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  作者: 猫又
24/33

下宇田6

 女の手はひんやりとして細かったが浅黒い肌だった。

 鴉は女の手を取ってから、

「動くな」

 と言った。

 無愛想に物を言う鴉に女の付き添いの男がむっとした顔をした。

 男が動くとじゃらじゃらと音がする。尻ポケットにさした財布から出た鎖がベルトにつながっているが、合間でキーホルダーがじゃらじゃらと揺れているのだ。

 鴉は消毒液を女の手の甲に散布し、カミソリで無駄な毛を剃り始めた。

 女が「くすぐったぁい」と体をくねらせた。

 女のおとぎ話の姫のような盛り上がった髪型は金髪で、やけに大きな目の縁をアイラインでなぞっていた。

 鴉の大きな手に力が入り、女が希望した図柄を特殊インクで描いていく。

「えー、フリーハンドなんだぁ」

 と女が言った。

 鴉は手を止めて顔を上げた。

「だってぇ、ふつー、下絵を何かに描いてぇ、トレースするってぇ、先輩がぁ、ねえ、あっちゃん」

 女が付き添いの彼氏を振り返った。

 施術中は他の部屋で待つように指示したはずだった。 

 鴉のアパートには部屋が三つしかなかった。事務所兼施術室、後は鴉の寝室に台所。須藤は台所の隅で寝起きしている。そこで待つように男に指示したが、須藤の顔を見て男は飛び上がった。とても一緒にはいられない、と半泣きである。三十分もあれば終わる施術であるので、鴉はカップルを許可した。

 女に入れる図柄は小さい蝶だった。

「だよなぁ、フリーハンドってどんだけ自信……」

 男が言いかけた時に鴉がちらっと視線を向けた。

「……ははは」

 寒気がして、きゅっと身が引き締まったので、男は目線を外した。

 鴉は作業を続けた。

 肌に下絵が完成し、女に確認させる。

 しばらくの間、男とああだこうだと話していたが、やがて、

「お願いしまぁす」

 と言った。

(あにさん……怒ってはるで)

(そりゃ、そうやろ……)

(珍しいな……こういう仕事は受けないのに)

(浅田が……姿を見せへえんから、暇なんやろ)

(っていうか、こいつら勇気あんな……あにさんのとこへ普通の刺青を頼みにくるとは)

(あにさんは……)

 怪異達が小声で話し合っているのも鴉の耳には届いているが、客の前では怒鳴りつけるわけにもいかず鴉は仕事に集中していた。

 ワセリンを塗って肌をなめらかにしてから、すじ彫りをする。

 女が痛がったので、鴉は一度マシンを離した。

「大丈夫ぅ?」

 と男が言った。

「大丈夫にゃん」

 と女が答えて、反対側の手を顔の横にやった。猫が顔を洗う仕草をする。

 鴉のこめかみがぴくっと動いた。

(まあ、まあ、あにさん……仕事やでぇ。仕事……)

 鬼子母神がなだめるように囁いた。

 すじ彫りを終え、蝶の羽の部分に色を入れていく。

 エメラルドグリーン色からマリンブルーへ、そして黄色へのグラデーションだ。

 この図柄は鴉がデザインした物で、蝶の繊細さも色の美しさも抜群であった。

 だが、この女の肌には染まないだろう。

 鴉が手がけた物は普通の刺青であっても、主を選ぶのだ。

 やがて、蝶は女の手に美しい姿を現した。

「やったぁ、超自慢できるぅ」

 と女が喜んだ。

「これで完成や。後はワセリン塗って、ラップ巻いて、テーピングや。今日は風呂は入るなよ。明日以降もその箇所はごしごし擦るな。風呂に入った後は軟膏をちゃんと塗っとけ。かさぶたになったら、はぐなよ。自然にはがれるまで触るな。ええな。それから、痒いけど、掻くな。以上」

 早口に言う鴉にあっけにとられながらもカップルは満足げにうなずいた。 

 アフターケアをした後に女は嬉しそうに自分の右手を抱えるような仕草をした。

「ありがとうございましたぁ。宝物にします~~」

 男が金を払い、二人は笑顔で帰って行った。

(あにさん……お疲れさんでしたぁ)

 鬼子母神が恐る恐る声をかけた。

 さぞかし機嫌が悪かろう、怪異のほとんどがそう思ったが、意外にも鴉は苦笑しただけだった。

(あにさん……)

「いや、意外とあの女に似合う柄やったな、と思うただけや」

(そうやねえ……ここで刺青をして、あんなに素直に喜ぶ姿はめったにないからねぇ)

 と鬼子母神が鴉の気持ちを察知したように言った。

 使い終わった器具の後始末をしてから、鴉は煙草に火をつけた。

 須藤が恐る恐る顔を出した。コーヒーカップを盆に乗せて運んできた。

 仕事が済んだ後の開放感で小鬼らが須藤をからかったり、おしゃべりな怪異達がぺちゃくちゃと話をする。

 無口な者もいる。おしゃべりな者もいる。いたずら者もいる。

 だが、いつもはよくしゃべるのに最近ずっと沈み込んでいるのは青女房だけだった。

 ストでも起こしているようにもう何日も青女房は黙っている。

 誰もがその意味の見当はついたが、それについての意見はどこからも出なかった。

 浅田が行方不明になっている。

 それだけの事だった。

 もちろん仕事は減っている。だが、浅田が自称マネージャーとしてやってくる前に戻っただけの事だった。

 怨衣を着ていた浅田はすでに死んでいると、怪異達の誰もが思っていた。青女房もそう思っているからこそ何も言葉が出てこないのだ。ただ、黙っていた。

(浅田、どうしたんやろうね……)

 と鬼子母神がつぶやいた。

(もう死んだに決まってるやろ)

 不機嫌そうに青女房がつぶやいた。

(あおばあさん……それは分からへんし……)

 青女房はふんと横を向いた。

(浅田の事は言うてくれるな……もう忘れたらええこっちゃ……)


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