孤月 2
「ヴァーゴ、急いで!」
友人達の身が危ない。そう考えるだけで気持ちが逸った。
「あとどれくらいなの?」
「もうベアクトリスに入る。そこからはこの馬なら直ぐだ」
後ろからの声に、セリアは向けた視線を前方に戻した。少しすればカールの言葉通り、見えて来た大都市ベアクトリスの姿。
「街の東へ向かうぞ。その方が早い」
「行ったことがあるの?」
あまりにもはっきりと場所を指定するカールに、セリアはそんな疑問を覚えた。ローゼンタール公爵家は国王の忠臣だ。王宮に用はあっても、議事堂に頻繁に出入りする機会があるとは思えないのだが。
「お前もいずれマリオスとなる者なら、議会の動きと場所くらいは把握しておけ」
ああ、そうだった。とセリアはフッと短く溜め息を吐いた。この自信満々な男が、将来的にマリオスになることを確信して、その際に必要になるだろう事柄を今から想定しているのは当然であった。
しかも、その自信が過剰ではないところがなんだか腹立たしい。彼はきっとマリオスとなるのだろう。それは驕りでも希望的推測でもなく、それだけのことを彼がその身を以て証明しているから。それは他の候補生達にも言える。
それを考えると、自分との差にセリアは僅かに憂いを覚えた。明日の候補生の地位すら危うい身の自分とは大違いだ。自分がマリオスになれるなどとは、正直に言えば今でも思っていない。というよりも、実感が湧かないのだ。
国王陛下の傍に仕え、国の行く末の為に奮闘する誇り高きマリオス。青いローブを着たカール達の横に、自分が並ぶ姿を想像出来ない。彼等と自分が同じだとは思えないし、また同じになれるかも疑わしい。
「おい。どうした?」
「へっ!あ、いえ、その……」
「ぼんやりするな。着いたぞ」
その声にハッとして目の前を見上げれば、そこには周りを威厳するかのような立派な建物が聳えていた。背後で手綱を操るカールが、そのまま中へとヴァーゴを誘導する。
馬上から飛び降りると、セリアとカールは同時に走り始めた。
「カール。議場は?」
「奥にある。だが、傍聴席から侵入する方が良い。階段を上がれ」
議事堂内へ侵入したところでカールが階段を指差す。その指示に従おうとした瞬間、後ろから大きな声に呼び止められた。
「セリア!?……なんで?」
「ルネ!!」
振り返れば、目を見開いたルネが慌ててこちらに駆け寄って来る。
「どうして?二人とも王宮に居る筈じゃ」
「それは後で話す。現状を説明しろ。それに、警備兵はどうした」
訝し気に辺りを見回すカールが、議事堂に入ってから抱いた疑問をぶつける。ルネも、今は戸惑っている場合ではないと判断したのか、すぐに真剣な顔付きになった。
「ランとイアンが議場内に入って、コーディアス侯爵を確保に行ったよ。でも、まだカブフラが見つからないんだ。地下を探しに行ったザウルとルイシスがぜんぜん戻って来なくて。警備兵は…… 元々手薄だったんだけど、残りは殆ど殺されてるみたい」
「そ、そんな!」
「僕が警察を呼びに行こうとしてた所に二人が来たんだよ」
ルネから聞かされた内容に、セリアは驚愕で思わず口元を手で押さえた。警備兵が殺されているということは、それ相応の数の敵が居るということ。そんな中、地下へザウルとルイシスが行ったままだというのだ。
「だから、僕とカールで地下に行くからセリアは、外部と…… あっ!?セリア!!」
急に走り出したセリアにルネが咄嗟に手を伸ばすが、それは虚しく空を切った。見る間に遠くなる姿に、ルネもカールも苦い顔をする。けれどその背を追い始めたのはルネの方が一瞬早かった。
「カール。警察と国王軍駐在所への連絡は任せたからね!」
吐き捨てるように言い残し、ルネは危険に飛び込んで行ったセリアに続いて地下へ向かっていった。
「まったく次から次へと、鬱陶しい」
「ルイシス。後ろです!」
「解ってる」
背後からナイフを持って迫った男の腹にルイシスが回し蹴りを命中させる。途端、周りの三人を巻き込みながら男は吹っ飛ばされた。
その怪力に感心する暇もなく、ザウルはヒラリと目にも留まらぬ早さで四人の男の鳩尾を肘で突いた。短い悲鳴の後に、男達が力なく床に崩れ落ちる。
「きりがない。男に群がられても嬉しくないで、ホンマに。可愛い女の子なら大歓迎なんやけどなぁ」
「冗談を言っている場合ではありませんよ」
「いやいや。俺にとっては重要や」
男を五人程投げ飛ばしながら言うルイシスに、ザウルは思わず眉を寄せる。勿論それも冗談なのだろうが、神妙な顔付きの男に、まさか本気かと疑いたくなってしまう。
「つまり、ここで間違いないってことやな」
「はい。恐らくこの先でしょう」
これだけ男達が固まって守ろうとしているのだ。目的の毒物はこの場所にあると見て間違いない。しかし、それが解っていても敵の数が多過ぎるのだ。壁となった男達に阻まれては思う様に前に進めない。けれどこのままでは、本当に毒を流されてしまう。
「おっと!」
目の前に突然ルイシスが飛び出し、思わぬ事態にザウルが目を見開いていれば、振りかぶったルイシスの拳が頭上を通り過ぎた。それと同時に背後でガキッと音がする。
「これで貸し一つ、ってことでどや?」
してやったり、と胡散臭い笑みを貼付けた目の前の男に、一瞬唖然とする。けれどその発言を理解すると同時にグッと屈むと、彼の横に迫った影に下から蹴りを見舞った。
「今、返しました」
フワリと優雅に舞う長い赤髪に、ルイシスは更に笑みを深くする。そのまま周りの敵をなぎ倒しながら、ザウルにチラリと視線を向けた。
「なんや、つれないで。俺に貸し作っても、そんな悪いこと頼んだりはせんよ」
「結構です」
「えらい嫌われようやなぁ。女の問題は今は忘れようやないか」
「セリア殿は関係ありません」
素っ気なく応えザウルは目の前の敵に集中を戻すがその瞬間、ハッと自分の失言に気付いた。
「おやぁ?俺はお嬢ちゃんのことなんか一言も言ってへんで」
「ぐっ……」
「そうかそうか。アンタもあれか」
再びニタリと口の端を吊り上げる男に、ザウルは無意識の内に敵の男達を蹴る脚の力が強まった。
「あのお嬢ちゃん可愛いからなあ。度胸あるし、気も強い。けど、敵が多いやろ。アンタも苦労するなあ」
「今、その話は必要無いでしょう」
自分達の目的を忘れているのか。それともふざけているのか。どちらにしろ、今は一刻も早くカブフラに辿り着かなければならない時である筈なのに。
「そうつれなくせんと。ほんなら、女の口説き方でも手解きしよか。アンタやったらあのお嬢ちゃんも落ちるんとちゃう。もしくは、お嬢ちゃん似で、もっと可愛い娘紹介するってのは」
ドシャッとザウルが蹴り飛ばした男が壁に叩き付けられた。それと同時に腕は別の男を床に引き倒す。
腹の底から沸き上がった怒りを、ザウルは必死に押し殺した。心中で自分に落ち着け、と何度も言い聞かせる。この体術は、何かを護る為に、と祖国で生み出されたものだ。自分もその心得を学びながら身につけた筈。だから、このように苛立ちを発散させる為に使うべきではないのに。
理性でそう考えても、敵をなぎ倒す力が次第に加減出来なくなってくるのだ。
「何か仰りたいなら、後にして下さい」
ギッと琥珀色の瞳が凄みを帯びたことで、ルイシスはバツが悪そうに肩を竦めてみせた。
「なんや。ちょっとした冗談やろ」
耳に聞こえたその言葉に、こんな時に何を、とザウルは短く息を吐いた。とはいえ、彼が本当に冗談を言っているだけということも、半分は理解している。それにセリアに本気で手を出す様子も、今のところはみせていない。
悪い人間ではないのだ、と納得しても、彼が何をしたいのか判断に苦しむ。
「けど、いっつも思うんや」
「……何をですか」
「あのお嬢ちゃん、なかなか好い胸してるんやから、もっと出せばええのに」
瞬間、飛び跳ねたルイシスの横にドカッと長い足の踵が振り落とされた。渾身の一撃を躱されたことにザウルが口元を引き結んで視線を上げる。けれど、その先のルイシスの表情が唖然とし、ある一点を見詰めていることに気付いた。
なにがあったのだ、とザウルも思わずそちらを見遣ると、同じ様に目を見開いて思考が停止する。
後ろから息を切らせながら走ってくるのは、ここには居る筈のない栗毛の少女。
「阿呆!こんな所で何してんねん!!」
響いた怒声にザウルもハッと我に返った。けれど当の本人は自分達を見て安堵したような表情を見せると、あろうことか更に走る速度を速めたのだ。
「この先ね!」
「なっ!?」
セリアもカブフラの位置を特定したようだ。襲いかかる男達をすり抜けて、先を目指そうとする。それを咄嗟に止めようとザウルが動くが、それは横から伸びた男の手に妨害される。すぐに相手をなぎ倒したが、セリアは既に横を通り過ぎていた。
チッと近くで舌打ちが聞こえた。見遣れば、ルイシスがそれまでの胡散臭い笑みは何処へやら、苦々しい表情で奥歯を噛んでいる。彼も、冗談を言っている余裕が無いことを悟ったようだ。
自分達の横をすり抜けて行くセリアを追うことはせず、そのまま望みを託した。
「ああ、ったく!お嬢ちゃん、頼んだで」
「ルネ。セリア殿を」
セリアに続いてその後ろを走るルネが、任せろと言いたげに頷いた。
小さくなって行く背に、敵も拙いと判断したのか数人の男達が後を追おうとする。けれどその内の一人がグッと襟首を掴まれ宙に浮いた。えっ、と思う間もなく、男を掴み上げたルイシスが、まるで棒切れのように男を振り回して他の者を床に叩き潰す。
「悪いが、もうここ通れると思わん方がええで」
ギラリとオッドアイが妖しく光ると同時に、完全に伸びてしまった男を再び掴み上げ、今度は目の前の敵に向かって放り投げた。
その変わり様に、ザウルは思わず眉間に皺を寄せる。ますますこの男が解らなくなってしまった。けれど、決してセリアに害を及ぼすことはない、と。それだけは強く理解してしまったのだから、尚更質が悪いかもしれない。
ホンマのホンマに、アンタは阿呆や。どうしてそんなに突っ走るのか。まあ、そこも可愛いとは思うけど。
けどな、やっぱりそれだけやなかった。俺が睨んだ通り、アンタは獅子や。強靭な牙で相手を黙らせて、鋭い爪で獲物を狩り取る。
そう、それは解ってるんやけど……
お嬢ちゃん。こればっかりは、諦めた方がええで。




