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大地の宝石  作者: 森宮 スミレ
〜第三章 目覚める鉱石〜
114/171

波紋 3

 重い空気が漂う中、紙が擦れる音が響く。書類と上がった報告書を整理する手は止めず、ジークフリードは聞こえたノックの音に返事を返した。


「ジークフリード様。セリア・ベアリット殿が別室でお待ちです」

「……もうそんな時間か」


 山積みの問題を少しでも片付けようと集中している内に、何時の間にやら時間が過ぎていたようだ。蜂蜜色の瞳がチラリと壁の時計を確認すれば、鳥を模した木製の時計がやはり約束の時刻を差している。

 深くなった眉間の皺を押さえながら、クルダス国マリオス、ジークフリードは静かに立ち上がり、数枚の報告書と共に執務室を後にした。



 廊下に出た足で目指すのは、呼ばれた一人の少女が待つ部屋。

 報告書の内容を読んだ時はまさかと思ったが、事細かな詳細と備え付けられた証拠の数々。また、議事内で起きた騒ぎを混乱しながらも報告する部下がいては、疑っている暇など無いと判断するしかない。しかも、コーディアスが既にこの世から葬られたとなれば、目の前に押しかかる問題は何倍にも増すというもの。


 王宮議会内で起こった一つの策略。議会の半数以上を亡き者にし、己の意に従う者のみを残そうなどと、どれほど愚かなことか。


 馬鹿馬鹿しいと思うと同時に、もしそれが現実になっていたならと思うと寒気がする。


 もし本当に議会でそんな事件が起こっていれば、それに対する調査や処理。更には停止した国家機能をなんとかするべく、その分の政務は全て王宮に、そして自分達に追い被さる。

 議員の補充にまでとてもではないが手を回してなどいられない。そうなれば、残った議員。今回の計画が成功していたとなれば、コーディアスか。彼等にそれを任せることになっていただろう。


 勿論、形式上こちらも多少は審査するだろう。けれどそれも建前上だ。どうしたって、失った何十人もの議員に代わる者をじっくり選ぶなど出来る筈もない。


 そうなれば必然的に、議会が漸く機能を取り戻した時、出来上がっているのはコーディアスの意のままに動く議会。国の中核の半分をその手にするのだ。その権力でもって何をしようとしていたのかなど、考えたくもない。

 本人がこの世を去った今、確認する術も、それを証明する術も、ほぼ失ってしまったと言えるが。



 ここ数日で押しかかった責務の重圧に、流石のマリオス達も疲労の溜め息を吐く者が出た。けれど、ジークフリードはそんな様子を一切見せず、噂の少女が待つ部屋に辿り着く頃には見事に眉間の皺を解き、端然と扉の前に立った。








 柔らかなソファの上で姿勢を正したセリアは、投げかけられる質問に丁寧に言葉を選んで答えていた。それが暫く繰り返された頃、向かいに座るジークフリードが一息吐いた様に目の前の資料を下ろした。


「……確認が必要な事項は以上だ。手間を取らせてしまってすまない」

「いえ。本当ならもっと早くに伺うべきな所を、すみませんでした」


 問題が厄介なだけに早期の解決が望ましいにも関わらず、セリアが呼び出されたのは事が起きて五日経ってからだ。頭を下げれば、それを遮る様に手で顔を上げろと示された。


「いや。責任はこちらにある。それに大方の事は他の候補生の証言と、君が作成した報告書で十分に対応出来た。特に、君の報告書に助けられた面が多い。コーディアスの屋敷で君の提示した者を調べれば、やはり加担していた者が出て来た」

「…………恐れ入ります」


 対処に負われる王宮に、せめて報告だけでもと思い作成した資料を送ったのだが、無駄ではなかったようだとセリアは僅かに安堵した。


「また君達候補生に助けられたな。陛下も、他のマリオス達も。そして今回は議員の方にも感心を向ける者が多い」

「……ありがとうございます」

「今回の事、マリオス候補生の力量を証明するには、君達にとって大きく効果があった様に思う」

「……………」

「ただ、ある点を除いては、だが」


 パサリ、とジークフリードがセリアとの間のテーブルに資料を置いた。その先頭にあるのはルネ・レミオットの文字。


「君だから敢えて言うが…… 候補生の中から反逆行為を行う者が出たというのは、どうにも歓迎できる事ではない。君達に責任を問うことはないが、彼の一番傍に居た、という事実は残る」

「はい」

 

 この時点でセリア達に直接的な罪は一つも無い。むしろ、かつての友人を告発する姿勢は、後々にも信用出来る存在となるだろう。けれど、誉れある筈のフロース学園マリオス候補生の中から反逆者を出し、その行為を許したという事実は、今後の評価に影響する可能性もある。そしてそれは、マリオス、という地位を目指す彼女達にとって歓迎できるものではない。


 そのことは十分理解している、とセリアははっきりと頷いた。どれだけ弁解しても、自分達がルネの一番近くに居たという事実と、彼が裏切ったことに変わりはない。彼の反逆の意思に気付かずそれを見過ごしてしまった責任が、自分達に全く無いとはどうしたって言えないのだ。



「…………とはいえ、それだけで君の評価が決まる訳ではない。むしろ、私はそんなことで君達の評価を決めるべきでは無いと思っている」


 重々しい空気とは裏腹に、僅かに和らいだ口調とその言葉に、セリアは俯いていた顔を上げた。思わずジッと目の前のジークフリードを見詰めてしまう。けれど当のジークフリードは、足と腕を組み、何かを考えるように瞳を閉じていた。


「幾ら近くに居るからといって、相手の考えていることの全てが解る訳ではない。ましてや、人の心など、常に移り行くものだ。一時の間目指していたものだろうと、変わらずに追い求め続けるかどうか、解ったものではない」

「……それは」


 レイダー・ペトロフの事か、と口を開きかけてセリアは途中で止めた。しかし、言葉の裏にかつての親友の影が隠れているのは、ジークフリードの醸し出す空気で十分伝わる。

 彼なりの励ましなのだろう、とは感じながらも、やはりセリアは何処か重い気持ちのまま資料に視線を落とした。


「あの……」

 遠慮気味に発せられた声に、ジークフリードは閉じていた瞳を開く。それを見届けたセリアは、思い切って疑問を言葉にした。

「彼は、どういった扱いになるのでしょうか」

「……君も聞いているとは思うが、物的証拠は無いと、レミオット家は子息の行為を強く否定している。此方も調べたが、他の者達は裏が取れたものの、ルネ・レミオットに関しては何も出てこない。脅迫、または誘拐されたのだ、というレミオット家の主張を完全に否定はまだ出来ない。公には、行方不明という扱いで収まる事になると思う」

「……そう、ですか」


 間違っていると解っていても、僅かに安堵してしまう自分をセリアは内心で叱責した。けれどどうしても、割り切れない部分が顔を覗かせる。

 その心中を察したのか、ジークフリードは話題を切り上げるようにゆっくりとソファから立ち上がった。


「それではセリア嬢。時間を取らせて申し訳なかった」

「いえ。此方こそ」


 胸に渦巻く罪悪感を払う様に、セリアはジークフリードに続いて立ち上がり、廊下に出る彼の後を追う。セリアが後ろについて来るのを確認したジークフリードは、そのまま静かに歩き出した。


 他に人の気配が無い長い廊下には、二つの足音が良く響いた。

 セリアはジークフリードの草色の髪と青いローブを視線で追いながら、自分はどうすればよいのだろう、とぼんやり考える。けれど、具体的にどうすべきか、何も浮かんで来ない。


 結局、またもやヨークの真意を測り損ねてしまった。しかも、こちらは一人失った状態だ。何もかもが突然で、碌に状況を整理仕切れないまま、一体何が出来るのだろうか。



 そんな風に俯いていたセリアだが、廊下の奥から別の足音が聞こえたのに気付き顔を上げた。


「ジークフリード。お嬢さんとの事実確認は終わったのですか?」


 話し掛けられたジークフリードと同じく、青いローブを揺らしながら現れたのはこの国のマリオス、キースレイ・ブラーズだ。優雅に微笑んだキースレイは、迷い無く此方に近付いて来る。

 その姿にセリアは、以前国王主催の夜会の席で彼に失態を曝してしまったことを思い出しながら、慌てて頭を下げた。


「久し振りですね。お嬢さん」

「お、お久し振りですキースレイ様。その節は、大変失礼しました。」


 穏やかな笑みと共に向けられた金色の細長な目に、セリアはまごついてしまう。彼には以前、ヴィタリー王弟殿下に喧嘩を売った、などと思われてしまっているのだから。しかもそれを、他のマリオス様にまで広められてしまっている。

 今度こそ、下手なことは出来ない、とセリアは改めて姿勢を正した。


「いえいえ。そうお気になさらず。それにしても、また今回も面白いことになりましたね」


 そう言ってクスリと笑うキースレイに、セリアは横のジークフリードが眉を寄せたのを雰囲気で悟った。そしてやはり、ジークフリードの固い声が掛かる。


「議会の不祥事だぞ。不謹慎な言葉を吐くな」

「また固い事を。面白いことに変わりはないでしょう」


 柔らかな態度で咎めの言葉を躱すキースレイは微笑したまま一歩前へ出た。


「そうそう、ジークフリード。ハガルが呼んでいましたよ。執務室の方へ来てくれと」

「ハガルが?解った。後で向かう」

「急ぎの用件らしく、出来るだけ早くに、との事でしたよ。彼女ならば、私が送りましょう」

「……そうか」


 一瞬難色を示したジークフリードだが、今は処理すべき仕事が山積している時なだけに、キースレイの言葉に頷いた。


「それではセリア嬢。すまないが、ここで失礼する」

「いえ。こちらこそ」


 向き直り一礼したジークフリードに、セリアも慌てて深々と頭を下げた。顔を上げた後は、少しずつ遠ざかる後ろ姿をジッと見送る。揺れる青色が最後まで凛々しく、彼の厳格な性格がそう見せるのか、その背に乗る責任の重みが伺えた様な気がした。



「それでは、参りましょうか」

「あ、はい。お手間を取らせてしまってすみません」

「とんでもない。国を救った英雄に対する、当然のことですよ」


 しれっとなんでもないことの様に言うので聞き逃しそうになったが、彼の放った一言にセリアはサッと顔を青くした。


「え、英雄なんてとんでもありません。そんな、大それたことなんて、私は何も……」

「おや。今度は恋人を引き止める少女の顔ですね」


 クスクスとまるで面白いものを見た様なその態度に、セリアも呆気に取られてしまう。思わず口が開いたままキースレイを凝視すれば、口元に笑みを浮かべたまま歩き出した。「さあ、こちらですよ」と先導するその姿に、セリアもからかわれたのだと漸く悟る。


 先を歩く青色のローブにセリアが大人しく付いて行けば、まだ微笑を貼付けたままキースレイがチラリとその姿を見遣った。


「それにしても、マリオス候補生になった時から感じていましたが、貴方の忠誠心には感心します」

「えっ。あ、いえ」


 唐突な話題に一瞬反応に戸惑ってしまいセリアはしまった、と後悔する。けれどそんな態度は気にしないといった風にキースレイは続けた。


「女性の身で今の地位を手にするまでは、苦労があったのではありませんか」

「いえ。そんな…… 滅相もありません」


 反対の声ばかりを聞いて来た、なんて愚痴の様なこと言える筈もなく、セリアは俯き気味にそれだけ述べる。けれど、それだけでは終わらずキースレイは尚も視線をセリアに定めたまま続けた。


「それに以前も今回も、その身を顧みずに危険を犯してまで国への忠義を貫く勇ましさには、賞讃の声もあるのですよ。まだ色々と青春を楽しみたい歳でしょうに、その若さでそれほどまでに自分の意思を強固にしているとは」

「あ、えっと……」


 セリアは、何と返そうかと解らずオロオロとする。そんな、マリオスであるキースレイにここまで賞讃の言葉を貰える程、自分は何かをしたわけではない。それに、たとえそうであっても、それは決して自分一人で成したことではないのだから。

 友人達に支えられて、やっとここまで来ただけだ。危険だって、彼等が居なければ切り抜けられなかった。自分の心を強く保つことも、カール達が居て始めて可能であった筈。


「……他のマリオス候補生様達の。彼等のお陰です。私一人では、学園の外に目を向けることすら出来なかったと思います」

「そうですね。彼等の忠誠心も、立派なものです。ですが、貴方自身も十分誇って良いと思いますよ。貴方の働きが、今後どれだけ国の助けになるか」

「そ、そんな……」


 そこまで言われて、セリアは逆に信じられない気持ちになった。まさか、マリオス本人にここまで言われるなんて。勿論、自分がそんな大それたことをしたとは思っていないが。


「けれど、一つだけ聞かせて戴いても宜しいですか?」


 戸惑いで何と返そうかと迷っていたセリアは、その問で正気を取り戻した様に顔を上げる。そんなセリアにキースレイは短く笑いを漏らすと、ピタリと足を止めた。

 同じ様に横で足を止めたセリアに向き直ったキースレイはそれまでの様に微笑みを浮かべたまま、ゆっくりと口を開く。まだ先ほどの会話の戸惑いから回復していないセリアは、オロオロしながらその言葉を待った。


  どうして。どうしてあの言葉をこの人が言うの。だって、この人がこんなこと、思ってる筈ないのに。

  それとも…… それとも違うの?

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