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21/23

21休暇らしい休暇

 よく考えたら、待ち合わせ場所も時間も指定していなかった。

 朝起きてそう思ったけど、もう今更だ。

 洗顔をして、とりあえずギルドに行こうと計画を立てる。


 コーサディルの普段着は中世の王道のようなものじゃないにしろ、さすがに元の世界とは違う。女性は職業的にパンツを履かなければいけない人以外は基本的にスカート、それもワンピースが多い。

 普段着はいくつか買ってあるけど……冒険者が利用しそうな店に行くんだから、あまり場違い感がないものにしよう。

 スカートは除外して、無難に柔らかい素材のブラウスと焦げ茶のパンツに着替える。暖色系のサッシュを巻いて、いつもと大して変わり映えがないことに自分で笑ってしまう。

 まぁ、デートじゃあるまいし、気合いの入ったワンピースなんて選ぶ必要もないだろう。TPOは大事だ。

 いつもしている装飾品をいくつか外して、胸あたりまで映る鏡で確認する。さすがに芸がないので髪くらいはいつもと違うようにしようと思い、前髪は降ろして流し、後ろは三つ編みにしてからまとめてアップにしてピンで留める。

 ゴムはないけどピンだけでもあってよかった。髪紐じゃまとめるのが面倒で、いつも同じ髪留めだったから。

 最後に化粧をしようか迷って、エヴァさんにアドバイスされて一通り買ってあった化粧道具から口紅だけを出して()いた。


「まぁ、お出かけだし、ね」


 何となく言い訳したくなるのは、口紅が思ったよりも綺麗に発色してわかりやすいからだろうか。

 艶のあるコーラルピンクをぬぐおうかと思ったけど、気にし過ぎだと自分に言い聞かせる。

 これでも結構気取っていない格好なのに、これ以上適当な感じにすると隣で歩くラーシュに失礼だ。冒険するでもなく、都市を歩くなら色々な店に入ったりもするだろうし。


 もうなるようになれ、と半ばやけくそになりつつストレージのポーチをつけて部屋を出る。

 階段を降りようとしたところで別の個室の扉が開く。出てきた三十歳前後の商人の男性が私を見て、軽く会釈した。

 今日チェックアウトするのはこの人だったか、確か昨日の食堂でそんな話を聞いた。


 男性が話しかけたそうな空気を纏わせて近づいてくるけど、気付かないふりをしてそのまま階段を降りる。

 別に意地悪をしているわけじゃなくて、こう、わかりやすく“よし、今日こそ声をかけて一緒に食事をするぞ”というオーラを出されると避けたくもなるだろう。

 彼はどうやら私に気があるらしい。エヴァさんも別の個室の壮年の商人も苦笑して見守るくらいだ、わかりやす過ぎる。

 商家の四代目で修行中らしいけど、商人なら簡単に人に考えを読まれないようにしないといけないだろうに。それとも仕事の経験は恋愛では全く反映されないんだろうか。特段悪い顔をしている訳でもないのに女慣れしていない感が出ていて何ともやりにくい。


 一応、自分の容色が優れていることは知っている。気位が高そうだけど、好きな人は好きな顔だろうと言うことも。

 ただ現時点で誰かを恋愛をしたいとは考えていないし、好意があるわけでもない男性に思わせぶりな態度をとる気も全くない。


「恋愛、か」


 それ程多くないにしろ、私も家を出てからやむにやまれず流された関係もあったし、お付き合いというものもしたこともある。

 まぁきちんとした恋愛をしてきたかと考えると首を傾げてしまうけど、それでも今の男性より経験値は少なくないはずだ。

 ――それでも、誰かの“特別”になんてなれなかったけど。


 友達も、仲間もほしい。でも、恋人もほしい。極論、この世界で冥界まで付き合ってくれる人に会いたい。

 そう言えば上位魔獣の混血は寿命が長いんだった。まだまだまだまだ時間はあるけど、こんなに自由なのにあまりにひとり身が長いと淋しくなってしまう。


「結婚は地獄だと思ってたんだけどなぁ」


 なんせ、身近にあった婚約話は完全に個人の意思がなかった。愛情も信頼も一欠けらもない、打算だけの婚約。

 この世界で結婚するとしても、そんなことにはならないだろう。私には付随するものが何もない。

 過剰な夢は見ないけど、結婚したいと思った人と添い遂げたい。例え寿命が違っても、一瞬でも幸せになりたい。


 階段を降り切って、どこかで読んだコーサディルの結婚システムを思い出しながら足は食堂に向かう。

 ああ、今日もエヴァさんの作るご飯はいい匂いがする。


「お付き合いイコール結婚じゃないなら、落ち着いたら何人か……」

「おい」

「っうわ」


 真横から、とてつもなく腰に来るハスキーボイス。

 思わず肩がびくりと揺れてしまって、若干挙動不審になってしまう。


「あ、れ? ラーシュ、おはよう?」


 どうしてこんなところにいるんだろう。待ち合わせの場所を言わなかったことを気にしていたんだろうか。

 とりあえず変に高くなってしまった声で挨拶をしてみると、ラーシュは何故か私の背後をちらりと見て。


「お前、ああいうのが好みなのか」

「はい?」

「金があっても腕のねえ男はやめとけ。苦労する」


 訳がわからなくて振り返ってみると、いつの間にか階段を降りてきていた商人の男性と目が合った。

 妙に引きつった顔をしているのは、ラーシュの目つきが随分と怖いからだろうか。


「いや、好みに資産の多寡は入っていないんだけど……自分で食べていけるし」

「そうか」

「大体私、今誰かと付き合うつもりないし」

「は?」


 どうしていきなり凄むんだ。私が一体何をしたと。


「とにかく、私の恋愛はどうでもいいでしょ。朝ご飯食べに来たの?」

「違えよ。つうかお前まだ食ってねえのかよ、いつもより遅え」

「え? ごめん準備してたから……急ぐなら今日は朝食断ってくる」


 そんなに大幅に遅れていたか。まだ食堂は開いている時間なはずだけど……

 焦りながら再び食堂に向かおうとすると、二の腕を軽く掴まれる。


 今日のラーシュは初対面と同じくらい訳がわからない。

 いきなり私の男関係まで指導に入らなくても、自由な身なら下手を引くことはほぼないだろうから平気なのに。


「なに?」

「隙のある格好してんじゃねえよ」


 するり、とうなじを軽く撫でられる。

 肩を竦めたくなるような、くすぐったい感覚。


 確かに髪をアップにしたからそこは出ているし、ジャケットもなくてブラウスも硬い素材じゃないからうなじは見えている。それでも胸元はいつものビスチェの方が開いているから差し引き同等で変わらないんじゃないか。

 そう真面目に考えようとしているのに、何故か迸る程のフェロモンを振りまく彼に何と返したらいいのかわからない。

 この、たまに出るやたらと甘い色気は何なんだろうか。私をどうしたいんだろうか。


「フル装備で行った方がいい? スカート履かないだけでも空気読んだと思うんだけど」

「……いや」


 少し考えてから、彼が納得したように頷いて手を離す。

 こういう雰囲気はやめてほしい。どうしていいか、困ってしまう。


 深く観察すれば、考え全てはわからないにしても、誰がどんな感情を抱いているか大体わかる。

 そのはずだったのに、この世界は少し読みにくい人が多い。それは私に向けられる感情の種類が増えたからだろう。

 負の感情より、正の感情を多く感じるようになった。慣れていないからこそ、観察しても結論に結び付けにくい。


 彼の目に映るものが、よくわからない。色々なものが混じり合って、時折強く私に向く、その感情が。

 厚意というには距離が近過ぎて、好意というには複雑で。

 自分が感じたことのないその感情に、どう名前をつけていいかもわからない。


 とりあえず、考えるのは彼がそれを口にしてからだろう。

 言われてもいないことについてぐ思考を巡らせても、どうなるものでもない。


「……男は選べよ」

「少なくとも後六ヶ月は誰とも付き合わないから」

「あ?」

「ご飯食べていい?」


 今までの雰囲気を流すようにして、三度目の正直で食堂に向かう。こんな話をしているくらいだから時間には余裕があるだろう。

 とにかく、エヴァさんのご飯を食べないと一日が始まらない。




× × ×




「西と東、どっちだ」

「説明をお願いします」


 コートを脱いだだけの、いつもの黒尽くめスタイルの彼。

 もしかしなくても同じ服を何着も持っているんだろう。もうこれ以外を着ているところが想像できない域まで来てしまっている。


 朝食を急いで食べて歩き出してすぐ。

 唐突な選択を迫ってきたラーシュに真顔でそう返すと、彼はグローブをしていない刺青の入った手で、ゆったりと砂色の髪を掻き上げた。


「西には迷宮品に手ぇ加えられるレベルの防具屋がある。近くに陰気な婆の薬屋と性癖やべえ呪術屋。裏通りはこっちにあるから気ぃつけろ」

「……東は?」

「東はでけえ道具屋と、あと武器屋通りがあるがピンキリだな。あっちは前に連れて行った魔道具屋の筋が何店か出してる。半裏通りがあるからそっちなら見せてやる」

「…………間違っていたら申し訳ないんだけど、半裏通りって限りなく違法ギリギリのものが売ってたりする?」

「わかってるじゃねえか」


 そして裏通りは単なる裏道じゃなくアンダーグラウンドそのものだろう。

 言葉通りと言ったらそのままだけど、そんなものを彼もよく知っているな。

 半裏なら、ということは裏通りに入らないように説明だけはしてくれるつもりなんだろう。私もいきなりそんなコアな場所を案内されたくはない。興味はかなりあるけど。


「ラーシュにお任せする。正直、私が知ってるのってギルドのある大通りのお店だけだし」

「まぁその辺の店なら良くも悪くも普通だからな。何か欲しいモンは?」

「装備は今ので充分だし、武器はそもそも使わないし……あ、採取用ナイフの予備がほしいかな。ポーション以外の薬も見てみたい」

「だったら東だな。あと純粋な魔法士でもサブで何かしらの武器持ってる。一応見とけ」

「はぁい」


 気の抜けた返事をしてしまうけど、今日はオフのようなものだからいいだろう。

 それに何だか、私がこういう甘ったれた声を出すとラーシュは機嫌がよくなる。謎だけど、楽しそうなら何よりだ。


 先導するラーシュの半歩後ろを歩くようにして、いつもとは違う道へと向かう。

 ファルクは巨大な都市だ。ギルドや依頼関連の場所ばかりを行き来して、たまに近場のお店の開拓くらいしかしていない私にとっては、どこを歩いても新鮮でつい視線があちこち動いてしまう。


「行きたい店あったら言え。勝手にいなくなるな」

「さすがにそこまで自由人じゃないよ。案内してもらってる身なのに」

「意見すんなとは言ってねえ」


 そんなこと言うと乙女チックな雑貨屋に入りたくなる。絶対ついて来てくれないだろうけど。

 そういうのは目星だけつけておいて今度ひとりで来よう。ストレージがあっても魔道具を入れるボックスくらいはほしいし。


「あ、ラーシュ。香油ってやっぱり雑貨屋にある?」


 並みの暮らしをしている平民以上には必需品らしい香油。髪や肌の手入れに使うと聞いてはいたけど、実は買ったことがない。

 朝露亭に備え付けてあるのは石鹸と香草を原料にした洗髪剤だけだ。香油は各人の趣味嗜好があるから置いていないとエヴァさんが言っていた。

 このきらきらしいハニーブロンドの髪も白磁と称せる肌も、特に手入れはしていない。

 多分、美を追求する世の女性に言ったらすごい目で見られそうだけど、普通に洗って乾かせば髪はさらさらだし肌はつやつやになる。

 正直元の私もこんな感じだったので特に気にしてはいなかったけど、この間双子のパーティーのお姉さんに香油の話をされたから一応買っておこうかと思った訳で。


「まあ、多分あんだろ。新しいのにでもすんのか」

「え、いや、そもそも持ってないけど?」


 片眉を僅かに上げて不思議そうな顔をされても、何のことだか。

 つい反射で女性の嗜みすらできていないことをバラしてしまったけど、ラーシュはそんなこと気にした風もなく、すっと私の耳元に顔を近づけた。


「じゃあ香でも焚き染めてんのか、これ」

「何も使ってないって……あ、煙草?」

「違え」


 そのままにおいを嗅ぐラーシュを、とっさに押しのける。

 においのつくものは何も使っていないし、煙草でもないとすれば……どう考えても私の体臭だろう。そんなものを嗅がれていると思うと、非常に恥ずかしい。毎日浄化とお風呂を欠かしていないとは言え、それとこれは話が別だ。


「ラーシュさん。私、可及的速やかに香油を買いたいです」

「香油使わないでこんだけの髪と肌なら必要ねえだろ」

「体臭におうなんて絶対に嫌」

「自前で花の香りするなんて得じゃねえか。そのままでいい」


 にやりと笑った彼こそ、自前のフェロモンが半端ない。

 道行くお嬢さん方がちらちらとこちらを見ているのがわかる。遠巻きにこっそりと見て楽しむ、危うい雰囲気の美丈夫の楽しみ方の正しい形だろう。

 というか、私はいつから漫画の登場人物のようになってしまったんだろうか。花の体臭なんて、全然わからない。ラーシュの勘違いじゃないのか。

 半歩先じゃなく隣を歩く彼は機嫌よさそうで、何となくそれ以上つっこむと更なるスキンシップをされそうなのでもうスルーするしかない。

 意外と平気で接触してくるからなぁ……見た目的にドライでスキンシップとか嫌いそうなのに。


「ファルクって広いよね。今日一日で東西回れる?」

「流し見ならできるが、旅の途中でもねえし西は今度でいいだろ」


 その言い方だと次回も案内役をしてくれるということだろうか。

 サービスがよ過ぎないか、ラーシュ。


「普通の指導者って休日までついてくれるもの、じゃないよね」

「そこまで含んだ依頼ならやるんじゃねえの」

「だったら次はひとりで行くよ。ラーシュも休みたいでしょ?」

「別に。日ぃ跨がねえ依頼ばっかだし夜遅くもねえからな」

「いい人過ぎる」

「ねえだろ」


 いや、あるよ。私のためにそんなに時間使ってくれる人なんて、いなかったから。

 どことなく落ち着かないような、くすぐったいような。そんな不思議な気持ちになって、思わず口元が緩んでしまう。


 人の感情もわかりにくくなったけど、自分の感情も同じように掴めないものが多くなった。

 それが不快じゃないことだけは、わかっているんだけど。

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