次期大公妃の助言
テレーゼが実家帰省のためにもらった休暇は、一日半。実家に一晩泊まった後、馬車ですぐに城に戻る。
「ただいま戻りました、リィナ様」
諸々の手続きを終わらせた後、テレーゼは大公妃の部屋に入り、一礼する。
先ほどまで着ていた華やかなドレスから一転、大公妃付き女官の制服とも言えるエプロンドレス姿のテレーゼは、気持ちを引き締めて姉の部屋に入る。
次期大公妃であるリィナ・リトハルトは、一般市民階級であるベルチェ家の娘として生まれ、城の官僚として働いていた。紆余曲折を経て現大公レオンの婚約者になり、テレーゼたちの姉となった彼女だが、生来の性格は身分が変わっても変化することはない。
リィナのために与えられた執務部屋はこざっぱりとしている。本棚には勉強用の本がびっしり詰められ、書類は全てカテゴライズされて分類ごとに箱に整理されていた。
「お帰りなさい、テレーゼ。実家でゆっくりできましたか」
デスクに向かっていたリィナが顔を上げる。傍らにいた別の女官から書類を受け取った彼女は、仕事がしやすいように灰茶色の髪をきっちりまとめている。着ているドレスはレオン大公から贈られた最高級品だが、髪を結い上げて後れ毛もピンで留めた姿は、「大公妃」というより「デキる女」。そんなところも、レオン大公は大好きらしいのだが。
「はい。リィナ様にもご迷惑をお掛けしました」
「構いません。……ご苦労でした、ソフィア。後はテレーゼに任せます。あなたは休憩に入りなさい」
リィナが言うと、彼女の補佐をしていた女官がお辞儀をした。テレーゼと交代するのだ。
テレーゼは彼女と引き継ぎをした後、リィナの元に向かう。
先ほどのソフィアという女官はもう出ていっている。テレーゼは辺りをきょろきょろ窺った後、そっと微笑んだ。
「……お疲れ様、リィナお姉様。お姉様も休憩の時間ですよ」
「……そうね、ありがとう」
書類を書く手を止め、リィナは大きく伸びをした。それまでの堅苦しい言葉が一気に緩んで、テレーゼも破顔する。
テレーゼとリィナ。一年前は「大公妃候補とその付添人」という関係だった二人だが、仕事中は「専属女官と次期大公妃」になり、休憩時間は「妹と姉」になる。
最初の頃はテレーゼに対して堅苦しい言葉を使うのを直せなかったリィナだが、時にはこうして緊張を緩めて話をするようにしていた。元々は赤の他人だった二人が少しでも「姉妹」に近づけるようにと、レオン大公からも承諾を得ている。
テレーゼは侍女を呼び、お茶の準備をさせる。茶の準備や片づけは、侍女の仕事なのだ。
「ジェイド殿のことを報告しに行ったのよね。首尾はどうだった?」
デスクからソファに向かい、茶を飲むリィナがテレーゼに問う。休憩時間といえどリィナの茶器を扱う手つきは優雅だ。彼女もこの一年でかなり教師たちに扱かれたのだ。
「お父様は不在でしたが、お母様たちからは色よい返事をもらえました。後はジェイドと相談して、日取りを決めます」
「その時にはお父様も戻ってこられるのね」
「さすがにそうしてもらわないと……ああ、そうそう。お父様は最新型の鍬と鋤に首っ丈だそうです。あれは確か、お姉様が選ばれたのですよね」
「まあ、お父様が? それは嬉しいわね」
リトハルト家の姉妹はくすくすと笑い合う。血の繋がりはないので当然だが二人の容姿はこれっぽっちも似ていない。全体的に華やかな色合いのテレーゼに比べ、灰茶色の髪に紅茶色の目のリィナは、色合いではかなり地味だ。
だが、紛れもなくテレーゼとリィナは姉妹。生まれや育ち、容姿が違っても。
(……あっ、姉妹といえば……)
「あの、お姉様。ジェイドのことなのですが」
「彼が何か?」
「ジェイドがというか……ジェイドには姉君がいらっしゃることを思い出しまして。お姉様は、どんな方かご存じですか?」
ジェイドに後ほど尋ねるつもりではあるが、もしリィナが知っているならばある程度事前に勉強しておきたかった。せめて、相手の容姿くらいは。
ふむ、とリィナは頬に手を当てる。
「名前は知っているわ。サフィーア・コリック嬢ね。あまり社交界には出られないそうだけれど」
「出られないのですか?」
「本人のご都合だそうよ。詳しくは知らないけれど、サフィーア嬢には婚約者がいることもあって、夜会とかは必要に迫られない限りは出てこないそうなの」
「どんなお姿なのでしょうか」
「さあ……ジェイド殿の女性バージョンを考えてみたら?」
リィナが無難に答える。テレーゼは、先日想像してみた「女性の体格+ジェイドの顔」の図を思いだす。
そして、深く後悔した。
「……なるほど、テレーゼはいずれジェイド殿のご家族にご挨拶に行くのだけれど、ジェイド殿の姉君のことが少しばかり気に掛かっているのね」
リィナはテレーゼの質問の意図に気付いたようだ。それもそうか、とテレーゼは苦く笑う。
「はい。サフィーア嬢には一年前、お化粧品などを譲ってもらったご恩もありますので」
「……ああ、そういえばそう言ってたわね。お礼は述べたのでしょう?」
「お手紙は。お礼の品は、ジェイドの方から拒否されたので」
「それでは、何かサフィーア嬢のお気に召すものでも準備してみたらどう? ご両親への贈り物は考えているのでしょう?」
リィナに指摘され、テレーゼは頷く。
相手の家族に挨拶に行く際、貴族であれば自分の領の名産品などを手土産に持っていく。「うちはこんな物が採れます。今後もよしみを結ばせてください」という商業面でもアプローチにもなるのだ。
テレーゼはジェイドの両親であるコリック伯爵夫妻には、リトハルト領で作られる作物を贈ろうと思っていた。時期が真冬ならば作物以外を考えなければならないが、幸い気候は安定しており、季節もこれから暑くなる頃だ。
昨日も母と一緒に、コリック家に贈る用の作物を考えておいた。訪問の日が決まれば、それまでに領地から持ってくるよう手配してくれるそうだ。
「結婚の挨拶に行く際に、相手のご両親だけでなくてご兄弟の方などにも贈り物をしてもよいそうよ。何か、テレーゼらしいものを贈ったらどう? 『テレーゼ・リトハルト』という人間のアピールにもなるし、一年前の恩を返すこともできる。これからジェイド殿の姉君と上手くやっていこうと思うならば、悪い方法ではないと思うわ」
「贈り物、ですか……」
なるほど、とテレーゼは頷く。
(私らしい贈り物……よし、これもまた考えておこう)
テレーゼは「サフィーア・コリック嬢への贈り物」の項目を、心のメモ帳に追加した。
貧相な(略)




