☆目指せ! 乙女チックタイム!(テレーゼ&ジェイド編)☆
コラボ?小説1号目
恋愛なんてものを、求めてはならぬ
「……ん?」
よく晴れたある日。
ジェイド・コリックは詰め所の自分のデスクに置かれている雑誌に気づき、手に取ってみた。
朝、出勤した際にはなかったはずだ。デスクに置かれていた配達物や書類は全て目を通し、分類ごとにクリップで綴じている。ということは、この雑誌は彼が席を離れてから今までの間に置かれたということだ。
ジェイドは雑誌を持ち上げ、表返す。そこには、
『乙女チック☆タイム! 初夏号』
と、きらきらしい文字が書かれている。どうやら、手製の回覧雑誌らしい。
回覧雑誌とは、書籍は書籍でも大量に複製することなく、一部のみ手製で制作して読者が回覧して閲覧するタイプの書物だ。たいていの回覧雑誌は表に回覧一覧表があり、読み終わった者は自分の名前をサインして次の人に回すようになっている。
ただ、この手の回覧雑誌は読者が決まっており、「私が読んだら、あの人に渡す」と決まっているのだ。ジェイドは雑誌の類にはそれほど関心はないし、あったとしてもこの『乙女チック☆タイム!』なぞを読む趣味はない。どう考えても、女性向けだ。
表紙には、両手を胸元で握り合わせて祈りでも捧げているかのような、可憐な少女のイラストが描かれている。なるほど、かなりの画力だ。印刷すればかなり売れるのではないだろうか。
ジェイドは表紙をめくってみた。手製雑誌なので装丁は市販のものよりも雑だが、字は丁寧で分かりやすい。
どうやら初夏号のテーマは「乙女がドキッとする仕草二十選」らしく、読者の皆様から寄せられた意見をもとに、少女たちが胸をときめかせるシチュエーションをピックアップしていた。
ジェイドはしばし、黙って雑誌をめくっていた。と、そこへ。
「っ、あー、疲れた疲れた! ……あれ? 何見てるんだ、コリック」
暢気な声が背後から掛かる。見ると、騎士団の同僚が背伸びしつつ入室し、ジェイドの手の中にある雑誌を見て「あれ?」と声を上げた。
「コリック、何でおまえがそれを?」
「いや、俺の机の上にあったから」
「えっ、ああ、悪い。それ、俺の」
「おまえ、こういうのを読むのか?」
「違う! うちの姉さんが読者で、いっつも騎士団の女から姉さん宛にって預かるんだよ。あー、そうだ。とりあえず俺のデスクに投げたつもりだけど、コリックのデスクに乗ってたか。悪い悪い」
「そういうことだったのか」
ジェイドは納得して、彼に雑誌を渡す。騎士は雑誌を鞄に入れ、「ったく、回覧してほしいなら自分で取りに来いよな……」とぶつくさ呟いている。
ジェイドは、そんな彼の背中を見つめつつ思案にふけっていた。
一度見聞きした内容を忘れない。これは、ジェイドの特技でもあった。
☆Lesson1 「壁ドン」☆
明くる日、ジェイドは城内でテレーゼの姿を見かけた。
今日も彼女は上機嫌で廊下を歩いている。服装は、大公妃仕えの女官の制服。腕には薄っぺらい封筒を抱えているので、義姉リィナのお遣いでどこかに書類を届けに行った帰りなのだろう。
ジェイドは、先日見た雑誌の内容を思い出す。乙女がドキッとする仕草の一つに、「壁ドン」なるものが挙げられていた。ご丁寧に、手製のイラスト付きで。
つまるところ、女性を壁際に追いつめて(?)、腕を壁に突っ張ることで女性の動きを封じる。男性との距離も近くなり、女性はドキッとするそうだ。
本当にこんな動作でドキドキさせられるのか、不思議ではある。だが、可愛い婚約者をドキドキさせられるなら、悪くはない。
「テレーゼ様」
「ん? ……あら、ジェイド!」
名を呼ぶと、テレーゼは元気よく反応してくれた。ふわふわの桃金髪を靡かせ、こちらにやってくる。
丁度いい。ここは廊下。すぐ脇には、壁が。
奥義「壁ドン」を試す、絶好のチャンスである。
ジェイドは雑誌に描かれていたイラストを思い出しつつ、テレーゼとの距離を詰める。こちらまでやって来たテレーゼは、「ん?」と小首を傾げ、まっすぐな紫の目をジェイドに向けてくる。
ジェイドは右腕を持ち上げた。テレーゼの背後には、壁が。
ここで、右腕を壁に突っ張ってテレーゼに「壁ドン」をするのだ――
「ん? ……ああ、イエーイ!」
テレーゼは満面の笑みを浮かべ、己の右手を持ち上げる。そして――
ぱちん、といい音を立てて二人の右手が打ち鳴らされる。そのままテレーゼは弾むような足取りでジェイドの脇を通り過ぎていく。
ジェイドは硬直した。ぎぎぎ、とぎこちない動きで振り返ると、るんるんの様子で歩き去っていくテレーゼの背中が。
まさかの、ハイタッチ。
――だが。
テレーゼが元気そうならそれでいいのかもしれない。
☆Lesson2 「顎クイ」☆
先日の「壁ドン」は、テレーゼの元気いっぱいのハイタッチによって失敗してしまった。
次なるジェイドの試みは、「顎クイ」なる秘技。
どうやらこれは、女性の正面に立ってその顎に指を添え、軽くクイッと持ち上げてやることらしい。『乙女チック☆タイム』によると、女性はキスされるのかと期待してドキドキするのだとか。ちなみに雑誌によると、男女の身長差があればあるほど効果的らしい。
なるほど、とジェイドはひとり頷く。テレーゼは発想が斜め上で突拍子もないことばかり披露してくれるが、鈍感な彼女でも顎を持ち上げてやれば、口付けされそうだと思ってくれることだろう。
夕刻、ジェイドはテレーゼが来るのを開放廊下で待っていた。いつもの、二人の待ち合わせ場所となっている廊下だ。
「お待たせ、ジェイド!」
ぱたぱたと駆けてくる音。見ると、お仕着せの裾をはためかせて急ぎやって来るテレーゼが。
「テレーゼ様、走ると転んでしまいますよ」
「大丈夫! これでも受け身はマスターしているから!」
自慢そうに胸を張るテレーゼ。どこで受け身を習ったのか気にはなるが、今の話題はそれではない。
そっと、テレーゼの肩に手を置く。きょとんとした紫の目が、ジェイドを見上げてくる。
左手をテレーゼの右肩に置いたまま、ジェイドの右手がテレーゼの顎をとらえた。滑らかな曲線を描く顎を、そっと持ち上げる。
テレーゼが苦しくない角度で、ジェイドの顔を見上げさせる。驚いたテレーゼの口が小さく開き、白い歯が覗いている。
あっけにとられたようなテレーゼの顔。そんな表情すら、愛おしい。
じわじわとテレーゼの頬が赤く染まっていく。これは、さすがのテレーゼにも効果があったようだ。
ジェイドは目を細め、体を傾がせた。艶やかなピンク色の唇に、視線が釘付けになり――
「っ……ジェイドのばかぁーっ!」
テレーゼの絶叫。唸りを上げて飛んでくる、平手。屈んでいたので、かわすことのできないジェイド。
ばちん、といい音を立てて左手に平手が炸裂する。思ってもいなかった攻撃に、ジェイドはぐらりとよろめいた。
その隙にテレーゼはジェイドの包囲網から逃れ、うわあああん、と悲鳴を上げて飛んでいく。
「あっ……テレーゼ! 待ってくれ!」
「酷い! 乙女の鼻の穴を覗くなんて、最低ーっ!」
そのまま猛スピードで走りながら、とんでもないことを叫んでいくテレーゼ。まずい、と思ったときにはもう遅し。
開放廊下を渡ろうとしていた官僚たちがテレーゼの悲鳴を聞き、ぎょっとしてジェイドを見てくる。この瞬間、ジェイドは「『顎クイ』をしようとした色男」から、「年若い娘の鼻の穴を覗き込む変態」にクラスチェンジしてしまったのを悟った。
ジェイドは力なく、その場に頽れた。あほー、とどこか遠くの空で、カラスが鳴いている。
☆Lesson3 「あーん」☆
テレーゼの鼻の穴を覗いた事件後、ジェイドはしばし意気消沈していた。というのも、テレーゼが明らかにジェイドを避けているのだ。
確かに、彼女からすれば婚約者からとんでもない仕打ちをされたのだ。顔も見たくもないと思われても仕方ない。まったくの誤解では、あるのだが。
これではいけない、とジェイドは意を決した。そして姉サフィーアからそれとなく情報を仕入れ、城下街でも有名なケーキ屋でおいしそうなケーキを購入し、テレーゼを呼んだ。
テレーゼは最初かなり渋っていたが、「コリック家からの招待」と言われると意地を張ることもできない。約束の日に、彼女は来てくれた。
実家の中庭で彼女を出迎えたジェイド。彼は、テレーゼはむくれたり不機嫌だったりするだろうと想定していた。睨まれることも承知だった。
だが彼の予想は、いい意味で裏切られた。というのも、馬車を降りてきたテレーゼはジェイドを見るなり、「ジェイド!」と飛び付いてきたのだ。
「て、テレーゼ様?」
「ごめんなさい、ジェイド! 私の早とちりだったの!」
ジェイドの胸に顔を埋めたテレーゼは、あわあわと青い顔で言い募る。言いながらジェイドの服を握りしめているので、一張羅が既に皺だらけになる。
「あのね、この前のアレ。私、メイベルに聞いてみたの。そうしたら、『きっとテレーゼ様に口付けをなさろうとしたのでしょう』って教えてくれて」
メイベル、大変良い仕事をしてくれた。今後こっそり謝礼を贈ろうとジェイドは心に留めておく。
「私、そんなことも分からずにジェイドを叩いて酷いことも言って、あなたを避けて……ごめんなさい!」
「いいのですよ、テレーゼ様。俺も、勘違いをされても仕方のないことをしましたので」
「ううう……」
その後もしばらくテレーゼはぐずぐず鼻を鳴らしていたが、側にいた侍女からハンカチを受け取り、鼻をかんでからはだいぶ楽になったようだ。
「あなたが元気になったようで何よりです。今日は、あなたのために城下街で有名な店のケーキを買ってきたのです」
「えっ!? まさか、ミッシェル菓子店!?」
「……よく分かりましたね」
「今、女官仲間の間でも人気のお店だから! 一度食べてみたかったの!」
見違えるように元気になったテレーゼを中庭のテーブルまで案内する。そこでは既に、コリック家の侍女たちが茶会の用意を調えてくれていた。
テーブルには二人分の茶器が。席に着いたテレーゼの前でケーキに被せていた覆いを取ると、素直な歓声が上がる。
「あっ、これ、新作のイチゴショート!」
「お口に合うといいのですが」
「もちろんよ、イチゴ大好き! ヘタまで食べるわ!」
「……よかったらヘタは残して……いえ、何でもありません」
目の前の席に座ったテレーゼは、とても嬉しそうにイチゴにフォークを突き刺し、ヘタごと頬張った。おいしそうにケーキを食べるテレーゼを見ていると、こちらまで幸せな気持ちになる。
テレーゼがケーキを食べる間、ジェイドはちびちびと紅茶を啜っていた。特に自分の分は買ってきていないのだ。
テレーゼも途中で気づいたらしく、はっとしてフォークを止める。
「……もしかしなくても、ジェイドの分のケーキって、ないの?」
「ええ、まあ。俺はそれほどでもないので」
「ごめんなさい、私ばっかりバクバク食べて……」
「いえ、いいんです……」
「よくないわ! おいしいものは、みんなで分け合うのが鉄則よ!」
そう鼻息荒く言い、テレーゼはケーキの皿をジェイドに差し出してきた。一口食べろ、ということだろう。
そういうことならばとジェイドは侍女にフォークを頼もうとしたが、ふと『乙女チック☆タイム』の記事を思い出す。
確か、「あーん」なる項目があったはずだ。雑誌によると、「あーん」は古今東西存在する、由緒正しき男女の睦み合いらしい。同じフォークを共有することに意味があるという。
ジェイドはひとり頷き、テレーゼに微笑みかける。
「ありがとうございます、テレーゼ様。……よかったら、テレーゼ様手ずから食べさせてくれませんか?」
「え?」
テレーゼはきょとんとしていたが、すぐに合点がいったのか「ああ!」と手を打つ。
「それなら! 私、マリーやルイーズにもそうやって食べさせてあげていたのよ!」
「はい、それでお願いします」
テレーゼの妹たちと同格だと思われるのは何となくむずむずするが、内容は同じなので反論する必要はない。
テレーゼはいそいそとフォークでケーキを切り分け、切り取った部分をフォークで刺す。
「はい、ジェイド。あーん!」
まさか、テレーゼの方から「あーん」と言ってくれる日が来るとは!
感動に胸が圧迫されそうになりながら、ジェイドはテーブルに身を乗り出す。テレーゼが、ジェイドにフォークの先を向ける。
だがしかし。
両者の間に、「あーん」の仕方に微妙な解釈の違いがあることに、二人は気づかなかった。
ジェイドの考える「あーん」は、フォークを持つ側は差し出した格好のまま動かず、食べる側が身を乗り出して食いつく、というものだった。
しかし、テレーゼの認識は。
身を乗り出したジェイドに、ケーキが迫る。あれ、と思ったときにはもう遅い。
ぐちゃり、と鼻の先に嫌な感触。目の前が真っ白に染まる。
「え? あ、ああああ! ジェイド! 大丈夫!?」
テレーゼの悲鳴。鼻が妙に痛い。
よろめいたジェイドに、慌てて侍女がハンカチを差し出す。それで顔を拭うと、べったりと生クリームがハンカチに付いている。ぽろり、とスポンジケーキの破片が落ち、ジェイドの膝に転がる。
どうしてこうなったのだろうか。
「ごめっ……ごめんなさい! ジェイドが、こんなに顔を近づけるとは思ってなかった……!」
真っ青になったテレーゼが席を立って駆け寄ってくる。そうして、濡れたタオルを侍女から受け取って一生懸命、ジェイドの顔を拭う。
――後になって分かったのだが。
テレーゼの実家では、テレーゼは弟妹たちの食事の世話をすることが多かった。弟妹が好き嫌いをすると、テレーゼは彼らの口に容赦なく食べ物を突っ込む。これが、テレーゼの考える「あーん」なのだ。
つまり、テレーゼの認識では「あーん」とは、食べる側は動かず食べさせる側がフォークを相手の口に突っ込む作業なのである。ところが彼女の予想に反してジェイドも身を乗り出してきたため、フォークの先は標的を逸れて彼の高い鼻に衝突してしまい、ケーキが粉微塵になってしまったという。
結局、顔だけでなくズボンや上着にもクリームやスポンジケーキの破片、刻んだイチゴなどが飛び散ってしまったのでお茶会はお開き。ジェイドは着替えのために自室に戻り、テレーゼもしおしおと居間のリビングで小さくなっている。
着替えが済んだジェイドが居間に降りると、テレーゼはジェイドの姉サフィーアに慰められているところだった。
「……あら、戻ったのねジェイド」
「はい。後は俺がお相手するので。ありがとうございました、姉上」
「……あなたたち、ちゃんとコミュニケーションを取るのよ」
呆れたようにサフィーアに言われた。引きこもりがちで人間関係が苦手なサフィーアだが、今はジェイドも姉の助言に項垂れるしかできない。
サフィーアが去り、ジェイドはテレーゼの隣に座った。
「テレーゼ様」
「……ごめんなさい……」
「いいのですよ。俺の我が儘だったのですから」
「でも! ジェイドの方からお願いしてきたのに、私がちゃんとしなかったから……」
「そんなことありません。これだって、俺にとってはかけがえのない思い出です」
自分で言いながら、ジェイドは満足していた。
「壁ドン」にしても「顎クイ」にしても「あーん」にしても、どれ一つとして雑誌にあったような効果を生み出すことはできなかった。
だが、これもまたテレーゼとのかけがえのない思い出になるのだ。数年後、数十年後に笑い合って、「こんなこともあったね」と言い合えるのだから。
テレーゼはしばし黙っていたが、やがてジェイドの上着の袖を引っぱってきた。
「……テレーゼ様?」
「……あの、私も……」
――いろいろあったけど、思い出になったと思うの。
それだけ言うと、テレーゼは俯いてしまう。ふわふわの髪の隙間から覗く耳が、ほんのり赤く染まっている。
これで、いいのだろう。
自分とテレーゼは、これからもこうやっていろいろな経験を積み重ねていくのだろう。
世間一般で言われるような間柄ではないのかもしれないが、ジェイドはこれで満足だった。
その後。
テレーゼを家まで送る、と言ってジェイドは屋敷を出ていった。
サフィーアは窓からそんな弟と弟の婚約者を見送り、部屋に控えていた侍女を呼ぶ。
「ハンナ、そういえばそろそろ届くのではなくて?」
「はい、今すぐお持ちします」
侍女のハンナが出ていってしばらくして、彼女は茶封筒を手に戻ってきた。
「こちらが初夏号です」
「ありがとう。読み終わったら次に回す前にハンナにも見せるから」
「あ、ありがとうございます!」
上機嫌の侍女が、茶封筒を開けて中のものを差し出してくる。
サフィーアは椅子に腰掛け、ハンナから受け取った雑誌の表紙を眺める。そこには派手な字で、『乙女チック☆タイム! 初夏号』と書かれていた。




