終演
鴉はパソコンから取引銀行のサイトを見た。
下宇田からの一億円の入金を確認してから、手帳に挟んであった三木の写真を破り、机の上の灰皿で焼いた。もう一枚は下宇田を裏切って三木と通じた女の写真である。この女を始末すればあと一億の入金がある。
女の元へ誰を差し向けようかと考えて、最近入手した、髑髏爺に決めた。髑髏のくせにじいのくせに女好きのスケベな奴で、全く若い娘に差し向けるには相応しい図柄だ。
髑髏爺は青女房のいた場所に座っている。青女房の姿はどこにもない。
大きな髑髏に目玉と小さな手足がくっついている。おどけた表情だが仲間の受けはすこぶる悪い。
鬼子母神の尻をさわっては殴られて、それでも懲りずにちょっかいを出す。
(やれやれ……あたしも、どこか他所へ行きたいもんだよ……何でこんな奴を入れたんだろうねえ……あにさんは……)
鬼子母神がうらめしげにため息とともにつぶやいた。
「まあ、そう言うな、鬼子母神。こんな奴でもまあ、ええとこもあるんやで」
と鴉が言った。
(ほんまでっせ、姐さん)
鬼子母神に睨まれて、髑髏爺は肩をすくめた。
(何やねんな……)
ぶつぶつと髑髏爺が愚痴をこぼす。その横で髑髏爺とともに新顔の猫又がばさばさっと毛をかいている。鋭い爪にひっかけられて玩具にされるので、小鬼達は遠くの方で震えている。
凰が三木を殺しに飛んで来た時、その尾にくっついてやってきたのは猫又であった。
凰が任務を全うした後、猫又は死にかけている須藤に取り憑き、これまた半死半生の浅田を抱えて鴉の部屋まで戻ってきたのである。猫又は人間に取り憑き、その器を操る能力がある。それは生きている人間だろうが死体だろうが構わない。ひょいひょいと前足を動かせば、誰でも猫又の操り人形だ。
「ようやったな、猫又」
鴉が褒めたので、猫又は嬉しそうな顔をして、どうだ、とばかりに仲間を振り返った。そして優雅な仕草でのびをしてから丸くなった。
(ふん……)
鬼子母神は素っ気なくそっぽを向いた。
(あにさんも……むごい事をなさる……)
と言ったのは貧乏神である。
「何でや」
と鴉がくわえ煙草で聞いた。
(浅田はもう……人間の生活ができませんよ。背中にあんな……あんな……)
鴉が大きな声で笑った。
「あほか、当たり前やろうが、俺の可愛い女に手ぇ出しくさって、人間らしい暮らしがこの先できると思う方が間違いや。浅田は今生も来世も青女房と添い遂げてもらうで」
そう言った時にドアが開いて、浅田が顔を出した。
「ちいーっす」
「どうや、背中」
「ええ、だいぶん、痒いのもおさまりました」
浅田は上着とシャツを脱いで、背中を見せた。
(ほお……)っと感嘆の声があがる。
浅田の背中には、表題は「青女房」だが、素晴らしい色合いで彩られた若く美しい女房の姿が描かれてあった。青女房はもう年老いた婆の姿ではなく、美しい娘の姿に彫られていた。鮮やかな川蝉色の振り袖に蒲公英色の帯。歯が欠けて、しわしわだった恐ろしい顔は今はふっくらと娘らしい笑みをたたえているし、白髪交じりで頭皮が見えるほど少なかった髪の毛も黒く豊かな量があり、真っ赤なりぼんで結ばれている。
桜の枝と桜吹雪を背景に手には小槌を持って青女房は立っていた。
(あにさん……)
相変わらず声はしわがれた婆さんのような声だが、姿が若返ればセクシーなハスキーボイスだとも表現できる。
「おう、どうや、浅田の背中は居心地がええか」
(あい……とても……)
恥ずかしそうに青女房は口元を着物で隠して笑った。
「まあ、可愛がってもらい」
と鴉が言い、青女房がうなずいた。
青女房は毒素を発する能力を失った。彼女はもう人を殺めることは出来ない。
呪力を持たない普通の人間である浅田の背中で生き続ける為に、青女房は力のないただの刺青の図柄になってしまったのだ。
少しばかりのおしゃべりする能力と、美しい容姿を手に入れたが、仲間の元へは二度と戻れない。
それでも青女房は幸せそうに微笑んでいる。
その浅田へ鬼子母神が囁いた。
(ちょいと、浅田……どうやの? 仲良うやってるの?)
「まあな」
浅田は頭をかく。
青女房を背負った浅田はまんざらでもない様子だった。
鴉に背中の青女房を見せられた時は驚いたが、彼女の美しさにしばらく言葉が出なかった。鴉に仲間と認められた様な気がして、胸が詰まる思いがした。
美しい娘がいつでも浅田の側に寄り添い、そして話をしてくれるのだ。
孤独だった浅田に初めて出来た家族のような気がした。
「でも、仕事がなかなか見つからんねん……こいつ、邪魔すんねん。水商売はあかん言うて。学歴もない俺に他に出来る事があるかっちゅう話やねん」
(おやおや)
冷やかすように鬼子母神が笑う。凰もキエーと笑った。
小鬼どもが(……ばあさん?)と若くなった青女房に首をかしげている。
(ホストなんかもうさせへんで……浅田はあにさんの為に客を捜したらええんや……一生懸命やりぃな……なあ、あにさん……)
と青女房が言った。
「へえへえ……」
げんなりとした表情で浅田が言い、鬼子母神がぷっと笑って、
(なんや、すっかり尻に敷かれてるやないの……ああ、ええ気味やぁ)
と言った。
「に、にいさん……お客さんです」
おずおずと須藤が顔を出した。相変わらず、醜くおどおどした表情で鴉を見上げる。
「おう」
須藤は客を案内してまた台所に消えた。
三木の部屋で自分は死んだと思っていたが、気がついたら須藤はまたこの部屋に戻っていた。おずおずと鴉の部屋をのぞくと、鴉は施術中で、寝台には浅田が横たわっていた。また出て行けと怒鳴られるかと思ったが、鴉は振り返りもせずに、
「臭い。どないかせえ、その体」
と言っただけだった。
青女房の毒と呪いの威力で汗と涙、それに尿まで垂れ流して気を失った体は確かに臭かった。体を洗い着替えをして、須藤はそのまま以前と変わらぬ日常に戻ったのだ。許されたかどうかは分からない、だが、鴉はもう何も言わなかった。
「須藤ちゃん、また明日、夕方に客がくると思う」
と浅田が台所に顔を出した。
「は、はい」
「んじゃ」
「お、お帰りですか」
「うん、これからまた客と会うんや」
「さ、最近、す、すごいですね」
このところ浅田の紹介だという客がひっきりなしに来る。一日に二人や三人という日もある。
「まあな、最近、忙しいんやぁ……こいつがすぐに客をかぎ嗅ぎ分けんねん」
背中から抜けだし、そっと自分に寄り添う青女房を浅田が指した。
「ああ……そうですか」
須藤は感心したように背中の青女房を見た。美しい顔の娘だった。
だが、しわがれた声で恐ろしい言葉をつぶやく。
(そうや……あにさんの為にきりきり客を探すんや……わしには殺したいほど怨みを抱いている人間はすぐ分かるからなぁ……顔見れば分かるでぇ……心に闇を抱えてない人間の方が少ないからな……ひっひっひ)
と青女房がつぶやいた。
女がカウンターに座って、ジンジャーエールを注文した。
酒を飲みたい気持ちはあったが、飲み過ぎてしまうのを女は恐れていた。
飲み過ぎると理性を失って何をしてしまうか自分でも分からないからだ。
娘の通っていた中学校へ火をつけにいくかもしれない。包丁を持って校長や担任の家に乗り込んでいくかもしれない。
いいや、まず最初に娘をいじめ殺したあいつらを殺しに行く。
だが、酔った勢いでは駄目だ。きっちりと計画するのだ。失敗は許されない。
何人殺せるだろうか、と女は考えた。
相手は三人だ。
子供の体を棺桶に入れた親の気持ちが分かるか?
子供の葬式を出した親の気持ちが分かるか?
絶対に絶対に許さない。
女はぎりっと唇を噛んだ。
どうやって、殺してやればいいのだろうか。一人でも逃す事はできない。全員にきっちり地獄を見せてやりたいのだ。
自分の死刑は覚悟の上だ。みんな殺す事に成功すれば、自決しよう。一刻も早く、娘の所へいくのだ。母一人、子一人の家庭で、娘を失った私にはもう、何もないのだから。
善など悪などもうどうでもいい。
復讐を誓う私を死んだ娘は悲しく思うか? 否。否だ。
目には目をだ。
全員殺してやりたい。誰も許さない。
許さない、許さない、許さない。
殺してやる、殺してやる、殺してやる。
私を止める奴さえ殺してやる。
未成年だから、罪にならない法律を私は甘受しない。
法が裁けないなら、自分でやる。
私は鬼だ。悪魔だ。ああ、化け物にも成り下がろう。
女の体中からオーラのように怨みの気が立ち上る。
鬼気迫る顔をして出されたグラスを睨んでいた。
(ええ方法があるでぇ……)
と女の耳元で声がした。女ははっと顔を上げたが、誰もいない。
カウンター席の一つ置いた隣には若い男が座っていた。店の中は暗かったが、顔立ちの綺麗な男に見える。その向こう側に若い娘が寄り添っている。
風変わりな娘だと思った。珍しく派手な着物姿で、時代がかった化粧をしている。あんな姿ではさぞかし注目を浴びるだろうと振り返ってみたが誰も彼女を見ていなかった。
(おやぁ……このおなごはんはわしが視えるらしいなぁ……ちょいと霊感があるようじゃのぉ)
若い娘の割に年寄りのようなものの言い方をする。
女はぶしつけにじろじろとその二人を見た。
映画の撮影でもしているのだろうか……そんな事を考えて、関係ないと思ってまた前を向いた。
もう、何もかも関係ない。女は娘と一緒に人生を無くしてしまったのだから。
死ぬ前にしなければならないのは復讐を遂げる事だけだ。
(そやから……ええ方法があるでぇ……鴉のあにさんは……あんたの願いを叶えてくれる……復讐するなら……あにさんを頼ればええ……)
「からす……?」
耳に囁かれた言葉をつい声に出してみる。
「その気なら紹介するで」
今度は男の声がはっきり隣から聞こえてきた。ハンサムな男が素晴らしく魅力的な笑顔で自分を見ていた。
「紹介?」
「そうや、あんたが抱えてる悩みは全て解消や……憎い相手は残らず消してくれる、鴉の闇術や」
どうして自分の考えている事が分かるんだろう。どうして私が憎い相手を殺したいと思っている事を知っているのだろう、この男は、と考えた。
女はぼんやりとその男を見た。
「つらい思いしたんやろう? 鴉に任せたらええ。きっとあんたの力になる。相手が何人いても、どこかのお偉い人間でも、鴉は残らず始末してくれるで。あんたのつらい気持ちをきっと汲んでくれる」
男の言葉はひどく女を力付けた。女の目に涙がこみ上げてきた。
男は娘を亡くしてから初めて欲しい言葉をくれた人間だ。
例え、男が死神でも構わない、と思った。
「残らず? 何人いても?」
「そうや、残らずや。もちろん金はかかるし、あんたにもそれなりの根性が必要や。でもな、成功したら、笑いが止まらんで。あんたの怨みは全部兄さんが晴らしてくれる」
「怨みを……晴らして?」
「そうや……」
男はにっこりと笑った。
「復讐……してくれるの?」
「ああ、そうや。あんたの代わりに兄さんがうまい事やってくれる」
突然の事で女の頭はうまく働かない。騙されるかも、という不安が一瞬心の中をよぎった。だが、本当なら、この男は神様に違いない。
「つらいんやろう? 自分で復讐するには限界があるからなぁ……その様子やとターゲットは複数か? 鴉やったら、何人いても確実に仕留めるで」
男はまた優しく笑って、名刺をとりだした。
「浅田に聞いたって言うて、明日、昼過ぎにここに来て兄さんに相談してみ。そしたらあんたが怨みを抱えて以来、初めて安心して寝られる夜が来るで」
女は名刺を受け取ってそれを見た。
鴉という文字と住所と電話番号だけが書いてあった。
「宜哉」
男がカウンターの中のバーテンに声をかけた。
「今日はもう帰る。店じまいや」
「ありがとうございました。浅田さん」
とバーテンが言い、浅田と名乗った男は席を立った。
男の後ろからついて歩く着物姿の娘が女の方に振り返ってにこりと笑った。
そして男の背中にすうっと吸い込まれるように消えた。
不安げな顔で浅田を見送った女に宜哉が声をかけた。
「あの人の話は本物ですよ」
「え?」
「私も助けてもらいました」
宜哉は女に視線を合わさない。うつむいてグラスを拭いている。
「本当なの?」
「ええ、他言は無用ですよ。あなたの怨みが本物ならきっと力になってくれる」
と宜哉は言った。
女はもう一度名刺に視線を落とした。
女は迷っている。
だが、いつの間にか心の中のどろどろした気持ちが軽くなっている自分に気がついた。
明日、ここを訪ねて行こう、そう思いながら女はいつまでも名刺を眺めていた。
了




