弱肉強食の理
視点:三人称
地面を揺らし、凄まじい勢いで人食い鬼がミカゲに襲い掛かる。
失った右腕の仇を取らんとばかり、巨大な左拳を握り締め、ミカゲへと向けた。
身長が5m近くあるオーガの本気の攻撃――圧倒的な膂力から放たれる悪夢の一撃を受ければ、ミカゲの華奢な身体などどうなるかは明白だ。
にもかかわらず、彼女がオーガを恐れている様子はない。上段構えの姿勢から微動だにせず、オーガの動きを冷静に見つめている。そのミカゲの態度が余計にオーガの怒りに火を点けた。
――食料程度の価値しかない人間風情に右腕を奪われた。
奪う対象でしかなかった人間から逆に奪われるなど、彼にとってはこの上ない屈辱であった。
痛め付け、苦痛に歪む様を楽しみつつ喰らう。人間の価値など所詮その程度でしかなかったのだ。餌に等しい存在から腕を斬り落とされる――そんな事が許されるはずがない。
だから、戻さなければならない。
やられっぱなしでは、オーガと人間のあるべき関係――強き者と弱き者の関係へと戻せない。
「ゴオオオオオオオオオオッッ!!」
憤怒の鬼は大きく咆哮する。
すべき事は簡単だ。殺せばいいのだ、目の前にいるひ弱な女を。
圧倒的な力で蹂躙し、原形も残さぬほど潰してやれば全てが解決する。
強い者が生き、弱い者は死ぬ――単純だが格の違いを証明するのにこれほど説得力のある事があろうか。
今のオーガには獲物を楽しむような甘さは存在しない。
ただ、目の前にいる人間を殺し、立場を分からせてやるという考えだけだ。
怒りと殺意を乗せた左拳――ソレがミカゲへと当たる距離まで近づいた。
オーガは一切の容赦もなく拳を振り下ろす。
防御など何の意味もない、憤鬼の渾身の一撃。当たれば確実に死ぬ。
オーガは自らの勝利を確信し、いやらしい笑みを浮かべた。やはり人間など、所詮この程度なのだと、そんな事を考えて。
――だが、そんな余裕の笑みはすぐに失う事となった。振り下ろした拳によって無様に潰れていく予定だったミカゲの姿が消えたのだ。
全力を込め、空振りした一撃に身体をもっていかれ体勢を大きく崩す。
――馬鹿な、消えただと? どこへいった?
混乱し慌てそうになったオーガだが、そこは魔物とはいえ歴戦の捕食者。
姿が消えたのならば、考えられる可能性は二つしかない――上か、下かである。
即座に考えが纏まったオーガが上空を見ると、刀を頭上まで掲げ、攻撃準備が整ったミカゲがそこにいた。勢いを乗せたオーガの一撃を冷静に見切り、上空へと飛んでいたのだ。
体勢を崩したこの状態では、回避は不可能。しかし、オーガの表情には余裕の色があった。慌てた様子も、なんとか回避しようと足掻く姿もそこにはない。
何故ならば、オーガの身体で一番硬いのは頭だからだ。
その強度は、王国騎士が装着する鋼鉄製のフルプレートを遥かに凌ぐ――生身とは思えぬ圧倒的な防御力。オーガがニヤリと再び笑みを作り出した。
――いいだろう、脆弱な人間の一撃を受けてやろうではないか。
そんな事を考え、頭に全神経を集中させるオーガ。
ミカゲの一撃を耐え、刀を弾き彼女の体勢が崩れたところで反撃に転じ、止めを刺す。
この上ない、完全勝利。負けることなどオーガは微塵も考えていない。
鋼鉄を超える自慢の防御を、人間如きが貫くなどあり得ないと確信しているからだ。
そこに居たのが、並の冒険者だったならオーガの考えは正しかったであろう。
事実、オーガの頑強な頭を叩き割れる者など殆どいない。
だが――相手と得物が悪かった。ミカゲの持つ刀は、極限まで切れ味を高めた稀代の業物。更にそれを使うミカゲ自身も、剣豪の父からあらゆる技術を教え込まれた高い技量を持つ剣士であった。
オーガは気づいていない、ミカゲが仕掛けようとしている技に。硬質な物質を斬るためだけに編み出された剣豪の必殺技――秘剣『兜割』。
耐えるという選択が愚かだったことにオーガが気づいたのは、自らの身体がいつの間にか縦に両断されてからだった。
「…………アガッ?」
否、斬られてからも鬼はしばらく気づかなかったのだ。
それほどまでに、兜割は強烈なものであった。斬られたことすら分からぬほどの速さで、豆腐のようにオーガの硬質な皮膚を切り裂いた――これぞ閃光の一撃。
真っ二つにされたオーガの身体が、まるでモーゼの海割りのように別たれて崩れ落ちた。脳も分断され、薄れゆく意識の中最後にオーガが見たものは、真っ赤な双眼でこちらを見下ろすミカゲの姿であった。
それを見たオーガは、理解した。
人間の中にも――恐ろしき化け物がいるのであると。
強き者が生き、弱き者が死ぬ。
奇しくもオーガの考えは証明され、彼は静かに息を引き取った。
秘剣『兜割』
剣豪スキル。上段構え専用の必殺技にして、対堅牢型モンスターへの切り札。
高い技術と、精神統一を合わせることであり得ない程の切断性を持った攻撃力を得る。
欠点としては、技の準備まで時間が掛かる上に隙も大きいので汎用性がない。




