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  作者: 猫又
31/33

鳳凰3

「ぎゃっ」

 と須藤が言って体を丸めた。ぶるぶると震える体はあまりの痛みに汗をかいている

「大丈夫か? 須藤ちゃん」

 と浅田が言ったので、須藤は顔だけ横に向けてにやっと笑ってみせた。須藤の顔は痛みで歪んでいる。やがて痛みが強くなるにつれ原型をとどめないほどに醜く崩れていった。

(辛抱せい……須藤……)

 と青女房が囁いた。 

 須藤に取り憑いた青女房の声は生気を帯びてきた。須藤の体中を蝕んでいる不浄の壺の毒気は青女房にはご馳走になる。鴉の肌で他の怪異達と飼い主の生気を奪い合っているよりもよほどに居心地はよいのである。

「だ、大丈夫です……あ、浅田さん……」

 須藤はようやくそれだけを言って、また苦痛に顔を歪めた。

 須藤は蝸牛のように体を丸めて部屋の隅に蹲っている。強烈な苦痛に手も足も動かせない。だんだん体が溶けていくような感覚がする。手も足も頭も尻も、すべてが溶けて液体となり、またそれらが集まって一つの固まりとなる。どこが足で目がどこにあるのかも分からない。だが部屋の中は三百六十度に視界がきく。浅田の心配そうな顔も天井も、自分の背中に取り憑いた青女房も、そしてドアが開いて入って来た誰かの靴のブランドまで分かるのだ。

「何やってんだ? お前」

 どすんと体を蹴られて須藤はひっくり返った。だが、視界は変わらない。須藤の体を蹴ったのは三木で、彼の履いている靴はイタリア製だった。

 声も出せずに須藤はただじっとしていた。

 三木に続いてガチャガチャと音をさせながら、機材を抱えた男達が入ってきた。

 ビデオカメラを担いで来た男がにやにやと浅田を見下ろして、

「へえ、いい男じゃないっすか、三木さん。こいつは売れますね」

 と言った。 

「だろう? おい、浅田! 出番だぞ」

 と言って三木がかがみこんで、浅田の髪の毛を掴んだ。

「へ、変態野郎……」

 とだけ浅田が言った。

 浅田の頬を一発張ってから、三木がその体を無理矢理に引き起こそうとした時、

(待てぇ……浅田に手ぇ出したら……殺す、言うたやろう……)

 としわがれた声がまた三木の耳元でした。

「……」

 先ほどよりもよほど強い、殺意のある声だった。ここが墓場で、今が真夜中であれば三木も身の毛もよだつほど恐ろしいと思ったかもしれない。だが、ここは都会の真ん中で部下も大勢いる真っ昼間だ。

 鴉の闇にのまれる……先ほどの浅田の言葉が蘇った。

 確かに鴉は奇妙だし、何やらうすら恐ろしい気もする。だが、正体のはっきりしない事に怖がっている暇はない。

 ここに鴉はいないし、今は味方の人数の方が多いのだから。

「聞こえねえなぁ」

 三木は大きな声でそう言った。多少の強がりは含んでいる。

「浅田に手ぇ出したらどうするってぇ?」

 三木は浅田の首根っこを掴んで立ち上がらせ、不思議そうな顔で指示を待っている部下の方に突き飛ばした。

「裸にして鎖ででも縛り付けろ!」

(貴様……)

 ぶわっと青女房の殺意が膨れあがった。倒れたままの須藤の体がぶるんと震えた。

 三木の指示を受けた男達が乱暴に浅田の服を剥ぎ取り、動けない浅田の体をベッドに引きずり上げた。にやにやと笑いながら用意していたロープで浅田の体をぎりぎりと縛り上げる。やがてロープが肌に食い込み、血が滲む。

 須藤の周囲でぶわっと空気が動いた。怒りに燃えた青女房が須藤の体を離れて三木に取り憑いた。

(貴様……許さぬぞ……)

 痩せた老婆の手が三木の心臓の辺りをぎゅっと掴んだ。

「ぐっ……」

 突然息が出来なくなり、三木は苦しそうに胸を押さえた。

(浅田を離せ……)

 三木はもがきながら振り払うような仕草をした。何かが自分の心臓を掴んでいるのが分かるのだ。

「む……む……」

 ベッドの端に膝をついた三木を取り巻きの男達が不思議そうに眺めている。

「どうしたんすか? 三木さん」

「く……胸が……」

 三木は自分の胸の辺りをどんどんとたたいた。

 こいつは鴉の仕業だと思った。刺青に仕込んだ技を殺しに使うと聞いていた。

(浅田を離さんと……もっと苦しい目に遭うぞ……)

 また老婆の声がした。

 ぎゅっと心臓を掴む手に力が入った。なぜだか三木にはそれが細い細い、枯れた枝のような老婆の手だと分かった。茶色くしなびた腕、血管だけが浮いたしわがれた手。やけに伸びた鋭い爪先が三木の心臓の血管に食い込んでいる。

 どくん、と心臓が脈打った。

 自分の拳ほどの三木の心臓は小さな手に握られている。もう少しで握り潰されそうだ。臓器の組織はずたずたに引き裂かれ、老婆の手にどす黒い血液がどろりと垂れた。

 三木は全身に冷たい汗をかいていた。体中が凍えそうなほどの冷たい汗だ。気が遠くなりそうだった。この殺意は本物だと感じた。自分が殺されるくらいならば浅田を離してやる。だがそれでは鴉に屈した事になる。それは三木のプライドが許さない。俺はまだまだこれからだ。鴉を使って下宇田を広げるのは自分だ。こんな所で死ぬはずがない。

「おい!」

 と三木は言った。

「は……なんですか、三木さん」

「殺せ……」

「え?」

「その男……を殺せ! 首を絞めて殺せ! 殴り殺せ! 細切れにして犬の餌にしてやれ!」

(貴様……)

「ぐはっ……」

 三木は心臓を押さえながら、

「俺を殺したら、その男も死ぬ。いや……誰だか知らないが、貴様が俺を殺すよりも部下が浅田を殺すのが早いぞ! いいのか!」

 と叫んだ。わけが分からない三木の部下はお互いの顔を見合わせるばかりだ。あまり賢くもなく、上からの命令を忠実に守る、という特性しか持っていないので、ただ浅田を殺せという三木の言葉に従うしかなかった。

(浅田……)

 弱みを突かれた青女房の力が弱まった。三木は慌てて大きく息をした。

「そ……そうだ、それでいい。鴉よ! 浅田を殺されたくなかったら、黙って眺めてろ!」

 三木は天井に向かって大声で言った。

 部下達は三木を見てから不思議そうな顔をしたが、ベッドの上の浅田の首にまた別のロープをかけた。首の前で交差させて、左右から男達がぎゅっと引っ張る。

「ぐ……」

 浅田は小さい声で唸った。

(浅田!)

 三木から離れた青女房が浅田に覆い被さっている男達に噛みついた。

 だが男達は手をゆるめようとうはしない。青女房が噛みついたことすら気がついていない様子だった。

(なんと……)

 須藤を振り返った青女房が絶望的な悲鳴をあげた。青女房に毒と生気を供給する須藤が白目を向いている。口からは泡を吹いて、だらりと太く赤黒い舌が出ている。

(これまでか……浅田よ……すまん……)

 力を使い果たした青女房の姿がしゅるしゅるとしぼんだ。彼女ももう虫の息ほどの力しか持っていない。浅田とともに逝くのならそれもよかろう、と青女房は浅田の首筋に憑いた。 


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