下宇田7
「に、兄さん、お、お客さんです……」
須藤が顔をのぞかせた。
「はあ? 予定があったか?」
振り返る鴉を須藤は怯えたような目で見た。
「い、いえ……」
口ごもる須藤を押しのけるようにして三木がずかずかと部屋に入ってきた。
「よう、鴉」
鴉は不愉快げな顔をして三木を見た。そして須藤に、
「予定のない客は入れるな、言うてあるやろ」
と低い声で言った。
「まあ、そう言うな」
三木は鴉の仕事場に入ってくると、部屋の中を見渡した。
「へえ、なんら普通の彫り師と変わらないようだな」
そう言ってにやっと笑った。
それからじろじろと鴉を見た。指の先や首筋にまで入っている刺青を無遠慮に見る。
「何の用や」
「そう睨むな。これからお前は俺の為に働くんだ。仲良くいこうぜ」
「どういう意味や? 俺は誰の為にも働かへんで。客を選ぶんは俺や」
と鴉は言った。
「下宇田の親父はもう駄目だぜ。跡目は俺が継ぐ。下宇田の総てを俺が受け継ぐ。鴉のお前も俺のもんだ。親父は俺が何も知らないと思ってるがな、そうじゃあない。俺は総てを知ってるのさ。先代から、お前が下宇田の為にやってきた事もその力も総て調査済みさ。何人殺した? 下宇田の為に」
三木の「何人殺した?」 というセリフに力が入った。意識して映画のワンシーンのように演出しているようだ。
ざわっと三木の周囲がざわめいた。
「これからは俺が」
と言って間を置く。そして、
「指示する、いいな」
と言った。
鴉の眷属達の怒りと憎悪が三木の周囲を渦巻いている。
(……あにさんを下っ端扱いか……この男……)
(……今すぐに殺してしまいまひょか……あにさん……)
だが三木は眷属達の怒りに少しも気づかない。
「今の下宇田の親父も血気盛んやったけど、お前はあかんな」
と鴉が言ってくすっと笑った。
「何?」
鴉は手のひらをひらひらとさせた。
「帰れ。今の下宇田と仕事してたんは先代に義理があったからや。代替わりするんやったら、それも終いや」
「なんだと?」
「もう下宇田の仕事はせん、言うてんのや」
生意気な男だ、と三木は思った。
たかが彫り物師のくせに、ヤクザに大きな口をたたく人間の末路を知らないとは愚かな事だ。三木は自分の事を特別の人種だと考えていた。自分のような人種は暴力や金をもって総てを支配してしまえるのだ。足下に這いつくばる奴隷を持ち、金はいくらでも懐に入る。自分の考えはどんな無理難題でも可能だ。それらを持つ自分は特別だ。選ばれた人間だ。国会議員や医者、弁護士、それらが正義のエリートであるならば、自分は悪のエリートだ。いきがって通りを歩くチンピラとは違う。真のエリートだ。
自分の命令で殺しをする人間はいくらでもいる。だが東南アジアから雇い入れるプライドと料金ばかりが高い殺し屋にもうんざりだ。言葉も満足に通じず、そいつのために通訳を雇わなければならない。馬鹿馬鹿しい。
やはり国産が一番だ。日本人の殺し屋を一人懐に入れておくのも悪くない。
鴉の技は下宇田の愛人から聞き取っただけだが、素晴らしい。
鴉は自分のように選ばれた人間に相応しい刺客だ。だが。
「何か勘違いしてるな、あんた」
と鴉が言った。
「俺は下宇田に雇われてるんちゃうで」
「金なら言い値を支払うさ。俺はケチな男じゃない」
「選ぶんは俺や、言うたやろ」
立ち上がってぎろりと睨むその瞳に三木は思わず後ずさった。
それは迫力のある瞳だった。鴉の視線は強面のヤクザでのしてきた三木にも十分効果があった。それまでの人生で三木をためらわせた人間は数えるほどしかしない。その中のどれよりも強烈な怒り、憎悪、悪の光だった。
だが三木にも面子がある。一瞬のおびえをひた隠して、強気で言葉を放った。
「まあ……そう言うな。お前の子分は俺の手の内にあるんだぞ」
鴉の背中ではっと息の飲む気配がした。
(浅田……)としわがれた声で青女房がつぶやく。
三木が胸ポケットから一枚の写真を取りだして、鴉に渡した。
鴉はその写真を見て、
「男前が台無しやな」
と言ったが、表情は変わらなかった。
酷く暴行を加えられ、顔中が腫れ上がっている浅田が鎖でつながれている図だった。
鴉が先を促すように三木の顔を見た。三木は、
「俺と組んだが賢いぜ。親父はもうすぐ死ぬからな」
と言った。
「跡目欲しさに盃を交わした親父を殺すんか。恐ろしいの。人間は」
と鴉が笑った。そして続けて、
「まあ、ええ。あんたらのする事なんか興味ない。下宇田が死んでも俺には関係ない。もちろん俺の子分言うてるこの男が死んでも俺には関係ない」
と冷たく言い放った。
「……」
三木が黙りこんだ。鴉の冷たい笑いが癪に障った。弱い者を消して強い力がその地位につくのは古来からの優れた方法だ。そうやって暴力の中で生きてきた。優れた遺伝子を残す確実な方法だ。三木はその中でしか生きられない人間だった。
だが、鴉は三木の人間である部分を嘲笑った。
「親父の前にお前を殺ってもいいんだぞ」
殺気だった三木を見て、鴉は嘲笑を引っ込めた。
部屋のあちらこちらでクスクス笑いがする。
(人間のくせに……あにさんを殺すやて……笑かすなぁ)
(笑いすぎて、腹がよじれるわい)
(あにさん……わしに任せておくれ)
(ころす、ころす、人間、人間、やっつに裂いて喰う、喰う)
「ほんまヤクザってやつは我が儘やな、ほんま、かなわんわ。そんなに言うんやったら、浅田はどこにいてねん? 返してもらおうか」
と鴉がにこやかに言った。
「そいつは俺と組むって事だな?」
三木は鴉を睨んでいる。
「そうやな、あんたにひと刺し入れてもええなら組んでもええで」
と鴉が言った。
「俺に?」
「そうや……今、どんなん背負ってるか知らんけど、鳳凰なんてどうや? あんたに似合いと思うで。徳の高い君子が天子の座につくと現れると言われているめでたい鳥やで」
(鳳凰……あにさん……)
(あーあーもう終いや、この男。めったに使わん不浄の壺に次いで性悪な鳥や。奴が現れたらもうあかん)
「お前の刺青を?」
「そうや、俺の技は知ってんのやろ? それとも怖いかえ?」
鴉がくっくっくと笑った。その目は人間ではなく、猫の目のように光って見えた。
「親父はお前の彫りを絶賛している。俺も確かにその出来映えをこの目で見た。普通の彫りは確かに素晴らしい。だが、今はやめておこう。毒の方の刺青を入れられてはたまらんからな」
三木は脇の下に汗をびっしょりかいていた。これほど緊張する会見になるとは思ってもみなかった。この部屋にいるのは鴉と名乗る男だけではないと気がついた。どこからか無数の視線が三木に突き刺さるのだ。それらは腹の中がぞわりとなるほど、気持ちの悪いものだった。
「何や、入れんのかい。やったら、帰れ。人間と話すのは疲れんねん」
鴉は素っ気なく言って、また座った。
「お前は違うのか」
煙草の箱に手をやりかけた鴉の動きが止まり、
「人間に見えるか? 俺が」
と言った。
「え?」
三木はまじまじと鴉を見た。
鴉はぷっと笑う。
「冗談に決まってるがな」
失敬な男だ。大抵のヤクザ者がそうであるように、三木もからかわれるのが何よりも嫌いだ。プライドに傷がつく。本気で殺してやりたくなる。
だが、鴉に対して凄んで見せる力がもう残っていなかった。
面子だけで生きている人種がそれも奪われた。
一人で来たのは幸いだった。部下は部屋の外で待たせてある。こんな醜態を見せなくてよかったという安堵が先に立ち、またその気持ちで傷ついた。
「この男が死んでもいいんだな。いや、殺してくださいと懇願するような目にあうぞ」
「やめた方がええで、その男には凄い女が憑いてる。返り討ちにあうのはあんたや」
面白そうな口調で鴉が言った。
「女?」
「そうや、浅田は男前やからな、奴に惚れる女はなんぼでもおる」
「馬鹿馬鹿しい」
「まあ、やってみたらええ」
そう言って鴉は煙草に火をつけた。ぷかっと煙を吐き出す。
三木は拳を握りしめた。憎たらしい男だ。
子分を使って人間を殺した事は何度でもある。自分の手で殴り殺した事もある。
喧嘩に負けた事なかった。だが鴉には、最後まで手を出す事が出来なかった。




