衷心 1
腕を掴まれたセリアが、引き摺られるようにして隠し通路を抜け出た場所は、王宮の裏手に広がる森の中だった。その出た場所のすぐ近くには馬が繋がれており、ヨークが鞍を用意し始める。
迷路の様に入り組んだ複雑な通路を、まるで熟知しているかのように抜けたヨークに、セリアは思わず疑問を漏らした。
「あ、あの、どうしてヨーク先生があの通路を……?」
「幾つか脱出経路を確保しておくのは当然です。貴方も、今後も無茶を繰り返すつもりなら、覚えておいた方がいいですよ」
「ええっと、はい。そうします」
なんだか棘を含んだ言い方だが、そう言われるのも無理は無いと自身の無茶ぶりを自覚しているセリアは頷いた。むしろ彼の言う通り、今後は脱出の手段を考えてから踏み込んだ方がいいかもしれない、とまで思い直す。
「貴方はもう結構ですよ。早くお仲間の所へ戻ったら如何です。それとも、私を捕まえますか?」
「あの、役目ってなんですか?」
「……先ほどハガル様が仰ったでしょう。内情の証拠隠滅ですよ」
「それって、つまり……」
つまりは、キースレイ達のこれまでの行動を示すものを全て抹消しにいくということ。
「各国の要人との密書や、革命児達のリスト等がまだありましてね。万一それが漏れれば、ハガル様達の死が無駄になる。さあ、貴方は戻りなさい。もう二度と会う事は……」
「ルネも!ルネもそこに居るんですか?」
そこでハッと思い付くと、セリアは必死に詰め寄った。そんな縋る様な目で迫る様子に、ヨークは冷たく一瞥する。
「ええ、居ますよ。ですがそれを知って、貴方はどうするというのですか?」
「えっ?」
「貴方としても、彼としても、もう会わない方が賢明ではありませんか。こうなった今、彼は貴方にとって私以上に危険ですよ。第一、彼に会って何をするというんです」
「それは…… でも」
言い淀むセリアから視線を外し、ヨークは鞍の留め具の具合を確かめるが、それも終わった様でヒラリと馬の背に上った。
「貴方も、出来れば会いたくはないでしょう」
「それでも!」
セリアは咄嗟にヨークが走り出してしまわないよう、その手綱を下から掴む。いきなりの強い声に驚いたのかヨークは目を見開くが、そんなことは構わずセリアは力強く見返した。
「私は、ルネに会わなきゃいけないんです。こんな形で終わらせたくない」
「………」
そう懸命に見上げてくるセリアは必死だ。恐らくそれなりの覚悟もあるのだろう。しかしどう考えても、セリアの手に負える状況ではないのだが。
だが、あの青年を救えるのも、この少女だけである。
「………なら、乗りなさい」
「はい!」
セリアはコクリと頷くと、しっかりとヨークの差し出した手を取った。
セリア達が消えた扉を候補生が咄嗟に開くも、そこから既に人影が消えていてた。
「馬鹿な……」
言葉を失う候補生達の後ろから、同じくセリアを追ったジークフリードも中を覗き、顔を歪めた。
「恐らく、壁を入れ換えたのだろう。この通路の仕掛けまで知っているとなれば、何処へ行ったのかは……」
入り組んだ通路を正確に把握されていれば、この王宮周辺だけでも出口は幾つも選べる。しかも、王都の幾つかの要所への通路を考慮すると、範囲は限りなく広がってしまう。
有事の際に国王を逃がす筈の仕掛けが、反逆者を人質と共に逃がす手伝いをしてしまうとは。本来なら王族やそれに近しい者以外がこの通路を使う筈など無いというのに。
けれど絶望ばかりもしていられない。なんとしてでも早急にセリアを連れ戻さねば、と候補生達はヨークの行き先に頭を悩ませた。
「とにかく、すぐにでも追うぞ」
「考えられるとすれば、ヨークの言葉の役目ですが」
「一体何だ、役目とは……」
この場で起こった惨劇の真実を見ていない候補生達には、脳内で処理するには難しい問題だ。
戸惑う彼等の様子に、横から怯えをふんだんに含んだ声が割って入った。
「あ、あああ、あの……」
「貴方は……ニイ・ドレイシュ殿」
「は、はははい。すみません、ニイと、もも、申します。さ、先ほどのヨークの…… ヨーク殿の言った役割とは、そ、その、証拠等の処分だと、か、かかか、考えるのが、だ、打倒ではないかと……」
非常に聞き取り難いが、かの有名なマリオスの貴重な意見を聞かない訳にはいかない。どういうことなのか、と先を促せば、ヒイッと怯えられてしまった。
「も、もも、申し訳ありません。こ、これは私の推測でして。ででで、ですが、今回の計画を露見させない為に、い、い、いいいい、い、命まで、な、投げ打たれたハ、ハガル様の残した役目となれば、そ、そうなるのでは、と」
短い説明では、この場で起こった事全てを把握するには至らないが、大方の察しをつけるには候補生達には十分だった。
「ならば、行くとすればマリオス様の屋敷か。恐らく、人目につき難い場所。ここからの距離も想定すれば、絞り込めるのでは。どうか、考えられるマリオス様の屋敷、もしくは別邸をお教え下さい」
ランの言葉にニイも強く頷く。
「は、はい。考えられるとすればあそこでしょうし、ささ、攫われたセ、セリア様も心配です。す、すすぐに、捜索隊を……」
「なりません!」
途端に横から強く咎める声が掛かった。ニイなどは飛び上がったが、驚いたのは候補生達も同じだ。声のした方に視線を飛ばせば、難しい顔でこちらを睨む残された数人のマリオス達。
「ニイ殿。捜索隊はいけません。今、騒ぎを起こせば今回の騒動が露見してしまいます」
「それに我々はこの事態をどう処理するかで手一杯の筈だ。軍や警備隊は動かせん」
「でででで、ですが、一人のじょ、女性が、セリア様が……」
「あの男も言っただろう。この場から逃げられれば無事解放すると。キースレイがそれほど目をかけた男。今更自分の状況を理解出来ないほど愚かとは思えん」
「確かに、今更一人で謀反も無いだろう。だとすれば、娘が解放されるのを待つ方が、むしろ安全だ」
「そ、そ、それは…… 確かに、お、おお、仰る通り、ですが……」
唐突に事件を起こすだけ起こしてこの世を去ったキースレイ達。国の中枢であるマリオスの半数を失う事態だ。しかも、謁見の間の床に血溜まりを作りながら倒れ臥す形で。
今は早急にその処理を必要とされている。しかも、内密に。
「確かに、マリオス様達の意見も一理あるわねえ」
女口調の声が響けば、その場の注目が彼に集まる。緊張の糸が張り詰めるこの場をものともせず、相変わらずの本気なのだか冗談なのか解らない様な口調だが。
校長の横で控えていたクルーセルが、一歩踏み出しながら口元に手を当てた。
「ヨーク君やハガル様の言葉に嘘は無いだろうし、今更セリアちゃんを傷付けても、何の意味も無い。そんなことするヨーク君じゃないし、むしろそんな時間で証拠隠滅を急ぐ筈。それに放って置いた方が、むしろこの事態を隠したい私達にとって好都合。だとすれば、捜索隊なんて仕向けるのは、彼を一層刺激するだけだわ。そうでしょう、ジークフリード君」
「……クルーセルさん」
親しい呼び方に一瞬の気まずさを覚えながらも、ジークフリードは冷静に頭を働かせた。
「……仰る通り。騒ぎを起こせば、それだけヨークを刺激し、しかも今回の件が露見する恐れもある。それに、ヨークの行動を止める理由は無い。セリア嬢の事は気になるが、逃走の為の人質なら、解放は早い筈だ。保証は無くとも、何もしない方が安全とも言える。それにハガルの言った様に、この件を公には出来ない。となれば、セリア嬢が解放され、戻ってくるのを待つしか……」
「戻ってなど来ない」
ジークフリードの言葉を遮ったのは、まるで相手を威厳する地を這う様な声だった。その正体は、これまでずっと変わらずに冷静さを貫いていた筈の男。だから、誰もが一様に驚いた顔を見せる。が、そんなことは気にしないのか、その冷たい瞳を揺らしたカールが、更にその眼光を鋭くした。
「あの娘は、大人しくここへは戻りません。必ず、要らぬ事を考え、こちらの予想を見事に裏切り、馬鹿正直に突っ走り、愚かにも敵の懐までノコノコと着いていくでしょう」
なにやらセリアを貶している様にも聞こえるが、そんなことを突っ込んでいる場合ではない。
「捜索隊には頼りません。どうせ、役には立たない。その代わり、今直ぐに心当たりのあるマリオスの別邸の場所をお教え願いたい。あの娘を連れ戻すのは、我々の役目です」
「……………」
キッパリと、何者にも邪魔はさせないと語り掛ける様な眼光に、誰も物を言えなくなる。
さっさと教えろ、と高圧的な空気を醸し出すカールは、けれどこの場においては、らしくないとも言えた。一歩間違えれば、不敬に問われるギリギリの態度だ。普段の冷静を絵に描いた様な男とは思えない。
彼自身も常に敬意を示していたマリオスや国王の前で、ここまで言葉を選ばないカールは、表情こそ普段と変わらないが、もしかしなくとも動揺しているのか。
けれどその変化を気にする程余裕のあるものは居らず。
自分達で救い出すというカールに、ジークフリードはゆっくりと頷いた。




