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大公妃候補だけど、堅実に行こうと思います  作者: 瀬尾優梨
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41/95

欠点or魅力?

「……」

「……」

「……と、とても前衛的な現代アートね! この辺が城下町かしら?」

「そこは空です」

「…………ごめん」









 テレーゼが大公妃候補として公城で暮らすようになって、早半月。

 クラリス・ゲイルードたち他の妃候補がお茶会や詩の朗読会、お花観賞会などを開いている傍ら、テレーゼは女官になるための準備を進めていた。


 たいていは図書館で借りた本を読んだり、教育係になってくれたリィナの助力のもと、読み書き計算の問題を解いたりする。天気がいい日には皆で散歩に出かけたりもするが、以前令嬢たちと鉢合わせしてしまったことがあるので、令嬢たちの行動スケジュールを事前に調べてから外に出るようにしていた。


 今、テレーゼはリィナと一緒にベランダに出て写生を行っている。「女官になるのに美術の才能が必要なのか」と問うテレーゼに対し、リィナは「貴婦人のサロンなどに同行した際、芸術の才能でもてなすようにと言われることがある」と教えてくれた。テレーゼは横笛なら得意だが、あまり絵を描いたことはない。とはいえ、才能の幅を広げておいて損はないだろう。


「絵筆を持つなんて、幼年学校以来だわ」


 ベランダにテーブルと椅子を出し、日除けの帽子も被る。普段着のドレスの上にエプロンワンピースを着ているので、絵の具が散ったり色水が垂れたりしても大丈夫だ。


 自室のベランダから見える風景を、リィナから譲ってもらったデッサン用鉛筆でザカザカとスケッチしながらテレーゼがつぶやくと、隣で絵の具の準備をしていたリィナも「そうですね」と頷く。


「わたくしも学校を卒業してからは絵筆を持つことはないですね。実家に美術セットを保管しておいて助かりました。……鉛筆、書き味はいかがですか?」

「芯が柔らかくてとっても描きやすいわ! これ、同じのがあればマリーとルイーズたちに買ってあげたいなぁ」

「わたくしのものでよろしければ、一式全てお譲りしますよ」

「えっ、いいの? ありがとう!」


 リィナににっこりとほほえみかけ、テレーゼは気合いを入れてスケッチを続けた。

 公城の庭園は、美しい。地上に降りて間近で木々や花々を見るのはもちろんだが、今のように上階から見下ろした庭園はまた違ったおもむきがある。


「……さて、そろそろ色塗りかしら。あっ、リィナも暇なら一緒に描いてみない?」

「……わたくしもですか?」


 使いやすいよう絵筆を水で濡らしてほぐしていたリィナが怪訝そうな顔で見てくるので、テレーゼは頷いて空いている椅子を引いた。


「準備してくれてありがとう。色の調合とかは自分でするから、リィナも一緒に描いてみようよ」

「し、しかし……」

「お仕事なのは分かるけれど、息抜きも大事じゃない? 私、リィナが描く絵を見てみたいなぁ」

「あの、仕事の時間とかそういう問題ではなくて……いえ、分かりました。お隣、失礼します」


 最初はなにやら口ごもっていたリィナだが、テレーゼがきらきらの眼差しで見上げているからかすぐに折れてくれた。

 リィナがキャンバスに画用紙を挟み、真剣な顔で絵筆を執っている隣で、テレーゼは手早く絵の具を混ぜていく。


 幼年学校の美術の授業以来、自分で絵を描いたことはない。それは、画用紙も絵の具も高級品だから。

 絵を描くことは嫌いではないが、何しろ道具がない。自分が描くくらいなら、弟妹たちのために雑紙を集めて紐で綴じ、簡易落書き帳にして譲ってあげてきた。授業用に購入した筆記用具も、お絵かきしたいマリーやルイーズ、勉強に必要なエリオスにほぼ全て譲っている。


 リィナが学生時代に使っていたという画材は、一般市民階級の学生が使うに適した品質と価格のものらしいが、テレーゼにはとても使いやすかった。リィナが丁寧に手入れをしてきたからか、ほとんど傷んでいないし絵の具も水で溶く必要もなく現役で使えるのがありがたい。


 まずは薄い色。空の色と庭園の緑色、遠くに見える城下町の白っぽい建物の色をざざっと塗り、そこに濃い色を順に重ねていく。建物ひとつ、庭園の木ひとつでも、いかにして「それらしい」色合いを出すかが腕の見せ所だ。


 描き途中のキャンバスを両手で持って、目の高さに掲げる。我ながらいい出来だ。


「……これ、うまく描けたら家に飾ろうかなぁ」

「……まあ! 驚きました。テレーゼ様は音楽だけでなくて、美術の才能もおありなのですね」


 ちらっとこちらに視線を向けてきたリィナが弾んだ声を上げ、自分のキャンバスを胸に抱えてしげしげとテレーゼの絵を覗き込んでくる。


「柔らかくて暖かみのある絵ですね。ほら、この辺りの薄い雲の表現なんて、本物そっくりです」

「あはは、褒めてくれてありがとう。……それより、リィナはどう?」


 たとえお世辞だとしても、褒められたら嬉しい。

 照れ隠しもあってリィナに問うたのだが、とたん彼女は表情をこわばらせ、キャンバスを抱える腕に力を込めたようだ。


「……その、お見せできるようなものではなくて」

「ええー、でもせっかくだから、見せてよ」

「……。……笑わないでくださいね」


 首をこてんと倒して「お願い」のポーズを取ったテレーゼに押されたのか、頬をほんのり赤らめたリィナは渋々キャンバスをテーブルに倒してくれた。

 テレーゼとほぼ同じ視点、ほぼ同じ風景を見ていたはずのリィナの作品は――


「……」

「……」

「……と、とても前衛的な現代アートね! この辺が城下町かしら?」

「そこは空です」

「…………ごめん」

「いえ、自分が不器用なのは分かっておりますので」


 リィナは苦笑し、描きかけの画用紙をぺりっと剥がした。


「わたくし、結構雑なのです。字だけは丁寧に書くよう心がけているのですが、弦楽以外の創作や芸術はさっぱりで……卒業してから一度も絵を描いたことはなく、ひょっとしたら知らないうちに上達しているかもしれないと思って筆を執ったものの――所詮不器用は不器用ですね」

「あ、あの……」


 テレーゼが蒔いた種なのだから、なんとか励ましの言葉を送り、リィナを元気づけなければならない。

 かといって下手に「そんなことない、上手よ」と言っても見え透いたお世辞だと思われてしまうだろうし、「これからきっと上達するはず」のように責任のとれない励ましはするべきではないだろう。


 となると……。


「えーっと……別に、少々手先が不器用でもいいんじゃないかしら?」


 テレーゼが言うと、リィナの紅茶色の目が細まった。


「ほら、リィナは頭がいいし、物腰も私よりずっと上品じゃない。これで絵の才能まであれば、完璧すぎて私なんかどうしようもなくなっちゃうわよ!」

「……そんなことはないと思いますが」

「そんなことあるの! ……つまりね、官僚としてばりばり働くリィナが、実はちょっと不器用だった――なーんて、すっごく魅力的だと思うの!」


 グッと拳を固めて力説するテレーゼ。その隣ではリィナが、どこか遠い眼差しでテレーゼの顔を見つめている。


「……それ、魅力的でしょうか?」

「いやだってほら……完璧じゃないところにグッと来ない? ねえ、ジェイド!」

「私に振られましても」


 それまで一言も喋らずベランダの入り口に佇んでいたジェイドに話を振ったのはいいが、困ったような顔をされてしまう。


「客観的に考えて、ということよ。ジェイドだったら、美人で頭もよくてお金持ちでできないことが何もない女の人と、ちょっと苦手なことのある女の人、どっちがいい?」

「それだけの情報で断定することは難しいですが、まあ……苦手なことがあるのなら、手を貸してあげたいという気持ちにはなりますね」

「ほら、ジェイドもこう言っている!」

「だいぶ無理矢理言わせているような気がしますが……」


 難しい顔でもっともなことを指摘するリィナだが、すぐにその表情がふっと和らいだ。


「……しかし、テレーゼ様やジェイド様のおっしゃることにも一理ありますね。わたくしも、何でもできる完璧な人より、欠点があって人間らしい人の方が好きですから」

「だよね!? だからね、リィナはそれでいいと思うのよ。いいじゃん不器用! むしろそういう点をぐいぐいっと前面に出せば、男心もガッチリ掴めるかもしれないわよ!?」

「わたくしは婚活のために仕事をしているわけではないのですが……まあ、他人からいいように見てもらえるという点では有効でしょうね」


 どこまでも現実的なリィナだが、表情はかなり明るくなっている。


「……ありがとうございます、テレーゼ様、ジェイド様。わたくし、やはり絵は苦手ですが……ちょっとは自分の不器用さも好きになれそうな気がします」

「……あー、もう! リィナのそういうところ、好きっ!」

「ひっ! テレーゼ様!?」


 リィナが自分の欠点を肯定できた姿に感極まったテレーゼが、リィナに飛びつく。それまで壁際にいたはずのジェイドが恐るべき俊敏さで動き、絵の具の付いたパレットや水差しをさりげなく取り払ってくれたおかげで、二人して絵の具まみれになることは避けられた。


 水差しやパレット、まだ絵の具の乾ききっていないキャンバスを抱えたジェイドは眼差しを緩め、日なたで笑い合う二人の少女たちを見守っていた。

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