大公妃の器
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感想があれば、読了後に是非。
「何のために僕が、一ヶ月間も君たちを拘束したと思う? それは、これから僕が妻を迎えるにあたって障害となる者を一網打尽にするためだよ。……というわけで、はい、リィナ。手」
「え?」
いきなり自分に関心が戻り、令嬢たちと同じくレオン大公の言葉に聞き入っていたリィナがきょとんとして聞き返す。それでも体はちゃんと大公の命令に従っており、素直に自分の右手を差し出した。
レオン大公はリィナの手を恭しそうに見つめ、自分の左手を持ち上げた。「指輪の儀式」に使う、魔法が掛かった左手薬指の指輪に、リィナの指先が、触れる。
とたん、間近で見ていたテレーゼがぎょっとして身を引くほど、目の前が鮮やかな色に染まった。赤、オレンジ、白、ピンク色の花が咲き乱れ、リィナと大公が手を取り合う箇所から、次々に溢れ出す。
ここしばらくの間にメイベルからたくさんの花の名前を教わってきたテレーゼだが、あまりにも目まぐるしく大量の花が湧き出るため、それら一つ一つの名前を確認することもできない。
――大公家に伝わる指輪に触れ、大輪の花を咲かせる力を持つ者が次の大公妃である――
リィナは、大公妃に選ばれたのだ。
レオン大公は微笑み、右手で花のひとつを摘み、愕然とした表情のリィナの髪に挿した。リィナの灰茶色の髪にもよく似合う、純白の小さな花だ。
「……覚えてる? リィナ。七年前も僕たちはこうやって、手が重なり合った。その時、指輪から一輪だけ、白い花が咲いたんだよ」
「……………え? …………あれって……手品じゃ……」
どうやら七年前にも同じようなことをしたのだが、リィナ本人は手品だと思いこんでいたようだ。
確かに、アクラウド公国に伝わる伝承は「大公妃が指輪から大輪の花を咲かせる」である。ぽんっと一輪だけ現れた花を見て、指輪に選ばれたと思うよりも前に器用な手品だと思うのも致し方ないだろう。しかも当時のリィナは大体十三歳。ノエルもといレオン大公の正体も知らない状態でそこまで予想することもなかったのだろう。
「うーん……確かに僕も、あの場を紛らわせるためにそう言ったかもしれないけど。でも、これが決定的な証になったね。僕は七年前からずっと、君を妃に迎えるつもりだったんだ。たぶんあの時は僕たちはどちらも子どもだったから、一輪だけで終わっちゃったんだろうけどね」
そこでレオン大公はふと、笑みを深くした。リィナのことを考えているときの柔らかい笑みとは違う、策略家の笑みの方だ。
「それにしても、長かったなぁ。リィナが平民だと分かると、すぐに君を迎えることはできないからね。おまけに僕も君も子どもだったし。君を妃に迎えても、邪魔な羽虫共が湧いてくる可能性もあったし。そういうわけで僕は一月前、国中の有力貴族位の娘を集めたんだよ。全部、君のためだ」
「……私の?」
「そう。君を害する可能性のある貴族をまとめて始末し、逆に君の助けになりそうな貴族を見出すために一月間、我慢したんだよ。僕が妃候補たちの闘争に関心がないと知ると、いやぁみんなあっという間に本性を現すものだから。大きな釣り針に引っかかってくれてありがとう、クラリス嬢並びにその他大勢の皆様」
そう爽やかな声で切り捨てられて、クラリスたちは気づいたようだ。
この一月間のお妃候補合宿(?)そのものが、レオン大公の仕掛けた盛大な罠だったということ。
三十数名の令嬢から妻を選ぶつもりはなかった、それどころか既に運命の妻とは出会っていたことを知っておきながら、会を進めたこと。
自分たちの本性を暴かれ、これからの貴族人生を叩き潰されたこと。
臣下にさえ真実を隠した大公は、大嘘付きのレッテルを受けてでも、詰られてでも、立場の弱い未来の妻を守りたかった。
「君たちもそうだけど、君たちの父君や兄君も邪魔な人が多いんだよね。父上の代にやりたい放題した連中ね。僕も一月間で調べ上げたんだよ。賄賂、無申告の増税、資金の着服……いろいろ出てきたよ。そういうの、僕の代ではいらないから。まとめて処分するから、そのつもりでね」
「……殿下、わたくしたちを嵌めたのですね……!」
ついにレオン大公の前でもクラリスの仮面が剥がれ落ちた。
地の底から這うような声で恨み言を吐かれて、レオン大公は端正な顔をわずかにしかめる。
「……そうだ。僕は全国民を嵌めた。騎士たちも、君たち高位貴族の令嬢たちも、多くの人たちを。だから君の言葉を否定することはできないし、否定するつもりもない。僕の我が儘で振り回した者たちに詫びなければならない」
レオン大公は静かに言い、そしてリィナに向き直った。とてつもなく、甘く優しい微笑みだ。
「……リィナ。七年待たせたね。僕と結婚してくれる?」
「…………はぁ?」
「あ、『やっぱ無理』っていう選択肢はないからね? 君もノエルのことは好きだったんだし、何よりも指輪も君を選んじゃったからね。指輪が反応したってことは、僕たちの相性はばっちりなんだから。性格もそうだけど、体の相性も」
「…………人前で何を言っているんですか」
「あはは、真っ赤になっちゃって可愛い。でも、最優先事項だよね? 僕は君に世継ぎを生んでもらわないといけないし、体の相性って大事だと思うよ?」
からからと笑う大公。そんな彼を、頬を赤らめつつもなかなか凶悪な眼差しで見つめるリィナ。
テレーゼはそんな二人を、はらはらと見守っていた。おかしい。一世一代のプロポーズ場面だというのに、当のリィナはレオン大公のきれいな顔面に拳を叩き込みたそうな顔をしている。
(もし乱闘になったら、止めに入るべき? ……えっ、どうしよう?)
ちらっとテレーゼはジェイドの方を見やる。他の騎士たちよりは比較的落ち着いた様子で事の次第を見守っていたジェイドが、テレーゼの視線を受けて振り向く。
彼は、ゆっくり首を横に振った。
なるようになれ、とのことだろう。
(了解デス、ジェイド隊長)
テレーゼは心の中で敬礼を返し、ジェイド隊長のご命令に従うことにした。ひとまず、様子見だ。
「……そうですね。どうやら私以外の女性ですと荷が重すぎそうですし。うだうだ言わずに引き受けるのが道理でしょう」
リィナが徐に答える。とたん、レオン大公の頬がだらしなく緩む。
――だが、しかし。
「ですが! このまま諸問題を放置してあなたの妃になるつもりはありません。レオン大公殿下、私はあなたに対して怒っているのですよ。そこのところ、分かってますか?」
だん、とデスクに手のひらを打ち付け、低く唸るように言うリィナ。
アクラウド公国のトップを前にしても遠慮しないその態度に、数名の令嬢たちが卒倒した。ごん、と後頭部を床に打ち付けて、痛そうだ。
リィナは腰に手を当て、ぼーっと立ちつくしていたテレーゼの方を手で示してくる。
「この一月間の殿下のご意向はよく分かりました。しかし、テレーゼ様を始めとした令嬢の多くが傷つき、辛い思いをしたことは否めません。ジェイド殿たち近衛兵も同じです。もちろん、クラリス様たちだって。私のためとはいえ、『大公妃候補選出のため』と皆を欺いてきたことをすんなりと受け入れることはできないのです」
レオン大公が目を丸くして、目の前の女性を凝視している。澄ました顔をしているときは静かな威厳がある彼だが、今は十九歳という実年齢を遥かに下回る、幼い少年のような顔をしていた。
「つきましては大公殿下、まずはこの一月間の出来事に関する後始末を致しましょう。全国民への事情説明、実家に帰った令嬢たちのケア、殿下の信頼回復…………もちろん当事者として私も殿下に随従いたします。プロポーズの件は全てが終わってから、でよろしいですね?」
「リィ――」
「よ ろ し い で す よ ね ?」
「………………ああ」
まさかの、返事保留。しかも、「ちゃんとお片づけができたらね」との条件付き。
令嬢たちのみならず、壁際に控えていた騎士たちの顔も白っぽくなっている。テレーゼはふぅむ、と口元に手を宛った。
(うーん……なるほど。指輪がリィナを選んだ理由、分かった気がするなぁ)
レオン大公の妃としての器。レオン大公が必要とする妃の素質。
それは、クラリスたちはもちろん、テレーゼだって逆立ちをしても持ち合わせることのできない天性の資質だった。
一人納得したテレーゼはなんとなく気分がよくなって、唇の端を持ち上げてにっこり笑う。
思っていたことも燻っていたことも、リィナが代わりに吐き出してくれた。
(……一月間のしっぺ返し、しっかりと堪能してください、大公殿下。リィナは容赦しない人ですからね!)
そんなテレーゼを、少し離れたところからジェイドが優しい眼差しで見つめていたことに、テレーゼは気づかなかった。
リィナは もうじゅう(たいこう)つかいに てんしょくした!




