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  作者: 猫又
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下宇田8

「お前の飼い主はお前など知らんとさ、お前が死のうが生きようが関係ないと言ったぞ」 三木の言葉に浅田はほんの少し傷ついたが、表面にはださないように努力した。

「当たり前やろ、そんなん最初から分かってたし。あんたも無駄な労力使うたなあ。鴉の兄さんに会うんは疲れるやろ。よう無事で戻ったな」

 浅田は生意気に口返事をしたが、その瞬間にどかっと腹を蹴られて体を丸めた。

 マンションの一室に閉じ込められて何日過ぎたのかも分からない。下宇田のチンピラが交代で浅田を見張っている。退屈しのぎに浅田を殴ったり蹴ったりするので、浅田の体は酷く損傷していた。殺すなと言われているらしく、命に関わるほどの怪我ではなかったが、三木が怒りの表情で来た瞬間に、自分の終わりも近いな、と感じた。

「あいつ、何者だ」

 と三木が言った。その言葉の中に戸惑いを感じたので、三木も鴉の恐ろしい部分を体験したのだろうと思った。

「兄さんは本物の闇や。人間なんかが太刀打ち出来ん闇や。逆らわん方がええで。あんたが下宇田のええ顔でも、兄さんにはかなわん。自分でも感じたやろ?」

 と言ってやった。

「お前は何だ?」

「はあ? 俺? ただのホスト崩れや」

 浅田は大きく息をついた。

 喉は嗄れて、声が出にくい。腹に力が入らないのはもう何日も水しか与えられておらず、体力は限界に近かかった。

「お前には凄い女が憑いているといったぞ。お前に手を出せば、返り討ちに合うとな」

 浅田ははははっとかすれた声で笑った。

「女? さあな」

 三木は浅田を見下ろしていたが、

「試してみればいい」

 と言った。そして、浅田を見張っていた宜哉に振り返った。

「おい、あれを持ってこい」

「え、佑ちゃん……」

 躊躇する宜哉に三木は、

「持って来いと言ってるんだ、俺が」

 と凄んで見せた。

 すごすごと隣の部屋から木刀を持ってきた宜哉がうつむいて三木にそれを渡した。

 三木は気に入らない事があるとすぐに暴力をふるうが、少しの労力で最大限に相手を痛めつける為に木刀を使う。殺す気はないがさんざんに痛めつけられるこの武器を三木は好んでいた。

「助けを呼べよ。お前の女が助けに来るんだろう?」

 と言って、木刀を浅田の体に振り下ろした。

 浅田の体がエビのように丸まった、打ち下ろされた木刀は浅田の体を容赦なく打った。

 びしっびしっと木刀は浅田の体を打つ。そのたびに横たわった浅田の体は痙攣を起こしたようにびくっびくっと動く。弱った体はうめき声をあげる事も出来なかった。

 意識は朦朧として、体が痛いのか、痛くないのかも分からない。

 今度こそもう駄目だと感じた。

「佑ちゃん! 死んでしまうよ! 殺したら何にもならないんだろ!」

 と宜哉が止めに入ったが、三木はその宜哉に向かって木刀を振り上げた。

「やかましい!」

 肩を酷く叩かれて、宜哉の体は部屋の隅に転げた。

「俺に逆らうんじゃねえ。お前も殺してしまうぞ……。ケツをふるしか脳がないくせに、黙って這いつくばってろ! くそ野郎!」

 怯えたように自分を見上げる宜哉をふんと鼻で笑い、再び三木は浅田の体に木刀を振り下ろした。何度も何度も浅田の体を打った。

 三木は額に汗をかいていた。自分は何をやっているのか、と思いながらただ腕を振り下ろした。その時、

(やめろ……)

 と声がした。

 一瞬、三木の動きが止まる。空耳かと思い、また木刀を振り上げる。

(やめろ……殺すぞ……貴様……)

 それはしわがれた老婆の声だった。低い低いその声は酷く怒っているように聞こえた。

 だが、弱々しくも聞こえた。

 三木の手が止まったので、あと一振りでようやく死ねたのに、と浅田は考えた。

(殺す……殺す……殺す……) 

 しわがれた恐ろしい声が三木の耳に繰り返し聞こえた。はっと身構えたが、老婆の声は殺すと囁くだけだった。

 浅田をなぶる気力を失った三木は木刀を放りなげた。そして、

「ばあさんのような声が聞こえるか?」

 と誰にともなく言った。三木の周囲にいた若いチンピラは肩をすくめたり、首を振ったりした。三木の言葉の意味も分からないがあえて聞き返したりもしない。

 三木は浅田を見下ろした。意識があるのかないのか、浅田は目をつぶって身動きしない。

「おい!」

 三木のスリッパの先が浅田の体を蹴った。

「は……ははは……ばあさん言うなや……ばあさんでも一応女性やで……」

 とだけ浅田がつぶやくように言った。

「あんたも……いよいよ……鴉の闇に飲まれる時が来たんやでぇ。鴉の闇は怖いで」

 けっけっけと笑う浅田に三木は思わずぞっとした。だが、部下もいるし、宜哉もいる、醜態は見せられない。気を取り直したが、もう腕に力が入らなかった。 

 木刀を放り投げて三木が部屋を出ていくと、浅田の耳元に青女房の声がした。

(浅田……大丈夫か……)

「なんや、ほんまにばあさん、来とったんかい……大丈夫なわけないやろ」

(浅田……わしにはどうも出来ん……あの男を追い払うくらいしか……)

「は……助かったわ……でも、ばあさん、……兄さんから離れたらあかんのちゃうんか」

(そうや……やから……たいした事は出来ん……あにさんも助けには来てくれん……)

 しわがれた青女房の声が辛そうに聞こえた。

「もう、俺の事はええから、はよ、兄さんのとこに帰りぃ」

 と浅田が言った。

(このままここにおったら……お前、死んでしまう……)

 青女房は困ったように浅田を見た。青女房が取り憑けるのは一度馴染んだ浅田の背中だけである。浅田の体に取り憑けば、少しの力も持てるがそれでは浅田の死期を早めてしまう。かといってこのまま宙に浮いた状態では少しずつ体が崩れて消滅するだけである。三木について浅田を探しに来たはいいが、青女房にはどうする事も出来ない。そして鴉からあまりに遠く離れてしまった青女房はもう仲間の元へ帰る道も失っていた。

 カタンと音がしたので、浅田はその方向を見た。部屋の隅から宜哉がようやく体を起こした。肩が痛むのか、右腕押さえている。顔は泣き顔だった。

「よう、大丈夫か?」

 と浅田が言った。

「お前こそ……」

 宜哉は大きく息をした。上着のポケットからハンカチを出して顔をこする。涙を拭いていると思われたくはなかった。そう思うと目からは余計に涙があふれてくる。

「よう……」

 と浅田が言った。

 宜哉は浅田を見たが、うつむいて首を振った。

「そうか、まあ、ええ、しゃあないな」

 とだけ浅田が言った。

 宜哉はしばらく黙ったまま座っていたが、やがて立ち上がった。そして力なく部屋を出て行った。

(浅田……)

 と青女房がつぶやいた。

「まだ、分からん……俺にできる事はやったつもりや……」

 と浅田は言い、目をつぶった。


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