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大地の宝石  作者: 森宮 スミレ
〜第四章 輝く貴石〜
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疑念 5

 セリアが震える唇を叱責しながら必死に言葉を探している内に、先程見付けた家の前まで連れて来られた。すると、それまでは気付かなかった刺激臭にセリアは眉を歪める。


「油……?」


セリアが疑問を口にし、瞬間その意図を理解した時には、点火されたマッチがルネの手から放物線を描いた後だった。あっ、と思う間もなく、目の前の家が炎に包まれる。


「きゃぁっ!!」


途端に襲った熱気にセリアが固く目を瞑れば、炎から守るように向きを変えたルネの背に庇われた。


「残念だったね、セリア。ちょっと遅かったよ」

「………ここに、何があったの?」

「さあ、なんだったんだろうね。そう怒らないでよ」


やはり、ここには何か見られては拙いものがあったのか。そんな意味を込めてセリアが視線を強くすれば、ルネは楽しそうな笑みを浮かべながら、何だと思う?と囁いた。そんなこと解るはず無いし、聞いたとしても答えなど返ってこないだろう。



悔しさに視線を逸らせば、少し遠くからザウルの焦った声が聞こえた。


「イアン!一体、何が?……セリア殿は!?」

「ザウル!!」


裏庭の一角で燃え上がった炎に気付き、慌てて駆け付けたザウルは蹲り負傷したイアンに焦りを募らせる。けれど、切迫したセリアの声が聞こえた方角を視界に映した瞬間、更にその目を見開いた。


「………ルネ」

「ザウルも居たんだ。久し振りだね」

「これは、貴方が……?」

「あれ、見て解らない?」


まるで何とも思っていないかの様な声。セリアを人質とも呼べるような状態で捕らえたまま、ザウル達との距離を計っている。


そんなルネの動向を睨みつけながら、ザウルは脇のイアンの肩と足の弓を引き抜いた。其処からまた流れ出る鮮血に手当てをと考えるがイアンがそれを制する。


「構う、な。俺なんかよりも、ハァ…… アイツだ」


苦しげなその声に、ザウルもそれがただの矢傷では無いと察しを付け、早く病院へと思うが、そんな訳にもいかない。



未だゴウゴウと音を立てて燃え盛る家を背後に立つルネへ、ザウルとイアンは改めて視線を向けた。


「ルネ。その方から離れて下さい」

「イヤだよ。折角会えたんだから、もうちょっとこのままがいいな」


茶化す様な口調はそのままに、僅か恍惚の色を混ぜた瞳で鼻先をセリアの首筋に埋めるその姿に、ザウルも思わず拳を握った。


一歩も動けない。そんな雰囲気の中で睨み合いを続ける青年達の間で、セリアは背筋から這い上がってくる恐怖と必死に格闘していた。けれど、足先から冷水を浴びせられたような寒気を振り払えないのだ。

ルネに会ったら聞きたいことも言いたいことも山ほどあった筈なのに。それなのに、確認しなければいけないことも、伝えなければならない言葉も、全てが頭から飛んでしまって一つも思い出せない。


首筋に感じる吐息から必死に顔を逸らしていれば、クスリと耳元で笑い声が響いた。


「震えてるよ。可愛いね、セリアは。何時もの威勢が無くなって、まるで子兎みたい」

「ヒァッ!?あ、いやっ!!」


耳を甘噛みされ、思わず肩が跳ねた。ゾクリと走った悪寒に、あの日ルネに組み敷かれた時の恐怖が振り返す。咄嗟に首を逸らして逃れようとするが、首に廻された腕にグッと拘束を強められた。



「おっと。二人とも、動かない方が良いよ」


目の前の光景に思わず足を動かしたザウルも、フラつく頭のまま飛び掛ろうとしたイアンも、その前にルネが再びセリアの首筋に当てたナイフで動きを封じられた。


 ルネはその様子に満足気に口端を吊り上げる。すると、悔し気に奥歯をギリッと噛んだイアンが、腸が煮えくり返る想いでルネを睨みつけながら吐き捨てた。


「お前に、出来るのかよ!」

「……なに?」

「そいつを傷つける事が。いざって時に、そいつの首にそのナイフを突き立てられるのかって聞いてんだ!!」


「………出来ないとでも思ってるの?」


一瞬、本当にルネの声かと疑うほどに低く響いたその声と同時にセリアの首筋に当てられたナイフが僅かに肌を裂いた。チリっとした痛みと同時に流れ落ちる血が、刃筋を伝いルネの手を汚す。


「悪いけど、そっちが考えてる程僕は正常じゃないよ。ほら、良く言うでしょ。好きな子を殺して自分も死ぬって。三文芝居並みだけど、どうしても手に入らないなら、って心境かな、今は」

「なんだと……」

「だって可愛いんだもん。ねえ、僕のセリア。予定じゃなかったけど、このまま攫っちゃおうかなぁ。それが出来ないなら、もういっそここで誰のものにもならないように……殺しちゃおっか」


まるでこの世の終わりを見ているかのような。絶望の色を濃く写す瞳で震えるセリアの首筋に、ルネが再び口付ける。そのまま滴った血を舐めとるように白いうなじに舌を這わせた途端、イアンの頭で血管が切れる音が響いた。


「っざけるなぁ!」


まるで獣が咆哮するかのような声に、状況に置いてけぼりを食らっていたセリアも目を見開く。そんなことまるで気づいていないかのように、恐ろしい形相のイアンの瞳がギラついた。


「そいつは……」


まるで獲物を狙う獣。手負いの足でそれでも立ち上がったイアンの、まさに捕食獣の様な瞳が見詰める先は、ルネでは無くその横の少女だった。


そんなイアンが続けようとする言葉を理解したと同時にザウルはまずい、と直感する。


「イアン?いけません!」

「そいつは、俺のっ」

「イアン!!」


続きの言葉は上から咄嗟にイアンを押さえつけたザウルが切った。首根っこから地面へ押し付けられ、グッと苦しげな呻き声が洩れる。


相手は怪我をしているとか、ルネから目を離すべきでないとか、そんな事に気を回している場合ではなかった。


つい先程自分でも言っていたではないか。今ではないと。ルネだけの気持ちですら受け止めきれず不安定な状態で、それでも己を奮い立たせているセリアに、その心をぶつけるのは、今ではないと。

もし今イアンがその言葉を叫んでいれば、幾らセリアとてその意味を理解しただろう。


青の盟約の件を有耶無耶にしている状態だからこそ、保てている現状を壊してどうする。ましてや、こんな状況で。

 ルネの狂気に震える彼女に、獣の欲望をぶつけるなど。



ザウルがイアンを押さえつける為ルネから意識を逸らしたその瞬間、すぐ傍の林から馬の蹄の音が迫ってきた。と同時に現れた馬車にルネ以外の三人の意識は奪われる。


まるで、それを待っていたかの様にルネはニヤリと口角を吊り上げると、セリアの拘束を解き馬車が迫ってきた方とは反対側へ突き飛ばした。


「またね、セリア」

「待ってルネ…… 先生!? 」


まるで計っていたかの様なタイミングで突っ込んで来た馬車に飛び乗ったルネと、それを確認した途端に馬を走らせた御者台に座る男、ヨークにセリアは咄嗟に手を伸ばす。けれどそんな呼び掛けに彼等が答える筈もなく。林の中を直ぐに遠ざかって行った。


「バッチリなタイミングでしたよ。流石、元御者やってただけありますね」

「何故彼女達が此処に?」

「偶然みたいですよ。でも残念だったなぁ。折角だから連れてくればよかった」

「二人乗りですよ。この馬車は」


そんな会話をする二人は、追手が掛かる前にと小さな馬車を急がせた。






直ぐに見えなくなった馬車を追うことも出来ずに、セリアは呆然とそれが消えた方向を向いたまま地面に膝を付いた。そのまま自分で肩を掻き抱くが、震えが収まらない。


何も、何も出来なかった。彼を見て、何も言葉が出てこなかったのだ。あれほど彼と次に会ったら、と覚悟していた積りだったのに。以前の優しさや笑顔がまるで消えて、別人の様に冷たい雰囲気のルネに、絶望で目の前が暗くなった。


まだ首筋に彼の吐息の感触が残っている。彼は言ったのだ。自分を殺すと。突き付けられたナイフに貫かれたかと錯覚するほど。それほど彼の本気を感じた。


 殺気なんて、以前も向けられたことがあるのに。でも、そのどれとも何処か、何かが違っていて。何かが……



「セリア殿!」


耳に聞こえたその声に、セリアはハッと我に返った。視線を向ければ、ザウルがその肩を揺すっている。彼が傍に来た事にすら気づかない程、放心していたようだ。


「ザウル…… そうだ、イアンは?イアンが怪我を」


彼を貫いた矢を思い出すと同時にセリアは慌てて立ち上がった。その姿を探せば、彼は未だ蹲った状態で、傷口を抑えている。


咄嗟に掛け寄って今にも倒れそうなイアンを支えた。


「ザウル。兎に角、イアンをなんとかしないと」

「……はい。セリア殿は、人を呼んで来て下さい。応急処置は自分が。それと消火の方にも人手が必要です」

「わ、解った。すぐに呼んでくるから」


走り去るセリアを見送ってから、それまで一度も少女の方を見ようとしない友人に向き直った。


「イアン。傷を……」

「ああ。頼む」


傷口に服の袖を裂いた布を巻き付けながら、ザウルは小さく呟いた。


「申し訳ありませんでした」

「いや…… あれで助かった」


それだけ言葉を交わすと、遠くからセリアが村人を連れて戻るまで一切の会話が無かった。



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