令嬢は遠足のような冒険をする6
ホルトの様子が気になるけれど、ひとまずはリンゲル草を確保しなきゃ。私は二人が並んで歩ける程度の横幅の山道に目をやった。アベル様の言うとおり定期的に人が踏みしめているのだろう、轍のようになったそれは想像していたよりも歩きやすそうだ。
「では皆様、行きましょう!」
地図を持ったアベル様が意気揚々と先頭になり山道へと足を踏み出す。レインとキャロもそれに続き、ホルトも気を取り直したような様子でさらに続いた。
さて、と足を踏み出した私の隣にはフランが並ぶ。また手を繋いでくれたり、するのかな。そんな期待を込めて彼を横目で見たけれど、フランはこちらには目も向けずなんだか不機嫌そうに押し黙っている。
……どうしたのだろう。私、またなにかフランが怒るようなことをしたかな。
踏むと体重で沈み込む落ち葉が降り積もった地面を踏みしめながら、私とフランは無言で歩いた。山の空気を胸に吸い込むとそれはとても清涼で、緑の隙間から零れる木漏れ日もぽかぽかとして心地いい。
フランのご機嫌がよければ、もっといいのにな。
そんなことを思いながら皆の背中を見つめて歩いていると、フランが口を開いた。
「お嬢様。先ほどは……ホルトと」
フランもホルトの様子が気になるのかな。そりゃそうだよね、二人は仲がいいから。でもなぁ。
「……貴方にだって内緒なのよ、フラン」
私は、ホルトに内緒だと約束したのだ。フランを見上げ、じっと見つめる。するとフランは真剣な瞳で私を見つめ返した。
「先ほどは……彼と、口づけを……」
「え?」
「いえ、なんでも」
……? 声が小さくて、よく聞こえないのだけど。フランの眉間にはとても深い皺が刻まれている。こんなに歯切れの悪いフランもめずらしいわね。
心配になってそっと手を握ると、細い目を少し開いて驚いた顔はするけれどめずらしく彼は振りほどかない。わぁ……嬉しい。フランとおててを繋いでる! にぎにぎと手袋越しの手の感触を確かめながら、ほにゃり、とだらしなく笑うとフランの表情が苦い薬を飲んだ後のような、なんとも微妙なものになる。
だけど彼は……そんな顔をしても、まだ私の手を振りほどかなかった。
どうしたんだろう、本当に。いいのかな、もう少し調子に乗ってしまっても。思わず鼻息が荒くなってしまうんですが。よ、よーし。もうちょっと大胆になってしまえ……!
「……フラン、大好き」
震える声で囁いてフランの指に指を絡めると、繋いでいたフランの手はすっと離れてしまう。ああ、さすがにダメですか。私はそう思いながら離れていくフランの手を見つめた。
その時、フランの足がぴたりと止まった。
「フラン?」
私も立ち止まり、様子を窺おうと彼の前に立つと。フランの手が……私の方へと伸びてきた。手はなぜか私のおとがいにかかり、そのまま軽く顎を持ち上げられる。
「フ、フラン?」
フランの親指が、やわやわとゆるやかな動きで唇を撫でた。顔に血が上っていく。こんなの、どうしていいのかわからない。私は身動きどころか呼吸すらすることができず、潤んだ紅玉の瞳でフランを見つめた。
大好きなフランの青の瞳。それが私を見つめ返している。引き結んだ綺麗な形の唇は、なにかの感情をこらえているようで。だけど私にはその感情がなんなのかが読み取れない。繊細な質感の黒髪が、風で揺れて彼の白い頬に流れるのがとても綺麗で……思わず見惚れてしまう。
鼓動が異常なくらいに早い。このままでは胸を突き破ってしまうかもしれない。
どうして、こんな風に触れるの? 貴方に触れられるのは嬉しいの。嬉しいのだけど。理由を教えて欲しい。
……もしかしてフランは、ホルトと秘密を作ったことを怒っているのかしら。
仲間はずれが、そんなに嫌だったのかな。フランも可愛いところがあるわね。
「……ホルトと内緒話をしたのが、そんなに嫌だった?」
絞り出すように言った私の言葉にフランは虚を衝かれた顔をし、細い目を大きく開いた。開いてもだいぶ細いのだけど。そんな貴方のお顔が大好きだわ。
「……内緒、話? あんなに、顔を……近づけて?」
フランの唇から呟きが漏れて、するりとおとがいにかけられた手が離れていく。ほっとしたような、寂しいような。私はそんな気持ちでそれを見送った。
フランは驚くほどに大きなため息をついた後に、眉間のあたりを片手で押さえる。そしてちらりと、流し目で私を睨み……。
「――あ、あだっ!!」
なぜか私の頭に強めの手刀を落とした。な、なんで……!! それは立て続けに私の頭に数発落ちる。痛い、痛い! 脳細胞が死んじゃう! 全滅しちゃう!
「痛い! フラン……痛いっ!」
フランからもらえるものはなんでも嬉しい。だけど手刀の連発はさすがに辛い。私の脳細胞傷つけた責任を取ってちゃんと結婚して欲しいのだけど!
「ちょっ! フランさんなにしてるんですか!?」
「腹黒糸目! あんたねぇ!」
アベル様とレインが慌ててこちらへと走ってくる。ホルトは目をまんまるにしてこちらを見つめ、キャロは『あらあらまぁまぁ』と言いたげに口に手をやっていた。
「腹黒糸目! お姉様になにしてんのよ!」
レインが弾丸のような勢いで私に抱きつきフランを睨む。レイン、貴女の抱きつきも結構重くボディに入ったわ……。山を登り始めて十数分なのに、私の体はなぜかもうボロボロだ。
「いつも通りお嬢様が悪いんですよ」
フランはしれっとした顔でレインにそう答えた。
「ああああ、公爵家のご令嬢に……! フランさん、首が、首が飛びますよ!」
アベル様は至極常識的なことを言いながら慄いている。大丈夫よアベル様。私はそこらの公爵家のご令嬢と違って、従者から手刀を数発受けたくらいで罰したりはしないわ。むしろフランにならなにをされてもいい。
「……この人の距離感が紛らわしいから悪いんです」
吐き捨てるように、小さな声でフランが言う。
……紛らわしいって、なんなのかしら?
おでこコツンから起こる勘違い。
フランさんはなかなか自制が難しいようです。




