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大地の宝石  作者: 森宮 スミレ
〜第四章 輝く貴石〜
150/171

契機 5

「セリア。ハッキリと言うわね。それは無理よ」

「へっ?…… えっ!?ど、どうして?」


 無理、と言われた意味が分からずに思い切り身を乗り出した。

 どういうことだ。何故、そんな言葉が飛び出す。


「その、結婚が出来ないって言ったのは、今の話で。別にずっと無理だって言ってる訳じゃ……」

「そうじゃないわ、セリア。貴方にイアンさんを幸せにすることは無理だって言ったの」


 何故だ?と目で訴えるセリアの疑問をカレンは優しげな笑みで弾く。


「セリア。実はね、貴方にずっと黙っていたことがあるの」

 唐突な話にセリアは思わず首を傾げるが、カレンがそれに構わず言葉を続けるのでセリアも黙って続きを聞いた。

「ギルは私を凄く好きでいてくれるでしょう」

「そ、それは」


 それは疑うまでもなく、そうだと言える。あんなにカレンへの愛情を隠しもせず、また優しげに彼女を見守るギルを、セリアは少し前まで毎日の様に見ていた。学園に入った後も、久しぶりに見た二人の仲は変わらず、本当に幸せそうだったのだ。


「でもね、私、実は他に好きな人がいるの。でもギルの為に婚約したのよ」

「……えっ?」


 あまりの事に、セリアは驚きで声が出なかった。喉が引き攣り、頭を殴られたかのような眩暈を覚える。

 どういうことだ。ギルと愛し合って結ばれた訳ではないのか。だとしたら、今までの二人のあの様子は一体何だというのだ。

 ギルは、あんなに幸せそうだったのに。カレンも同じくらい幸せだと思っていたのに。


 と、そこまで考えて流石のセリアも引っ掛かりを覚え、カレンの言葉の真意を理解する。


「……嘘、だよね?姉様」

「あら、バレてしまった?ええ、嘘よ。私もギルを心から愛してるわ」


 途端にカレンが冗談めかして言うものだから、やはりか、とセリアは思わず脱力してしまった。自分とイアンのことをカレンとギルに置き換えて見せたのだ、カレンは。


「セリア。今の話を聞いてどう思った?」

「えっ?あの、えっと……」

「とても悲しそうな顔をしていたわよ」

「だってそれは、ギルと姉様は、ちゃんと好き合ってると思ってて。ギルも、姉様と一緒で凄く幸せそうで。なのに」


 なのにそれが、偽りだったと聞かされたのだから。もし、それをギルが知ったらと思うと。

 そこまで来て己の考えにハッと息を飲むとセリアは思わず言葉を失った。その表情に、カレンもまた真剣な雰囲気を戻す。


「貴方がしようとしているのはそういうことよ」

「そんな…… でも、だからって」


 だからといって、簡単に納得出来るようなものではない。今でも、もし求婚を断ったらイアンがどんな想いをするかと考えただけで背筋が寒くなるのに。

 どうすればいいのだ、とセリアは懸命に考えた。


 イアンの好意を断る、という選択肢はセリアの中にはどうしても無い。しかし、イアンが自分へ向けている様な感情も、イアンが望んでいる感情も、自分の中に無いことはセリアも自覚してしまった。むしろ、その想いに近いものは……


 と思考にあの銀髪が紛れそうになったところで、セリアは反射的にそれを振り払った。カレンのついた嘘のような状況には出来ない。

 そもそも、自分の内にある想いが、好きだとか恋だとかの感情ではないかもしれないではないか。と、思いついた考えにセリアはまるで希望を見出したかのように縋る。


 そうだ。彼とはなにかと意見が衝突することもあるし、口は厳しくとも正論を語る彼に表情が緩んでいると言われてショックだったのも事実。気を引き締めねばと考える内に、必要以上に意識してしまっていたのかもしれない。


 そうだ、そうだ、と無理やり自分を納得させていくセリアの考えが伝わったのかそうではないのか。

 少なくとも、まともな考えではないだろうと予想出来てしまうカレンは、紅茶カップをソーサーに戻す手に少し力を入れた。


 カチャン、と小気味良い音にセリアはハッと正気に戻る。


「セリア。もう一度言うわね。貴方にイアンさんを幸せにすることは無理よ」

「……ど、どうして!?だって、それじゃあ」


 それではダメだ。自分はイアンの望みを叶えたい。自分に彼を幸福に出来ることがあるなら、その方法を知りたいだけなのに。


「少し厳しいことを言うけれどね、貴方は器用な子ではないでしょう」

「えっ?えっと、あの……うん」

「それに機敏でもない。頑固な所もあるし、こういう婚姻や恋愛事の経験が豊富なわけでもないわね」

「う、それは、その……」


 返す言葉が無いとはこのことだろう。確かにカレンの言う通りだ。

 しかし、それがなんだというのか。


「嘘や誤魔化し、他人との騙し合いが好きでもないでしょう」

「それはそうだけど、でもそれが」

 それがどうしたというのだ、という言葉は次のカレンの言葉にかき消された。


「でも、貴方は嘘を着こうとしているのよ」

「っ!?」

「イアンさんの求婚を受ける時。婚約するとしたらまたその時。それを発表するとき。結婚するならその誓いの時。その後もずっと。イアンさんを含めたこの世の全ての人に、これからずっとその嘘を着き続けることになるのよ。

 貴方に出来る?絶対に、誰一人にも悟らせずに、何があってもその嘘を、永遠に、死ぬまで貫ける?これから毎日イアンさんに同じ嘘を着ける?」

「そ、それは……」


 目の前が暗くなったような気がした。手足の先から寒気が這い上がる。頭は鈍器で殴られたように、胸は刃物で刺されたかのように痛い。


「もしその嘘がバレた時、イアンさんがどれほど不幸になるか。貴方も分かるでしょう」

「だ、だって。でも」


 考えが回らない。体中が痛くて寒くて、眩暈に視界が歪みそうだ。

 しかし、それでも納得は出来なかった。


「でも…… でも!今ここで断ったって、またイアンは傷付くよ!答えを先延ばしにしたって、何時になるか分らない。このままにもしておけないの」

「だから言っているでしょう。貴方にイアンさんを幸せには出来ないのよ」


 あまりにもきっぱりと言い切られ、セリアは反論の余地を失ってしまう。


「もっと器用で嘘も上手な、自分の気持ちも割りきって相手に合わせられるほど柔軟で、男性とのお付き合いの仕方を知ってる女性なら、自分も他人も不幸にさせないことは出来るでしょうね。でも貴方は違うわ。素直で頑固。自分の気持ちに嘘が着けない」


 グサグサと痛いところを突いてくる言葉は的確だ。ぐぅの音も出せずにセリアは、カレンの言葉に自覚せざるを得なかった。


 カレンの言う通り、セリアは自分が器用だなどとは口が裂けても言えなかった。そして、騙し合いを好ましいとも思ったことはない。

 そしてこの場合望まれる器用さとは、イアンも他の友人も、それこそ他全ての人をこの先一生涯騙し抜けるかというものだとも、理解していた。


 そしてここまで説得されれば、幾らセリアとてカレンの引き出したい答えを察した。カレンにとって最善だと思えるのだろうそれは、しかし自分にとっては最悪なものだ。


「……姉様の言う通り、嘘を着いていいことになるとは思ってない。だけど」

「セリア」

「だけど、だからって…… じゃあ姉様、どうしたら。どうしたら私はイアンを好きになれるの?どうして好きになれないの?」

「セリア。今の貴方なら、もう分かる筈よ。その考えがどれほど愚かで、見当違いなものか」

「っ!?」


 否定された言葉と同じように、セリアは自分の胸を斬られたような感覚になる。

 言いたいことは分かる。イアンやルネの想いを見て、自分の中にももしかしたらという想いを感じて、それが『どうしたらそうなる』という類のものではないと。『どうしてそうならない』というものでもない。


 けれど、それでは何も解決しないのだ。


「だって…… だって、私一人なの!私一人がそう思えたら、全てが上手くいくの。だから」

「……」

「だから、だから」


 カレンの困ったような視線からセリアは必死に目を反らした。彼女の考える最善は、どうしたって最悪にしか思えない。


 そんなセリアに、カレンは仕方がないと言いたげに息を漏らすと視線を和らげた。セリアの思い込みの激しさと、信じ込んだ時の頑固さは彼女も承知している。そして周りがそれを止めようとすればする程突き進もうとする意固地さも。


「セリア。話は変わるけどね、貴方に伝言があって私は来たのよ。イアンさんも無関係じゃないけれど」

「伝言?」

「ええ、叔母様からね」

「え、……か、母様、から」

「そう。イアン様からの求婚への返事を早く出しなさいということなんだけど」


 言われてセリアは、本当にもう猶予は無いのだ、と自覚した。イアンの求婚は勿論自分の実家の方へも報せは届いている。それを、あの母が何時迄も放置している筈がなかったのだ。


「叔母様は一刻も早く貴方の婚姻を纏めたいようだし、いいお話だとも言ってたわ。そのことで貴方の答えを聞きたいと、一度実家に顔を出すようにとの伝言よ」

「い、何時?」

「遅くとも数日の内には。出来るなら明日明後日にでも」

「そんなに早く……」


  あの母はセリアの婚姻が纏まることこそを目的としており、貴族の出でさえあればそれほど相手に固執はしていない。むしろ、あんな娘を引き取ってくれるという話があるならば、とも思っている。

 本人が望んだ相手に受け入れられなかった過去から、セリアに愛を示したイアンと結ばれるのを苦く思うのでは、ということも無い。

 婚姻の申し込みがあったなら一分でも一秒でも早くそれを確固とし、貴族令嬢として嫁ぐことを強く望んでいるのだ。


 母親もそれを望んでいる。そう言われセリアはますますイアンとの結婚を承諾せねば、との思いに駆られた。


 求婚を受け入れるだけで全てが上手くいく。


 そう思えば嬉しい筈なのに、何故か手先が冷え小刻みに震えた。

 もう決めなければ。これ以上考えるな。そう言いきかせなければ、自分を奮い立たすことが出来ない。


 セリアの震える手をチラリと一瞥したカレンは、その手に己のそれを重ねながら最後に、と口を開いた。


「セリア。こういう時はね、イアン様や他の人を幸せにすることを考えてはダメ。貴方が出来るのはね、貴方自身を幸せにすることだけなのよ。それを理解して」

「……私自身?」


 唐突な言葉にセリアは面食らったように目を白黒させる。自分自身なんて、それまで渦中の中心にいることを自覚していなかったセリアには理解の難しい言葉だ。


「貴方の幸せは、貴方の胸の内に居る方の傍ではなくて?」

「そ、そんなこと…… 分らないけど」


 自分の幸せだなんて、考えていなかった。けれど、そう言われてまた胸に過ったのはあの男の銀髪だ。


「それさえ覚えていてくれるなら、私は貴方の選ぶ道を応援するわ。でもね、私は貴方に幸せになって欲しいの。私のこの気持ちも、理解してくれるわね」


 フワリと重ねられた手が温かく、顔を上げたセリアの目にカレンの優しげな瞳が写る。


「私に出来ることならなんでもするわ。けれど、貴方自身がその決断の先にあるものをきちんと見ていないとダメよ」

「姉様」

「だから貴方がイアンさんにどんな答えを出すにしろ、ちゃんと考えておきなさい。貴方はその選択をしたとき、幸せだと思えるのか、それとも苦しいと思うのか」


 それ以上は説くことも責めることもしないとばかりに、カレンの周りの雰囲気が柔くなる。その空気にセリアは、未だ指先に冷さを感じるものの、なんとか小さく頷いた。


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