大公と騎士の会話
男たちの、あまり中身のない会話
時刻は、夜のはじめ。
「ジェイド・コリック参りました」
大公の執務室のドアが開き、立派な体躯の青年が礼儀正しく入室の挨拶をする。
革張りの椅子に座っていたレオン・アクラウド大公は顔を上げ、緊張の色の強い青年騎士の顔を見てわずかに頬を緩めた。
「よく来てくれた、ジェイド。……肩肘張らずともいい。仕事を任せるために呼んだのではないのでな」
「……はっ」
大公は目を細め、自分より大柄な青年をしげしげと観察する。
陽の加減では黒にも見える濃い茶色の髪に、理知的なモスグリーンの目。真面目が服を着て歩いているような男。
ジェイド・コリック。胡散臭いほど、悪い噂を聞かない男だ。
「座ってくれ。ただ、雑談をしようと思っただけだ」
「雑談、でございますか」
「ああ。……分かっているだろう? いずれ私とおまえは血の繋がりはないにしろ、親類となるのだから。今は私も休憩中だ。少しばかり、気を楽にしておまえと話をしたいと思ってな」
大公の命令に従ってソファに腰を下ろしたジェイドの体が、ひくっと震える。
大公はやや少年っぽさの残る顔立ちを緩め、空中に図でも描いているかのようにほっそりした指先を動かす。
「私はいずれリィナと結婚する。リィナはテレーゼ・リトハルトの姉である。そしてジェイド、おまえはテレーゼに求婚している。そうだろう?」
「……おっしゃる通りでございます」
表情筋を緩めることなく、ジェイドは大公の言葉に頷く。
ジェイドだって、分かっていたことだ。
大公妃の妹であるテレーゼと結婚する、それはすなわち、大公家と縁続きになるということ。
テレーゼを紹介するにあたり、ジェイドもまた、実家に一度戻って家族にテレーゼのことを伝えた。両親も姉も、ジェイドが貴族の令嬢を娶るということには異論がないという。
ただし。
父は言った。大公妃の妹を娶るだけの覚悟が、おまえにはあるのかと。
「……私は、テレーゼ様の侯爵家令嬢という身分がほしいわけではないのです」
珍しくもジェイドの方から話題を切り出す。それがおもしろかったのか、大公は椅子から身を乗り出した。
「分かっている。というより、そんな理由だったらおまえ、リィナに睨まれるぞ。あの睨みは、なかなか精神的にクるものがある」
「もちろんです。私は、テレーゼ様がほしいのです」
直球ストレート。
まさかこんな所でノロケられるとは思っていなかったのか、レオン大公の顔が凍り付く。
ジェイドはフリーズした大公には構わず、硬い表情のまま、ぽつぽつと言葉を紡ぐ。
「あの方のふわふわの髪に触れたい。あの方の笑顔を見ていたい。お金が大好きなあの方の勇ましい後ろ姿をいつまでも見ていたい。なんだか私の予想とは別の方向に走っていくあの方を、見つめていたい」
「う、うむ。それはいいことだ」
「しかし殿下もおっしゃるように、あの方はリィナ様の妹君。私は嫡男といえど、伯爵家。果たして私ごときにテレーゼ様を幸せにできるのかと、苦しく思います」
「むしろ、おまえでないといろいろ無理だと思うが……」
「いえ、私も精進せねばなりません。テレーゼ様は向上心の高いお方。先日も、使用できなくなった茶葉を回収して袋に詰め、『実験!』とおっしゃって私の靴の隙間に突っ込んできました。おかげで私は今日も快適に過ごせています。この前は、姉のサフィーアのことばかり話題に出すので姉に妬いてしまいました。そんな私の嫉妬にも靡くことなく、テレーゼ様はあさっての方向へ走って行かれました。テレーゼ様は、そんな方なのです。そんなテレーゼ様だから、いいのです」
「……おまえの意図とは別の方向に爆走されても、いいのか?」
「それすら私の幸せです」
「やるな、おまえ……」
「私も、テレーゼ様に見合うだけの男になりたいのです。ですから、殿下」
「……うむ」
「どうか、私とテレーゼ様のことを認めてください。殿下もおっしゃるように、いずれ私は恐れ多くも殿下の遠縁となります。アクラウド公国の名に恥じぬよう、このジェイド・コリック、邁進いたします」
「……うん、まあ、なんというか、頑張れ」
「有難きお言葉です」
そう言って頭を垂れるジェイドは、思っていることを吐き出したからか、入室したときよりもずっと晴れやかな表情になっていた。
一方の大公はこの数分間でげっそりと窶れており、ジェイドが退室した後、しばしデスクに突っ伏していた。
やがて彼は突っ伏した格好のまま、先ほどから沈黙を貫いていた侍従に「……リィナを呼んでくれ」と弱々しく命じる。
ここからほど近い大公妃の執務室にいたリィナはデスクに突っ伏す大公を見て、やれやれとばかりに肩を落とした。
「……さては、ジェイド殿をからかおうとして返り討ちにあったのですね」
「ああ。……リィナ、僕はなんだか、虚しい……」
「ジェイド殿をからかった罰ですよ」
「僕は、リィナの言葉を聞いてジェイドの尻を叩いてやろうと思ったんだ。ほら、テレーゼがジェイドのことで悩んでいるみたいだと言っていたではないか」
「言いましたが、相変わらずあなたはやり方が下手くそですね。内政の知恵は回るのに、どうしてそうやって人間の心の機微には疎いのですか。それではジェイド殿にやり返されても同情できません」
「……」
「ほら、そんなところに突っ伏したら書類が皺になります。体を起こしてくださいませ。……ああもう、頬が赤くなってます。手ぬぐいを持ってくるからすぐに冷やして、仕事を再開しますよ」
「リィナ……いつか僕も、ジェイドに対して君のことをノロケられる日が来るだろうか……」
「ええ、そうですね。十年くらいすれば」
ぴしゃっと返したリィナは、侍従に濡らしたタオルを持ってくるように頼み、大公に見えないようにこっそり息をついた。
レオンはレオンなりにジェイドとテレーゼのことを案じてくれている。そのことは、こっそり感謝しようと思いつつ。
リィナは大公相手だと10回鞭で叩いて1回飴をあげるタイプ




