エピローグ
ジェニスの町へ帰還後は、為替ギルドの設立についての対応に追われた。
最初に為替ギルドを作る場所は、ウィスタリア伯爵領、アストリー侯爵領、オーウェル子爵領の三カ所を予定していたのだが、あっという間に希望する領地が増えた。
アルノルト伯爵家と、グライド侯爵家である。
結局、その五つの領地の主と、発案者である俺が創設メンバーとなった。
あらたな参加者の選定や、その他の決定はこのメンバーでの投票がおこなわれる。
アストリー侯爵家やオーウェル子爵家に貸しがあり、そして次期ウィスタリア伯爵が内定している俺が実質的な代表となったが、独裁は出来ないバランスだ。
またリリアについては、実権を持たぬ相談役になってもらった。長寿なエルフである彼女は、実権を持たずとも発言力は十分にある。
上手くバランスを取ってくれるだろう。
そうして、為替ギルドの立ち上げにも目処が立ったある日。
ジェニスの町ではささやかなパーティーが開催された。為替ギルドの職員に選出された者達や、町の運営をおこなう屋敷の者達や、町の権力者達を集めての交流会が開かれる。
参加者の多くが平民であることから、場所は屋敷の中庭が選ばれた。俺はフィオナ嬢を婚約者としてともない、町の有力者達と挨拶を交わしていく。
そうして挨拶が途切れたところで、俺とフィオナ嬢は一息つくために他の者達から離れるように会場の隅へと移動する。
貴族でない彼らは、離れた場所で語らう俺達に割り込むことはないだろう。そうして、フィオナ嬢が趣味で造ったお酒を片手に語らう。
「これでようやく、ヴィクター様に課せられた試験にも一区切りついたね」
「あぁ、そうだな」
最初はデビュタントで貴族としての手腕を試され、次に町を治めることで領主としての手腕を試された。このまま問題なくことが進めば、俺は次期ウィスタリア伯爵となるだろう。
もはや、兄に追放されるという心配はない。伯爵になるならば暗殺の危険はなくならないが、それは貴族であれば誰もが負うレベルの危険でしかない。
そして――
「フィオナ嬢との婚約も、これで破棄することも可能だ」
もはやアストリー侯爵家とは切っても切れない仲にある。国王の権力を脅かしかねないほどの為替ギルドの代表という地位も手に入れた。
「いまなら、婚約を破棄した上で現状を維持。フィオナ嬢には自由を与えることも出来る。ウィスタリア伯爵領で政治に関わるのも、好きな男と結婚するのも望みのままだ」
自分の自由を買うために、俺と政略結婚をする必要はないと伝える。
「アレン様は……兄さんは、私と結婚したくないの?」
「ああ。おまえと政略結婚なんて望んでない」
きっぱりと終わりの言葉を口にした。
フィオナ嬢は酷く寂しげに、無色で透明な微笑みを浮かべる。
「アレン様は、わたくしの自由のために手を尽くしてくださいました。であれば、これ以上ご迷惑を掛けることは出来ません。婚約破棄の申し出を粛々と受け入れます」
「ああ。分かった。正式な話は後日になるが、これで俺とおまえの関係はただの他人だ。仲間として、おまえには自由な人生を与えると約束しよう」
「自由な人生、ですか?」
「そうだ。自由のために、俺との婚約を望むと言っていただろう?」
フィオナ嬢はなにかを言いかけて、けれどただ寂しげに笑った。俺はそんな彼女の背中に腕を回し、驚きに見開かれる紫色の瞳を覗き込んだ。
「そのうえでの提案だが、俺と結婚するつもりはないか?」
「……はい?」
なにを言っているのかと言いたげに、フィオナ嬢の瞳が瞬いた。
俺はフィオナ嬢を、前世の妹を家族として心から愛していた。だけど、だからこそ、恋愛対象としては考えなかった。俺と彼女は最初から家族の絆で結ばれていたから。
大切な家族には、自由で幸せな人生を送って欲しいと思っていた。自由のためといって、俺と結婚するという不自由な選択はして欲しくなかった。
だから、フィオナ嬢には自由な人生を約束した。俺と結婚せずとも、フィオナ嬢は自由に生きることが出来る。
そのうえで、俺はフィオナ嬢に問い掛ける。
俺と結婚してくれ、と。
「本気、なの?」
素のフィオナ嬢が顔を覗かせる。
期待と不安をないまぜにしたその瞳には、俺の姿が大きく映り込んでいた。
「冗談で、こんな回りくどいことはしない」
「私、兄さんは優しいから、私の自由のために結婚してくれても、それ以外の理由で結婚してくれるなんて……思ってなかったよ」
「おまえと行動を共にするのは楽しいからな。前世でのおまえは血の繋がった妹で、あらためてどうこう考える必要はなかった。だが、いまの俺とおまえは他人、だからな」
クリス姉さんに結婚の打診があったとき、姉を奪われる不安を抱いて気付いた。
フィオナ嬢と俺が婚約を破棄すれば、いつかフィオナ嬢は別の男のもとに嫁ぐだろう。そのとき、俺とフィオナ嬢に繋がりはなにもない。それを想像することはとても不快だった。我慢できないと思った。
だから――と、アメジストのような瞳に問い掛ける。
「もう一度同じ時を歩むために、俺と結婚してくれ」
「――はい、よろこんで」
フィオナ嬢は頬を朱に染めてはにかんだ。
けれど、彼女は続けていたずらっ子のように笑う。
「ちなみに、私と兄さんは、今も昔も、血の繋がらない兄妹、だからね」
「……は?」
「その表情、やっぱり覚えてなかったんだ」
エリスは幼少期に両親を失って引き取られた、遠い親戚筋の子供らしい。厳密に言えばまったく血のつながりがないと言うことではないが、血縁的な兄妹ではないそうだ。
「でも、それじゃ、おまえが俺につきまとっていたのは……」
「ずっと言ってたはずだよ、兄さんと一緒にいるのは楽しいって」
「――っ」
俺はその言葉を前世の頃から聞いている。そして俺は、それを血の繋がった兄妹だからだと思い込んでいた。だけど、そうじゃなかったのかもしれない。
エリスは――フィオナ嬢は純粋に、俺の側にいるのが楽しいと言っていたのだろうか。
「……アレン兄さん?」
「~~~っ」
こてりと首を傾げた彼女を前に、急にどう答えれば良いのか分からなくなる。
「兄さん、顔が赤いよ?」
「な、なんでもない。少し、酒に酔ったのかもしれないな」
自分自身、そうではないと思いながらも言い訳を口にした。いまさら、ここに来て、フィオナ嬢を相手に赤くなるなんて、そんな恥ずかしいことは言えない。
俺は素早く話を変えるべく新たな話題を投げかける。
「そ、それより、為替ギルドが稼働を始めたら忙しくなるな」
「え? あぁ……そうだね。アレン兄さんがウィスタリア伯爵となった後なら人材には事欠かないけど、いまはとにかく人材が足りてないものね」
急に話題を変えたのに、即座についてくる辺りがさすがだ。
そして、人材不足は俺も感じていたことだ。ルコの町の代官は父に派遣してもらうことで事無きを得たが、毎回そのように頼む訳にはいかない。
なにより、俺の側近とも言えるような人材が圧倒的に足りていない。
ジェニスの町とルコの町。
この二つを支えるだけなら問題はないとも言える。だが、美容品の取り引きに為替ギルドの立ち上げ。今後はお酒や陶器にも手を伸ばすことになるだろう。
「急いで人材の発掘に乗り出した方が言いかもしれないな」
フィリップにでも相談してみようかと考えを巡らす。
「人材の発掘もだけど、兄さんは私との結婚を早くしたほうがいいかもしれないよ?」
「……それは、別に構わないが、どうしてだ?」
「だって、第一夫人が決まらないうちに、第二夫人は選びにくいでしょ?」
貴族であれば第二夫人は珍しくないし、寵姫を持つ者はもっと珍しくない。けれど、結婚を申し込んだ直後にそんなことを言われたら、さきほどの意趣返しかと思ってしまう。
そんな俺の視線に気付いたのだろう。フィオナ嬢はどこか言い訳めいた口調で続ける。
「私だって喜んで勧めたい訳じゃないよ? でも、第二夫人を娶れば、第一夫人の私が他領との社交にあたり、第二夫人が領内の安定に努められるじゃない」
「……まあそうかも知れないけどな」
フィオナ嬢と正式に結婚すれば、アストリー侯爵家の人材を引っ張ってこれる。第二夫人を娶っても同じことが言えるだろう。
言えるとは思うが……
「……やっぱりいまする話題じゃないだろ?」
お仕置きだとそのホッペを抓る。
「でも、兄さんが言いだしたんでしょ? 彼女なら上手くやっていけそうだし、私だって反対したりはしないよ」
「……俺が言い出した? 彼女?」
なんだそれと問い返すと、フィオナ嬢はキョトンと瞬いた。それからばつの悪そうな顔をして、やっぱりいまのなしと続ける。
「いや、なしじゃないだろ、どういうことだ?」
「気付いてないなら、秘密だよ。それより、今度はお酒を造ろうよ。それから陶器も作って、そんでもってみんなでパーティーを開催するの!」
「……いつもやってるじゃないか」
「そうだけど、そうじゃないよ。これから、一杯一杯楽しもうねっ」
フィオナ嬢が無邪気に笑う。
それに釣られて俺も笑う。たしかに、フィオナ嬢と色々と作るのは楽しそうだ。
「これからもよろしくな、フィオナ」
「うん、ずっとずっとよろしくね、アレン兄さん」
*2020/02/28あとがき改稿。
今作はこれにて完結となります。ここまでお読みいただきありがとうございました。今後、いくつか閑話を書くことはあると思いますが、ひとまず完結扱いにしておきます。




