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大公妃候補だけど、堅実に行こうと思います  作者: 瀬尾優梨
web版本編

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リトハルト家に降って湧いた話

 その後、「おあずけ」を喰らったレオン大公の行動は、素早かった。


 まず大公は即日で、全アクラウド公国民に対して一月間の事情説明、関係者への謝罪、今後の信頼回復に向けた取り組みの説明を行った。

 大公が妃を選ぶつもりがなかった、大公妃はもう七年も前に決まっていた、という事実は国民たちを震撼させた。そして広場の中央で――城のバルコニーなどではない。国民と同じ高さの場所だ――静かな声で事実を述べる大公の隣には、若い女性が佇んでいた。その静かな眼差しと凛とした振る舞いに、国民たちは息を呑む。


 レオン大公はよく通る声で、今後の展望も述べる。隣に立つ将来の妻候補(と言わないとリィナが怒るのだ)と共に、信頼回復に向けて真摯に取り組むと。アクラウド公国をよりよき国にするために身を粉にすると。


 演説当初は訝しげな眼差しをしていた国民たちだが、大公の真摯な言葉を聞き、少しずつ表情を緩めていった。最後には、拍手で大公とその妻候補(なぜそんな回りくどい表現なのかは、知らないが)を送り出したという。





 そしてレオン大公はいよいよ本来の目的に移った。


 まずはクラリス・ゲイルード公爵令嬢を始めとした、この一月間で本性を現した令嬢たちへの処罰を下した。彼女らの実家も調べ上げ、前々からレオン大公の鼻についていた連中であればあっさりと処分し、情状酌量の余地がありそうな者は当人たちの今後の行い次第で罰を決定するという。


 クラリスたちに与しなかった令嬢の中で骨がありそうな者は女官や側近仕えを提案し、既に何人かは承諾の返事をしているという。


 また先に宣言した通り、クラリスたちを捕らえるためにレオン大公は長い間、クラリス一味の暴走を見逃したことになる。「お茶会」事件もそうだった。クラリスがリィナの雇い人であるテレーゼを連れ込むまでは、他の令嬢たちを犠牲にしたことになる。彼女らには詫びの言葉を入れたということだから、レオン大公も被害にあった令嬢たちには、罪悪感を抱いていたということだろう。


 レオン大公は七年前、夜の中庭でリィナと出会ったときから今までずっと、彼女を妻に迎えるための準備をしていた。

 歴史深いアクラウド公国だが、大公が平民の妻を娶ったという例は多くはない。歴史を鑑みると、平民の女性を妃に迎えた大公は人一倍努力し、妻を迎える準備を整えたという。生半可な覚悟だと、貴族生まれでない妃はあっという間に潰されてしまう。令嬢や高官に攻撃され、精神を削られ――大公と強い絆で結ばれつつも、心を病みそうになった大公妃は過去にも存在したのだ。


 レオン大公も、絶対的な貴族主義を信条に掲げる者たちを説得するだけの力を、七年間で身につけてきた。そして父の代から不正をはたらいていた者たちを一掃し、己がアクラウド公国の実権を完全に握られるようにするために日々努力を惜しまなかった。


 そして母である太后にも相談し、「全ての責務を負うこと」を条件として太后の名で音楽会を開催させてリィナを出席させた。タイミングよくテレーゼがリィナをかっさらうことになったのだが、クラリスたちを泳がせるため、その後も何度でもリィナをお妃候補合宿(?)に強制的に放り込むつもりだったとか。


 そしてレオン大公の努力(?)の末、リィナはかなり渋い顔をしつつもプロポーズに諾の返事を返したという。





 今回のお妃候補事件において、レオン大公は三つの目的を持っていた。


 まず一つは、先にも述べた腐敗貴族の撤廃。


 二つ目は、将来の大公妃リィナの敵と味方を探すこと。


 そして、三つ目。

 後になってテレーゼたちだけに教えてくれた、レオン大公の目的は――









「ほら、レオン大公がお待ちですよ」


 豪奢な公城の廊下を、テレーゼは歩いていた。

 着ているものは、公都の超有名クチュリエール渾身製作のドレス。作業用のため、袖は短くて二の腕で絞っており、華美さを抑えたデザインとなっている。


 テレーゼの半歩前には、同じく豪奢なドレスを纏った灰茶色の髪の女性が。艶やかな髪はシニョン風にまとめており、知性がにじみ出すような深海色のドレスが美しい。

 テレーゼのドレスよりさらに高価な最高級品だが、やや胸元の防御力に不安がある。


「これ、胸が開きすぎていない? すーすーするわ」

「でもそれ、レオン大公からの贈り物ですし」

「こんな貧相な胸を見せても、一ペイルの価値もないと思うけれど」

「大公殿下にとっては百万ペイルの価値があるのですよ。たぶん」


 そう軽口を叩きながら歩く二人は、以前とは力関係が逆転している。

 テレーゼが敬語を使い、灰茶色の髪の女性が気さくな言葉遣いをする。

 なぜなら、二人は――


「レオン殿下。リィナ様をお連れしました」

「入れ」


 大公の執務室前にて。

 さすがレオン大公、即答だ。

 そして「入れ」と言ったくせに、テレーゼがドアを開ける前に内側からドアが開き、一瞬だけレオン大公の顔が見えたかと思うとすぐさま引っ込んでいった。


 ドアの前に立っていたリィナをかっさらって。


「ちょっ……殿下っ!」

「待っていたよ、リィナ」

「それ以上触ったら実家に帰ります」

「…………分かった」

「分かったなら、早く書類を! 殿下もやってください。判子はどこですか? 領主からの嘆願書には目を通しましたか? 期日の早いものから進めますよ!」

「…………ああ」


 執務室の中からそんなやり取りが聞こえてくる。

 しばらくの間廊下に立ってやり取りを見守って(聞いて?)いたテレーゼだが、一段落付いたようなのでくるりと踵を返す。


 廊下に立つ護衛の騎士たちに淑女の礼をしながら、テレーゼは開放廊下に向かう。風通しがよくて、お気に入りの場所だ。


(……まさか、こんなことになるなんてなぁ)


 開放廊下を歩くテレーゼは、青く晴れ渡った空を眺めて思う。

 本当に、怒濤の日々だった。









 レオン大公が妃候補を集めた理由の三つ目。それをテレーゼが知ったのは、実家に帰ったテレーゼが両親に挟まれる形で応接間のソファに座り、レオン大公側近が書状を読み上げたときだった。


「大公妃殿下を、うちの養女に……?」


 テレーゼの左側に座る父親は呆然と呟く。十二万ペイルにしてもテレーゼが妃候補になったことにしても、彼はずっと領地の方にいたのでいまだに実感が湧いていないのだろう。母親にしても、信じられないものを見る目で目の前の使者を凝視している。


「はい、レオン大公からのご推薦です。リィナ・ベルチェ様は見事『指輪の儀式』にてレオン大公の婚約者に選ばれた女性でいらっしゃいますが、いかんせん彼女は一般市民。リィナ様が大公妃になられるにあたり、リィナ様を国内有力貴族の養女に据えて貴族の身分を与えることを望まれております」


 わなわな震える両親に挟まれるテレーゼは、何とも言えない思いで側近の言葉を聞いていた。実はテレーゼに関しては、城を去る前にレオン大公から直々に、「近いうちに重要な話をしに側近を向かわせるので、そのつもりで」と言われていた。


(でも、まさかリィナを私の義理の姉にするなんて……)


 驚き数値は両親ほどではないが、それでも側近が書状を読み上げたときには跳び上がりそうになった。

 テレーゼは機能停止した父親や難しい顔をして考え込む母親を一瞥した後、小さく手を上げた。


「あの、質問よろしいでしょうか」

「なんなりと」

「リィナ……様をリトハルト家の養女に迎えるとのことですが、残念ながら我が家はそれほど裕福ではありません。将来大公妃となられるリィナ様をお迎えし、そしてレオン大公の元まで送り出せるだけの財力が、残念ながらございませんの」

「……ああ、リトハルト家のことはレオン大公並びにリィナ様から伺っております。その点ならば、ご安心を」


 使者はあっけらかんとして言い放つ。おそらく何も言っていないが両親も、金のことを一番気にしていたのだろう。

 大公妃の仕度には当然金がかかる。豪華なドレスや宝飾品を買うだけの余裕は、ない。


「レオン大公があなた方にお望みなのは、リトハルト侯爵家の名です。今のリィナ様に一番必要なのは、伯爵家以上の名前。リィナ様のご両親は健在です。いわばあなた方には、リィナ様にリトハルト侯爵家の名を与えるための後援者になっていただきたいのです」


 あまりにもあけすけな使者の言葉に、両親が息を呑む。

 一方のテレーゼは、レオン大公の人柄を薄々知っているため嘆息を零すのみだ。


(ああ……確かにあの方なら、そう言いそうね)


 リトハルト家がリィナに与えるべきなのは、貴族の名のみ。書類上リトハルト侯爵夫妻が両親になるのだが、彼女には生みの親がいるため、親らしいことはしなくていい。ただ、「リィナ・リトハルト」の名を授ければいいのだ。


 リィナ以外にはとことんドライな大公の幻が見えるようで、テレーゼは脳内で嘲笑する大公の顔面に鉄拳をお見舞いしておく。


「……お話はよく分かりました。未来の大公妃殿下を養女に迎えられること、大変光栄に存じます」


 フリーズ状態から解除された父親が、ゆったりと答える。


「しかし、我々は侯爵の身分を授かっておりますが、リィナ様の養父母として権限を振るえるわけでも、リィナ様のために何かできることでもございません。それが大変、心苦しゅう存じます」

「そのこともお気になさらず。レオン大公からリトハルト家への対応を伺っております」


 そう言って使者は二枚目の書状を取り出す。先ほどのものよりは少しだけサイズが小さいそれの内容を一通り述べた後、噛み砕いて説明してくれた。


「アクラウド公国ではご存じの通り、貴族の娘が嫁ぐ場合には多額の持参金が必要です。持参金の中にはドレスや宝飾品もございます。レオン大公はこの点に先立って、リトハルト家に『大事な娘を頂戴するための礼金』として小切手を書かれます。その資金でリトハルト家には、リィナ様の花嫁仕度を整えていただきたいと思います」

「小切手……ですか」


 小切手というと、テレーゼの頭金十二万ペイルが誰もの脳裏に浮かぶ。

 なるほど、と唸った三人だが、次なる使者の言葉で仰天した。


「ええ、レオン大公は大公妃を輩出する家であるリトハルト家に大変な恩義を感じてらっしゃいます。よって、まずはリィナ様の支度金として百万ペイルほど」

「ひゃくまんっ!?」


 三人の声が重なり、古びた天井を震わせる。みしり、とどこかで天井の枠木が軋む音がした。

 さしものテレーゼも、予想よりゼロが一つ多い金額に目を剥く。


(リィナの準備に百万! どれだけ大公はリィナ大好きなの!?)


 一国の妃になるのだから、衣装や美容関連に大金をつぎ込むのは、当然のことである。妃が貧相な成りをしていれば、大公の、そして公国の威厳にも関わるのだ。

 リィナの準備に金をかけることは全く意外ではない。だがそれにしても、額が大きい。


 だが使者の言葉はそこでは終わらなかった。彼はリトハルト家三人が貴族らしからぬ反応を示しても一切動揺することなく、レオン大公の書状を読み進める。


「さらに、リィナ様のご実家ということでリトハルト家、並びに生家のベルチェ家にはそれぞれ百五十万ペイルをご準備なさるとのことです」

「ひゃくごじゅうまん……」

「ただし、ベルチェ家は資金の受け取りを最初拒否なさいました。しかしそれではレオン大公のご厚意に背くということで、五十万ペイルだけ受け取り、差し引いた百万ペイルはこれから娘が世話になるということでリトハルト家に譲るようお言葉をいただいております。よって、後ほど三百五十万ペイルの小切手をお送りしますね。そちらの方で、今後の準備をなさるようにとのことです」

「さんびゃく……ごじゅうまん……」


 ついに父親が白目を剥いた。ふらりとその体が傾ぎ、ソファの背もたれに後頭部を打ち付け、昏倒する。

 父親が放心し、母親もくらくらと頭を揺らせている中、使者はとどめの一言を放つ。


「さらに大公妃リィナ様の妹君となられるテレーゼ様には、リィナ様の専属女官として公城に出仕する推薦書も受けております。テレーゼ様がリィナ様にお仕えすることで、レオン大公はリトハルト侯爵家と末永い友好関係を築きたいとお考えです」

「わたくしが……」


 テレーゼは目を瞬かせる。


 リィナがテレーゼの姉になる。


 テレーゼは大公妃リィナの専属女官になる。


 安定した収入は入るし、二百五十万ペイルで領地の整備も実家の増築もできる。

 しかも、貧乏弱小貴族と笑われるリトハルト家は大公妃を輩出した侯爵家となり、大公家とよしみを結べる。


 さらにリィナの方は、実家の両親との縁を切ることなく後ろ盾を得ることができる。


(こ、これ以上とない好待遇! 専属女官! 素敵な響き!)


 ここでテレーゼは、レオン大公の目的を知った。

 レオン大公は伯爵家以上の家柄の娘を集めることで、リィナの姉妹となって将来リィナの養子先になれる家を探すつもりだったのだ。


 過去も平民出の大公妃が養子に入る場合は、既に娘がいる貴族が選ばれていた。いずれ、大公妃の姉妹として出仕させるためだ。


 だからレオン大公は三十人以上もの娘を集めた。平民であるリィナにも優しく接することのできる娘を見つけるために。


 もしクラリスが最初からこの企みに気づいていたならば、間違いなく彼女はリィナの前では猫を被っていただろう。ゲイルード家は公爵家。自分が大公妃に選ばれないとなったなら、女性の最高位は大公妃の姉妹の身分。権力に目がない彼女らにとっては喉から手が出るほど欲しいものだったろう。


 だがレオン大公は敢えて最後まで――当の本人のリィナにでさえ――何も言わなかった。大公と太后の策略で音楽会に出席したリィナに対して正直な心で接し、彼女の信頼を得られるような娘を捜すために。


 そして、テレーゼが選ばれた。リィナを付添人にしたテレーゼが「大公妃の姉妹」の候補に挙がり、そして最終的にゴーサインを出した。


 お金と、安定した職業。それに加え、大公の寵愛を一身に受ける大公妃。


 リトハルト家はこの一月間で、かつてないほどの力を得ることになったのだ。

地味に初登場のお父さん

もう出てきません

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