はじまる前の物語・レオン 1
「大公閣下ももう二十歳。そろそろ結婚を考え始めてもよろしい頃ではないでしょうか」
……またか。
気持ちよく酒を飲んでいたレオンは、大臣の一人から発せられた言葉に優美な眉をきゅっと寄せた。
彼のご機嫌を損ねてしまったらしいと気づいた大臣たちは、慌てた様子で身を乗り出してきた。
「閣下はまだお若い身でいらっしゃいますが、結婚や世継ぎに関しては早く考えるに越したことはございません」
「指輪に花嫁の選定を任せるといっても、すぐに決まるとは限りません。父君の時には幸運にも選定を開始して一ヶ月でソフィア様を次期大公妃として迎えるに至りましたが、歴代の大公の中には十年近く掛かった場合もございます故」
同意するのは癪だが、彼らの言うとおりだ。
レオンが大公として治めるアクラウド公国は、魔法がごく当たり前に存在していた古代、魔術師から贈られた指輪に花嫁を選定させるという慣例がある。
大公の花嫁を見つけると、指輪は大輪の花を咲かせる――そんなおとぎ話のような伝統は大公家に代々伝わっており、その奇跡を目にしたいと願っている者も少なくないという。
レオンとしても、国民が未来の大公妃の誕生を心待ちにしているのは知っていた。だが父の跡を継いで即位して半年、必死になって改革に取り組んできたので花嫁について考える余裕がなかった。貴族たちも、レオンの治世がある程度安定してきたこの時期だからこそ、切り出してきたのだろう。
レオンは空になったグラスを置き、ソファの上で長い脚を組んだ。
「……そろそろ考え始めようかとは思っている」
「おお、では――」
「ただ、私は妻を選ぶ際に指輪だけに任せるつもりはない。私自身で妃となる女性を調べたいと思っている」
レオンの言葉に、大臣たちは息を呑んだようだ。
父含む歴代の大公のほとんどは結婚を考え始めると、国内貴族の令嬢を多数招いた会を開いていたそうだ。大公は指輪を嵌めて椅子に座し、令嬢たちの挨拶を受けるのだ。多くの場合、挨拶をしているうちに指輪が未来の大公妃を見つけ、その場で花を咲かせる。両者の承諾を得られたら、即婚約だ。大公と年の近い令嬢は子どもの頃から、「いつか自分が見初められるかもしれない」という希望を胸にしているので、即婚約となって驚くことはあっても、断ることはまずないのだ。
だがレオンは子どもの頃から、指輪に丸投げするのではなく自分の目で令嬢を見、その様子を見るために足を運び、その話に耳を傾けたいと思っていた。無機物に妻を選ばれるのはなんとなく癪だと思っていたし、自分にふさわしい妃となる女性ならその人となりをよく見ておきたいのである。
それに――
「近いうちに提案を出す。そなたらの協力も仰ぐことになろうから、その時は頼んだぞ」
レオンはそう言い、大臣たちに下がるよう指示を出した。
大臣たちが去った後、壁際に控えていた侍従に新しいワインを注ぐよう命じた後、彼も退室させた。広い応接間に一人きりになったところで、それまで堪えていたような大きなため息を吐き出す。
アクラウド公国の大公であり、父の唯一の嫡子である自分にとって結婚は、避けては通れない。指輪は自分にぴったりの花嫁を見つけてくれるということだが――
「……あの子が見つかればいいのだが」
ワイングラスには、赤い液体に自分の顔がゆがんで映っていた。口元までグラスを運んでつぶやくと、水面がかすかに揺れる。
『僕は、ノエル。君がそんなにかしこまる相手じゃないよ』
幼き日に出会った少女。
服装は地味だったけれど、強い意志に輝く眼差しを持っていた思い出の子。
あの子に触れた日、父から託されていた指輪から花が溢れた。
それは、指輪が大公妃を選んだという証。
彼女が、自分の花嫁となる資格を持っていることを示していた。
残念ながらレオンは彼女の名を聞くことなく、そして自分の本名を明かすこともなく別れてしまった。あの後必死で彼女の顔を思い出そうとしたのだが、夜でおまけに彼女はつばの広い夜会用帽子を被っていたので顔が陰になってしまっており、夜闇の色に沈んだ双眸しか思い出せなかった。
だが、夜会開催中の城の中庭に来られるというのならば、彼女が貴族の娘である可能性が高い。であれば、父たちが行ってきたように交流会でも設ければ、いずれ彼女が見つかる可能性が高くなる。
あれから十年。もし彼女が子どもの頃から変わらない正義感と強い意志を持っているのならば再会できればまたしても、指輪は彼女を選ぶはず。
「もし会えたなら……もう逃がさないよ」
レオンは目を細め、己の骨張った指を飾る指輪を静かに見つめていた。




