嬢と気が合うかもしれないぞ?」
よかったな、と爽やかに笑い、騎士はジェイドに手を振った。周りの騎士たちは自分が担当する令嬢が判明し、いくら「私情を挟むな」と言われても難しそうな顔をしていたり、ほっとしたような顔をしていたり、床に膝を突いて嘆いていたりと、それぞれの反応を見せていた。
騒がしい騎士たちに向けて上官が指示を出す中、ジェイドはもう一度手の中の紙を見やった。
テレーゼ・リトハルト。
いったいどのような令嬢なのだろうか。
書籍版の伏線があったりして……




