コリック家の皆様
コリック家訪問編
テレーゼとジェイドの休暇二日目、この日はいよいよコリック家の訪問だ。
今日のテレーゼは夕焼け色のドレス姿。テレーゼの髪は何色のドレスでも似合うのだから羨ましいと、リィナは苦笑していた。
本日、テレーゼはコリック家への土産を馬車に積んでいた。昨日はジェイドがコリック領の名産品である上質な綿製品を贈っていた。コリック領は綿花の栽培が進んでいるらしい。
テレーゼの方は昨日実家に戻った際、領土から父が持ってきていた作物を引き取っていた。野菜などだと簡単に朽ちてしまうので、一部の地域のみで栽培しているハーブを選んだ。収穫されたものでも最高級品で、市場に出せばかなりの値が張るだろうものを、領民たちは満面の笑みで準備してくれたのだという。後日必ず彼らに礼を言おうと心に決め、テレーゼはハーブの木箱を撫でた。
それに、もう一つ。
「姉への贈り物も完成したのですね」
向かいの席のジェイドに言われ、テレーゼは頷く。木箱は荷崩れしてはいけないのでロープで固定して後部席に積み、サフィーアへの贈り物だけはテレーゼのバッグに入れていた。
「これは手を抜くわけにはいかないからね。本当は一度ジェイドにも完成品を見てもらいたかったのだけれど、ラッピングの手間もあったから……ごめんなさい」
「謝る必要はありませんよ。私に見せるためではなく、姉への贈り物なのですから」
ジェイドは柔らかく答える。
今日の彼は、昨日と同じ姿だった。昨日、父に連れて行かれたジェイドをやきもきしながら待っていたテレーゼだが、戻ってきた父もジェイドも、妙に晴れやかな表情をしていた。
一試合交えてきたのかと思ったのだが、そうではなかったようだ。では何をしたのかと聞いても、父は「秘密!」と上機嫌で、ジェイドに聞いても「オーウェン殿が秘密とおっしゃるので、秘密です」と言われてしまった。いろいろ気にはなるが、父とジェイドが仲よくなったようなので、よしとすることにした。
テレーゼはサフィーアへの贈り物をバッグの上から撫でる。昨日のジェイドは非常に上手く立ち回った。マリーとルイーズに関しては全く心配していなかったが、母も機嫌が良さそうだったしエリオスとも握手を交わしていた。あの調子なら、ジェイドは今後もリトハルト家の面々と仲よくやっていけるだろう。
あとは、テレーゼだ。
ジェイドの家族は、ジェイドの父親と母親と、姉のサフィーア。彼らに認められなければならない。
テレーゼは侯爵家の次女である。だから裏で脅せば伯爵家であるコリック家は従わざるを得ないだろう。リトハルト家に次期大公妃という娘ができたため、余計に。
しかし、リィナや侯爵家の力を使ってはならない。そんなことをすれば家族からも絶縁確定だろうし、リィナもテレーゼを信用してくれなくなる。
今ここにいるのは、「名門(?)侯爵家令嬢」でも「次期大公妃の女官」でも「次期大公妃の妹」でもない。
ジェイド・コリックという人と結婚したいと願う、一人の女だ。
(頑張れ、テレーゼ! 私ならできる。私らしく、頑張るんだ!)
メイベルやトーマスからコリック家の外観を聞いていたため、テレーゼは冷静にコリック家を眺めることができた。
さすがにリトハルト家ほどの規模はないにしろ、こざっぱりとした屋敷の外観に、ちょっぴり屋敷とはちぐはぐな気もする、華やかな庭。
「まあ……! 本当に見事な花畑!」
扇で口元を隠しつつ、馬車から降りたテレーゼは春の花が咲き乱れる庭を眺めて感嘆の声を上げる。メイベルも言っていたが、これは想像以上だった。
「サフィーア様は本当に、お花が好きなのね」
「ええ、姉はブランド物の名花はもちろん、道端に咲く花も愛しています。ですので……ほら、あの辺は姉が手ずから摘んだ花から種を取り、そこから育てたものです」
「あっ、本当だ」
どうしても目は華やかな薔薇などに向けられがちだが、ジェイドに示された箇所を見ると確かに、道端でもよく見かける野花も行儀よく並んで咲いている。高価な花だけを愛するわけではないと知り、むずむずとテレーゼの胸の奥が熱くなる。
(差し出がましいかもしれないけど、なんだかサフィーア様と仲よくなれそうな気がするな)
コリック家の家令に案内され、二人は屋敷の中に進んだ。
「旦那様と奥様、お嬢様は応接間でお待ちです」
そう言って先導する家令について、廊下を歩く。テレーゼは慎ましく目を伏せてジェイドと並んで歩きつつも、ちらちらと辺りを窺うことは忘れなかった。
(メイベルには聞いていたけど……本当だ)
テレーゼは少し前にコリック家に手紙を届けてくれたメイベルの報告を思い出す。
『コリック家のお庭は、それはそれは立派なものでした。ただ、少し不思議な点もありまして』
『不思議って、どういうこと? メイベル』
『普通、貴族のお屋敷の廊下や部屋には花が飾られます。屋敷の庭で庭師が育てた花があるなら、まずそれらを飾りますよね』
『ええ、うちは貧乏だったから私が布で作った造花で済ませていたけど』
『そういった類のものが、一切なかったのです。廊下にも私が案内された部屋にも、刺繍の絵画や骨董品などは飾られていましたが、花の類が一切なくて』
『それは不思議ね……つまりサフィーア様は、庭で育てた花を屋敷に飾ったりしないってこと?』
『そういうことです』
サフィーアは自ら花を育てているのに、それを室内に飾らない。後日ジェイドに聞いたところ、彼は難しい顔をした。
『……確かに姉は花を飾りたがりませんね』
『やっぱりサフィーア様のご意志なのね』
『ずっと昔はそうでもなかったのですが、いつの間にか姉は花を飾るのを嫌うようになって……てっきり庭の花を手折りたくないのだと思いきや、使用人が街で買った花も嫌がるようになったのです』
『そんなに……』
『ええ、ただし、姉が見つけてきた婚約者の男性が贈ってきた花だけは受け取るのですよ』
『うーん? それって、好きな人からもらった花だから?』
『それにしては妙なのですよね。というのも、彼が持ってくる花はどれも――』
メイベルやジェイドから得た情報を元に、テレーゼはある推測を立てた。ジェイドにも相談したところ、彼も目を丸くして「……なるほど」と賛同してくれた。
ひょっとしたら、この読みは間違っているのかもしれない。だが、テレーゼが準備してきた贈り物は決して、サフィーアを傷つけたりしないはずだ。
花のない廊下を進み、家令が応接間へ二人を誘う。ジェイドに続き、テレーゼも入室して淑女の礼を取る。
「お初にお目に掛かります、テレーゼ・リトハルトでございます」
「よくぞお越し頂きました、テレーゼ嬢。どうか、顔を上げてください」
柔らかな声が返ってきた。声に促され、テレーゼは顔を上げる。
暖炉の前のソファには、三人の男女がいた。まずは、落ち着いた風貌の中年男性。白いものが混じる髪は見覚えのある濃い茶色で、優しく細められた目は澄んだ青色。目の色は違うが、まさに彼はジェイドが歳を取った姿。ひょっとしたら、ジェイドは彼の若い頃にそっくりだったのかもしれない。
そして彼の隣には、小柄な女性が。ふわふわの亜麻色の髪に、少しだけ目尻が垂れたモスグリーンの目。ジェイドの目は彼女譲りのようだ。テレーゼの母よりもいくらか年上だろうが、キビキビシャキシャキ動き回る母よりずっと、ほんわかと少女のようにあどけない表情だった。
そしてその隣には、若い女性がいた。緩やかにうねる亜麻色の髪に、きつく吊り上がった青の目。その年の女性にしてはやや肌が焼けており、かえって健康的な美しさを醸し出している。腰や腕は細いのに、胸元は豊かに張り出している。非常に、羨ましい。
ジェイドの父と、母と、姉。ジェイドの父に促され、テレーゼとジェイドは彼らの向かいのソファに腰を下ろした。
テレーゼはガン見しないように注意しつつ、しげしげとジェイドの家族を観察する。特に、サフィーア。思ったよりジェイドに似ていない。「ジェイドの女性バージョン」と言ったのは、誰だ。
「テレーゼ嬢、息子から話は聞きました。うちの愚息の求婚を受け入れてくださるということですね」
ジェイドの父であるコリック伯爵が、やや不安そうに確認してくる。その不安そうな顔は本当に、ジェイドそっくりだ。
「恐れ多くも、テレーゼ様はリトハルト侯爵家のご令嬢、そして次期大公妃リィナ様の妹君であられます。息子は跡取りゆえ、息子の結婚相手については我々も悩んでいたところです。しかし、まさかあなたのような可憐なお方を連れてくるとは思ってもおりませんでした」
「恐縮ですわ」
テレーゼは口元を扇で隠し、おっとりと答える。テレーゼへのドン引き耐性が付いているジェイドならともかく、彼らは正真正銘赤の他人だ。今は「しとやかなお嬢様」のモードで行くべきだ。
「わたくしこそ、元は貧乏侯爵家の娘。運良く実家を立て直せたに過ぎません。それに、わたくしが城に上がる際にはサフィーア様にも支援をいただくこととなりました。ですので、わたくしの方こそコリック家の皆様に感謝を申し上げたいくらいですの」
「……そういえば、サフィーアが進んで化粧品などを提供したのでしたね」
コリック夫人がそう言って、隣に座る娘を見やる。
「サフィーア、どうやらあなたの厚意がこうしてジェイドの縁組みに繋がったようですよ」
「……ええ、まさかこうなるとは思ってもおりませんでしたわ」
サフィーアが返事をする。凛とした面立ちに反しない、冴え渡る冬の湖面のようなきりりとした声だ。目にしても声にしても、どことなくリィナと雰囲気が似ているような気もする。
「あれほどまで弟が必死になっていたものですから、わたくしも微力ながらお手伝いさせていただきました。……テレーゼ様のお役に立てたようで、何よりです」
「まあ、そう言っていただけて嬉しいですわ、サフィーア様」
テレーゼはにっこりと微笑みかける。サフィーアの方はいまいち表情筋の活動に乏しいが、そういう性格なのかもしれない。それに、今この場の部外者はテレーゼで、お願いに上がる立場もテレーゼの方だ。
「……昨日リトハルト家にも伺いました。テレーゼ様のご家族は、私たちの縁を認めてくださるということです」
そう言ってジェイドが蜜蝋で封された手紙を差し出す。コリック伯爵が受け取り、使用人からペーパーナイフを受け取って開封した。
その手紙は、昨日テレーゼの父がしたためたもの。要約すると、「うちの方は異論はないから、あとはそっちでよろしく」とのことだ。
コリック伯爵は内容をあらためた後、手紙を妻に、そして娘に渡していく。テレーゼの父の判が押された手紙をジェイドの家族が順に読み、手紙の内容を確認するのだ。
「確かに、リトハルト侯爵のお言葉を確認いたしました」
最後に手紙を読んだサフィーアがそう言って手紙の内容を認め、それを伯爵が受け取って封筒に戻す。
「どうやらリトハルト侯爵殿からは色よい返事をもらえたようですね。私としては、むしろうちの愚息の方が、本当にテレーゼ嬢の隣に立つ男にふさわしいのか、と思われるくらいです。誰に似たのか、心優しくて穏やかな息子ではありますが、やや言葉が足りないところがありまして」
「父上……」
「そんな顔をしないの、ジェイド。わたくしも賛成ですよ」
そう言ってコリック夫人も柔らかく微笑む。ジェイドは「性格は姉が母似」と言っていたので、ひょっとしたらサフィーアも微笑むとこんな感じなのかもしれない。
「あのジェイドがここまで必死になるものですからね。テレーゼ様、どうか愚息をお願いします」
「はい、ヴァイオレット・コリック様」
事前に確認していた伯爵夫人の名を呼び、テレーゼは深く頭を下げた。
最後、残るは口数の少ないサフィーア。
四人の視線が集まる中、サフィーアはゆっくり口を開いた。
「……そうですね。わたくしもいずれ嫁ぐ身ですし、ジェイドには早く次期伯爵夫人を連れてきてほしいものだと思っておりました。異論はありません」
どことなく突き放すような物言いだ。なんとなく、「私はいずれ居なくなるのだから、お好きにどうぞ」と言っているようにも思われる。
中途半端ですが、長くなったので分けています




