ルコの町の改革 前編4
俺は無言で扉を閉めた。
そして、立ち去ろうとしていたリーシアを呼びつける。
「え、アレン様? どうかしたんですか?」
「どうかしたんですか、じゃねぇよ。着替え中のフィオナ嬢が部屋にいたんだが?」
「え、ノックなさらなかったんですか!?」
「いや、たしかにノックはしなかったが……ん?」
自分の部屋に入るのにノックをする者はそうそう居ない。だが、リーシアはいま、ノックをしなかった俺が悪いかのような反応を示した。
「……もしかして、この部屋にフィオナ嬢がいることを知っていたのか?」
「はい。ここはアレン様とフィオナ様のお部屋だとうかがっています」
「相部屋ってことか? フィオナ嬢は婚約者であって嫁ではないんだが?」
「ええっと?」
なにその、なにを言われているか分からない、みたいな反応は。取り敢えず、これを問題にしたら、部屋を用意した者の首が物理的に飛びかねない。
「取り敢えず、夕食後までに別の部屋を用意してくれ、こっちは俺が対処しておく」
「か、かしこまりました」
不手際があったと理解してくれたようで、リーシアは慌てて走り去っていった。それを見届けた俺は、思わずため息をついた。
それから覚悟を決めて扉をノックする。
「――はい」
控えめな返事。恐る恐る扉を開けると、ドレスを着直したフィオナ嬢が、部屋の真ん中でたたずんでいた。その姿勢は凜としているが……頬が明らかに赤い。
冒険者時代はあまり気にしなかったが……さすがにいまの姿では恥ずかしいようだ
「あの、アレン様?」
「あぁ……いや、すまん。どうやら、ここの使用人達が、俺達が同じ部屋を使うと勘違いしていたようだ」
「あ、あぁ……そうだったのですね」
珍しくフィオナ嬢が照れている。清楚な見た目的には当然の反応だが、普段のフィオナ嬢からは思ってもみなかった初々しい反応に落ち着かない。
「あ~その、悪かった」
「い、いえ、その、お粗末なモノをお目に掛けて申し訳ありません」
「いや、そんなことは――」
不意に、視界の隅でなんとも言えない顔をしているリリアナに気付いた。それを目の当たりにした俺はふとした予感に駆られる。
「……なぁ、フィオナ嬢。もしかしてこうなると知ってたのか?」
「え、そんなことありませんが、どうしてそのように思われるのですか?」
「いや、ちょっとな。フィオナ嬢がいるって知らずに俺が入ってくるのを予想した上で、着替えてた、なんてことはないかなって」
「そ、そんなことをするはずありません!」
フィオナ嬢が顔を真っ赤にして眉を吊り上げた。中身がエリスのフィオナ嬢ならやりかねないと思ったのだが、さすがに考えすぎだったようだ。
「すまんすまん」
「謝って済む問題ではありませんわ。せっかく不慮の事故を利用して、恥じらう姿でギャップ萌えを演出したのにあんまりです――あっ」
「……ほう?」
もう一度言ってくれるかと詰め寄ると、フィオナ嬢はふいっと視線を逸らした。俺はテクテクと回り込んで、そんなフィオナ嬢の正面に立つ。
更にフィオナ嬢が明後日の方を向こうとしたので、俺は両手のひらでその頬を包み込んだ。
「……アレン様?」
「フィオナ嬢の頬はとても柔らかいな」
そう言いながら、すべすべのホッペを摘まんでギューッと引っ張る。
「あ、アレン様? その……少し痛いので、もう少し優しくして欲しいかな、なんて」
「いいや、この柔らかい頬がどこまで伸びるかたしかめたくなった」
「え、いや、その……あいたた。それ以上は無理、無理ですから~」
両方のホッペを掴んでギューッと引っ張った。中身はエリスでも、その外見は侯爵令嬢。さすがにホッペが柔らかい。
「ア、アレン様。差し出口ですが、フィオナお嬢様も決してふざけている訳ではなく……いえ、ふざけているのはたしかですが、半分くらいは照れ隠しなのでどうかその辺で」
「ふむ……そうだな」
半分くらいはフォローになっていなかった気がするが、たしかにその通りだ。それに、俺も事故とはいえフィオナ嬢の着替えを見てしまった照れ隠しがあった感は否めない。
悪かったなとフィオナ嬢のホッペを解放した。
「うぅ……ホッペがちぎれるかと思いましたわ」
さすさすと、自分の頬を両手で撫でつける。フィオナ嬢の小動物っぽい仕草を横目に、俺は部屋の片隅にあるテーブル席へと腰を下ろした。
「ひとまず、夕食まではここにいさせてもらうぞ」
「それは構いませんが……さっそくルコの町の状況を調べていたのでしょ? よろしければ、わたくしにも教えていただけませんか?」
「あぁ、そうだな。フィオナ嬢にも意見を聞きたかったからちょうど良い」
向かいに座ってくれと、ちょいちょいと指をさす。フィオナ嬢はスカートの裾を摘まんで、ふわりと椅子に座った。
「それで、この町の状況はどうなっているのですか?」
「報告書に抜けがあるが、適切に対処すればなんとかなりそうだ。ただ、見える分のデータから考えると、隠地がかなり多そうだ」
「……租税逃れ、ですか」
フィオナ嬢が眉をひそめた。
租税逃れは領主にとって頭の痛い問題だ。税収が落ちると言うだけでなく、領民の統治を上手く出来ていないと言うことで、その手腕を疑われることとなるからだ。
「それで、アレン様は……」
リリアナにちらりと視線を向けて、フィオナ嬢は言葉を濁した。
ウィスタリア伯爵家を始めとしたいくつかの貴族家が例外で、この国は女性が政治をするべきではないという考えを持つ者が多い。
うちでは生き生きとしているフィオナ嬢だが、メイドの目は気になるようだ。こっちに来てからはお忍びで出掛けたりしているし、今更だと思うんだけどな。
フィオナ嬢にとって、お忍びで出掛けるのと、政治に関わるのは別なんだろう。
「ひとまず、報告書が上がってくるのを待ってからだ。ただ、そのあいだもただ黙って待っているつもりはない。近々町に出ようと思うんだが――付き合ってくれるか?」
お忍びで町を散策しながら話し合う。
こちらの意図は正しく伝わったようで、フィオナ嬢はふわりと微笑んだ。
ルコの町に到着してから数日が過ぎたある日。この町の現状を把握するための書類仕事が一段落ついた、暖かな陽差しが降り注ぐ午後。
平民の恰好に扮した俺とフィオナ嬢は、視察がてらルコの町の表通りを歩いていた。リリアナとリーシアには留守番を命じているため、いまは俺とフィオナ嬢の二人だけだ。
冒険者として過ごしていた経験もあるので、いまの俺達を見て貴族と見破る者はいないだろう。俺達の変装は完璧である。
「へぇ、じゃあ、思ったより町の被害はなさそうなんだ?」
「帳簿を見る限りはそんな感じだな」
ポツポツと行き交う町の人々のあいだを抜け、フィオナ嬢に資料から読み取ったこの町の現状を伝える。景気は悪くなっているが、そこまで心配する必要はないという内容だ。
だが、それを聞いたフィオナ嬢が目をすがめた。
「ねぇアレン兄さん。それが事実なら、町の活気がなさ過ぎない?」
「まぁ……だいぶ振り回されたみたいだしな。被害が出てない訳じゃないし、商人の足も遠のいてる。その辺りを考えるとこんなものじゃないか?」
「うぅん、そうなのかなぁ」
頬に人差し指を添えて首を傾げる。納得がいってないのは一目瞭然だ。
「なにか思うところがあるのか?」
「うん。アストリー侯爵領も最近貧困に喘いでいたでしょ? だから思うんだけど、あのときの侯爵領と同じくらい暗い感じがするんだよね」
「ふむ……」
言うなれば、当時のアストリー侯爵領は、災害続きでもはやどうしようもないというレベルだった。アストリー侯爵家が家財を売って、それを町の支援に充てていたレベルだ。
いまは随分と改善しているが、当時は相当に苦しかったはずだ。
対して、ルコの町はもともと経済が悪かった訳ではない。ロイド兄上の失策で、生活資金が不足することで、みんなの財布のヒモが硬くなっているだけ。
なのに、同じくらい活気がなく見えるというのは……ちょっと気になるな。
もちろん、同じくらい活気がないからといって、同じくらい状況が悪いとは限らないが、町民が疲弊しているという目安にはなる。
そう考えれば、報告書の数値では見えないような問題があるのかもしれない。
辺りを見回した俺は、立ち並ぶ屋台に目を付ける。フィオナ嬢に視線で合図を送って、串焼きを売っている屋台に足を運んだ。
「おっちゃん、串焼きを二本くれ」
「はいよっ、ちょっと待っててくれよな」
おっちゃんが軽く焼いてあった串を網の上に乗せた。少なめの炭で、じわじわと炙られている。売れ行きがそれほどよろしくないのだろう。
「なぁおっちゃん、最近の調子はどうだ?」
「見ての通りさ。うちはちょっとした人気店だったんだがよ、こんな風に人通りが少なくっちゃ商売あがったりだ」
おっちゃんは力なく笑った。それは全てを諦めようとしている者の顔だ。
「原因は……領主様の失策か?」
「おいっ、めったなことを言うなっ!」
彼は俺を叱責した後、周囲を見回してホッと息を吐いた。
「兄ちゃん、勘弁してくれ。役人に聞きとがめられたら捕まっても文句は言えねぇぜ?」
「あぁ、それは悪かった」
失策を口にしただけでこの反応、か。串だけで色々聞き出せると思ったが、少し甘かったかも知れない。そう考えた俺は、おっちゃんに貨幣を差し出した。
「あん? 串はまだ焼き上がってねぇぜ?」
「これは串代とは別だ。この町について教えてくれないか? 商売を始めようと思ってて、この町で商売をしてる先人達の意見を聞きたいんだ」
「なんだ、兄ちゃん、行商人かなにかなのか?」
「まぁそんなところだ。俺達は――」
「夫婦で商売を始めようと思ってるんです」
兄妹で商売を――と、前世のように説明しようとしたところ、俺の腕に自分の腕を絡めてきたフィオナ嬢に先を越された。
「おい、フィオナ――」
「なぁに、あ な た?」
愛らしく微笑み返してくるが、その目はいたずらっ子のように笑っている。完全に遊んでいるようだ。仕方ないなぁと、溜め息交じりにその設定を受け入れた。
「まぁそんな訳で、商売をしようと思ってこの町に来たんだ。税が安いって聞いてさ」
「あぁ……なるほど。残念だが兄ちゃん、その情報は少し古かったな。いまでは下がった税が元に戻って、見ての通りの有様だぜ」
「税が戻って、町並みも元に戻ったってことか?」
むろん、そうではないと知っている。
知った上で、そんな聞き方をしたのは――
「いや、前はこうじゃなかった。一度下がった税が元に戻っただけ。町の役人もそう言ってるけどよ、実際には前よりずっと町の景気は悪化してるんだ」
自分で暮らしている町が、誤解で低く見られるのは嫌なものだ。目の前のおっちゃんもその例に漏れなかったようで、なにがどう違うのかを説明してくれる。
以前は、このくらいの時間だと買い物に行き交う人であふれていたそうだ。それが税が軽減することで更に増え、人混みで酔う人が出るほどだった。
だが、税が元に戻ると急激に人はいなくなり、ポツポツと行き交う程度になったそうだ。
「いなくなった人はどこへ行ったんだ?」
「あ? そりゃおまえ、家で手仕事とかをしてるんだろうさ」
「手仕事って言うと、籠を作ったりとか、か?」
「まぁそりゃ、色々あるけどよ。籠もそうなんじゃねぇか? 後はろうそく作りとかか?」
その話を聞いていた俺はなにかに引っかかった。生活が苦しくなれば仕事を増やすのは当然だ。こう言った表通りから人が少なくなるのも不思議じゃない。
……なら、俺はなにに引っかかったんだ?
「よし、串が焼けたぜ」
おっちゃんに声を掛けられて我に返る。
俺は慌てて二本分の代金を手渡して代わりに串焼きを受け取る。
「ありがとう、おっちゃん。助かったよ」
「気にすんな。それより、熱いうちに食べちまいな」
「あぁ……そうだな」
一本をフィオナ嬢に渡して、もう一本はそのままかぶりついた。じゅわっと肉汁が口の中に広がるが、美味い――とは言いがたい。
半焼きの状態から、温め直すように焼いたせいか、少し歯ごたえが悪い。だがその反面、肉の味は決して悪くない。ブラックボアには叶わないが、値段を考えれば上々だろう。
これが焼きたてならとは思わずにはいられない。
客足が遠のくから、焼きたてを提供できなくなる。焼きたてでないから味が落ち、それによって客足が遠のいていく。経済と同じ悪循環だ。
だが、むろんおっちゃんの前でそんなことを口にするつもりはない。
肉をかじりながら道行く人を眺めていると、妙な連中が通るのを見かけた。見た目こそ、町人と対して変わらないが、その気配が明らかに一般人と違っている。
犯罪者という感じではないが、なんとなく嫌な気配だ。
「おっちゃん、あの連中は何者だ?」
「あぁ、あれは……」
「――おまえら、姉ちゃんを返せっ!」
おっちゃんが答える直前、連中に少年が突っかかっていった。




