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大公妃候補だけど、堅実に行こうと思います  作者: 瀬尾優梨
書籍化感謝SS(書籍を読む前に履修推奨)

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5分で分かる! 「大公妃候補だけど、堅実に行こうと思います(真)」

(真)←ここ大切

 町は、夕日の色に輝いている。

 春の太陽は既に西の空に傾いており、大通りを歩く人々の足下に濃くて長い影を生み出していた。


「……そろそろかしら」


 学校や仕事帰りの人々でにぎわう大通り。そこに仁王立ちで構える、若い女性の姿があった。

 着ているのは、何度も洗濯しているためくたくたになったブラウスに、キャラメル色のロングスカート――のように見えるズボンだ。普通に立っているとプリーツたっぷりのスカートにしか見えないが、立派なズボンだ。プリーツは、ズボンであることを隠すために存在している。


 長い髪は邪魔にならないよう頭頂部で一つに結わえており、夕日を浴びて柔らかな色に輝いていた。前髪も上げてピンで留めているため、形の良い額と愛らしい顔立ち、美しいすみれ色の目やほんのりバラ色に染まった頬などがあらわになっている。


 彼女はその姿勢のまま上半身だけひねって振り返り、大通りの広場に据えられた時計台を見上げる。予定の時刻まで、あとわずか。


 ごくっ、とまろやかなラインを描くのどがわずかに上下する。


 そしてゆっくりと、時計台の長針が動いた。瞬間――


「……はい! 本日の夕方タイムセール開始でーす!」


 人混みの向こうから元気のいいおじちゃんの声が響いたとたん、すみれ色の目に炎が宿った。


「っ……うおぉぉぉぉぉぉぉ!」


 彼女は叫ぶ!

 驚くべき瞬発力で地面を蹴り、おじちゃんの声がした方へと一目散に駆けていった。


 だが、目をぎらつかせて突進していったのは彼女だけではない。


(くっ……! 今日もあの、もっちりマダムがいらっしゃるわ!)


 彼女がさっと視線を横に滑らせるとそこには、たいへん肉感的なマダムが同じ方向へと駆けていっていた。

 その名は、「もっちりマダム」。

 もっりちむっちりした体型からは想像もできないほどの瞬発力、そして一度獲物を捕らえたら決して離さない大きな手のひら、さらに迫り来る猛者を跳ね返す肉の鎧。ちなみに本名ではなく、テレーゼが勝手に付けた渾名あだなである。


(今日こそは、マダムに負けるわけにはいかないのよ! 負けるな、テレーゼ!)


 すみれ色の目の美少女・テレーゼはスカートもどきのズボンの布地を掴むと、その場で大きく跳躍した。ちょうど足下を、散歩中の猫が横断したためだ。


 白黒ブチ模様の猫を軽々と跳び越えたテレーゼは着地も危なっかしくなくこなし、「タイムセール中!」という旗の立った商店へと飛び込んだ。


 そこは、戦場であった。


 店の中央に据えられたワゴンには既に、多くの戦士おばちゃんたちが群がっており、悲鳴やら怒号やらが飛び交っていた。

 あのワゴンに乗っているのは、タイムセールの目玉商品でもある鶏肉の塊。一人の戦士おばちゃんの手がぶつかったらしく吹っ飛んでいった看板には、「お一人様一袋限り・ひとつ五ペイル」と書かれている。


(なるほど、確かにいつもの価格から考えるとお買い得ね……でも、甘いわ!)


 テレーゼはさっと視線を店内に走らせる。

 お買い得品が目立つところにあるとは限らない。


 この戦場にくや司令官てんしゅはなかなかひねくれ者で、夕方のタイムセールになると様々な肉を格安価格で売り出すのだが、目立つ場所に置いている商品が必ずしも一番お買い得とは限らない陳列を行っているのだ。


 彼は戦士おばちゃんたちが殺到するのを見越しており、「タイムセール三十分前からセール開始まで、立ち入り禁止」と宣言しているのだ。テレーゼたちが少し離れたところでタイムセールを待っていたのは、このルールがあるからだ。


(今日のワゴンの品は、いつもなら六ペイル程度。それほどうまみはないわね!)


 ワゴンに背を向け、テレーゼは棚にある他の商品を素早くチェックする。


(骨付きもも肉は――だめだわ、あれはほとんど安くなっていない。豚の薄切りは――あっ、もっちりマダムが持って行ったわ!)


 テレーゼの目と鼻の先をむちむちした二の腕が閃き、棚に一つだけ置かれていた豚薄切りの袋をかっさらっていった。

 マダムは振り返るとテレーゼに向かい、グッと親指を立ててみせた。これは、「今回はあたしの勝ちだね!」という彼女の合図だ。


 テレーゼはグッグッと立てた親指を二回上に突きつけ、「まだまだよ!」の合図をし、別の棚へと急ぎ――

そして、見つけた。


 戦士おばちゃんたちとは全く様子の異なる、騎士らしい制服姿の青年。お使いの帰りなのか、彼の腕のかごには野菜やパンの姿も見える。

 彼は戦士おばちゃんたちの群がるワゴンの方をおっかなびっくりの様子で見ていたが、自分の近くにあった棚の商品へと手を伸ばしていた。


 彼が何気なく手に取ろうとしている、肉の袋。


 テレーゼの目にぎらりと、凶悪な炎が宿った。


「……もらったぁぁぁ!」


 テレーゼは飛んだ。

 商品の棚にぶつからないよう細心の注意を払った上で宙を飛び、今まさに騎士が手に取ろうとしていた肉の袋をかっさらうとその勢いのまま壁を両足で蹴って空中で身をひねり、すたんっと床に着地した。


(決まったわ……!)


 にやりと笑う。

 その手の中にあるのは、干し肉の入った袋。お一人様一袋まで、ひとつ二ペイル。

 この重さなら普段なら三倍近くの値段がするだろう、タイムセールの中でも抜群の「あたり」商品だ。


「お邪魔しました!」


 ぽかんとする騎士にお辞儀をし、テレーゼはいそいそとカウンターへ向かう。タイムセール中は店員の数を増やしているので、お会計もすぐに済むのだ。


「……おお、よく見るとあんた、リトハルトさんちのテレーゼちゃんか」

「いつもに増してダイナミックな動きだったな」

「あんたを見ていると、侯爵令嬢って何だろうな、って思われるよ」

「ありがとう!」


 感心したような店員たちの声にはとりあえず、元気よくお礼を言っておいた。










「んっふふふふ……お肉、お肉!」


 店を出たテレーゼはほくほくの笑顔である。

 手には、ずっしりと重たい干し肉の袋が。


(今日は干し肉パーティーね! しっかり味付けをして、とろとろになるまで煮込んでもらおう! そしていつの日か、もっちりマダムにリベンジよ!)


 テレーゼは侯爵家の長女だが、実家は貧乏なので贅沢なんて言っていられない。

 今日のようにタイムセールがあれば戦士の一人と化してお値打ち品の争奪戦に参戦するし、内職も家事もお手の物だ。


 令嬢あるまじき姿だが、当の本人は全く気にしていない。

 なぜならこの手の中にある干し肉で、家族や使用人たちが喜んでくれるのだから。










 上機嫌で屋敷への道を歩くテレーゼは、知らない。


 数日後、自分のもとに公城からの使いがやってきて、「大公妃候補になりました」と告げられるなんて。

この話の内容を覚えておくと、書籍版で「あれか!」となるかもしれません

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