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  作者: 猫又
22/33

下宇田4

「社長」

 椅子に座り、心ここにあらずという風な下宇田に声をかけたのは、先ほど携帯電話で話をしていた大柄な男だった。

「三木」

「何者です? 今の男、時々見かけますけど」

 訝しい顔で三木が言った。三木は顔、手、足、全ての作りが大きい男だった。なかなかの迫力がある男だが、目つきに狡猾な雰囲気が現れている。

 下宇田組で若頭の一人である三木佑次。周囲からは次期組長の期待も高いのは下宇田に上納する金が半端ない金額だからである。金を稼ぐ事には抜群の手腕を発揮する。その為には金と暴力に物を言わせる、下宇田組でもっとも扱い辛い男である。

 下宇田は三木が自分の跡目を強く望んでいるのは分かっていた。周囲もそのつもりの者が多い。三木が三代目を継げば組織はもっと大きくなるだろう。

 だが下宇田は決断出来ないでいた。

 まだ引退するつもりはないが、後の事は考えておかなければならない。その時に三木に組を任せる事が不安であった。先代からの遺言もあり、次代には下宇田の全てを譲り与えなければならない。その全てが問題であった。

「先代からの知り合いの彫り師さ……」

「彫り師ね。あんな若造に彫らせたんじゃ、下宇田の名前に関わりますよ。社長」

 三木はふんと鼻を鳴らした。

「あれは先代からの贔屓だ。鴉という。覚えておけ」

 と下宇田が言った。

「鴉……ねえ……」

 三木は鴉が出て行ったドアを見た。

 それからおどけた調子で笑った。

「へえ、あんな若造が先代の贔屓? こりゃあ驚いた。先代は女の方がお好きだと聞いておりましたがね」

「馬鹿者、妙な勘ぐりをするな。成りは若くてもいい腕を持っている」

 下宇田が気分を害したように言ったので、三木は肩をすくめた。

 三木は椅子に座ったままの下宇田を見下ろした。そこにはとても疲れた老人がいた。

 気っぷの良さと男気に憧れた時期もあるが、今の下宇田はただの老人だった。

 いつまでも自分の全盛期を振り返って懐かしんでいる老人の一人に過ぎない。若い愛人を囲ったと張り切ってはいるが、その女も三木の舎弟がすでに手を打って下宇田からの情報を探らせている。下宇田は気がついていないだろう。孫の様に年の離れたキャバ嬢に夢中のようだ。

(……交代も近いな)

 三木はふんと鼻を鳴らして、

「ちょっと出てきます。予定が詰まってましてね」

 と下宇田に言った。

 下宇田は軽くうなずいただけだった。


 冷たい床に寝そべったまま、浅田は天井の穴を数えていた。何の穴かは分からない。ただ黒く丸い穴のような物を数えていた。倉庫の中は寒く、天井に向かって吐く浅田の息は白かった。殴られたり蹴られたりした時の騒ぎでダウンジャケットは脱げてどこかへいってしまった。白いシャツ一枚では寒くて、その上眠気が襲ってきている。

 頭が酷く痛んだ。息をする度に体中の全てが痛い。目をつぶっている方が楽だったが、浅田が目をつぶる度に見張りの男が浅田の腹や足を蹴り飛ばす。

 反抗する気力も失せていた。寒い季節なのも悪い。夏ならばもう少し耐えられた。冬は心細い季節だ。帰ってこない母親を待って、アパートの階段で座っていたのは冬の記憶だ。

 すぐ側でマサトがいらいらとして浅田を見下ろしている。

 マサトの脅迫に浅田が屈せずにいるからだ。

 ギャング達は浅田を倉庫に連れ込んで、殴る蹴るの暴行を加えた。途中で安原と宜哉が合流して、英美の怪死について浅田を問い詰めた。

 浅田は何もしゃべらなかった。

 しゃべった所で、マサト達に鴉の不思議な力が理解出来るとは思えないし、彼らが鴉のところへのこのこ出かけて行っても(あの兄さんは屁でもないやろうな)と浅田は思った。

(俺の事なんか知らんと言うて終わりやろ……)

 浅田はまた天井の穴を数え始めた。マサトが躍起になって何か言っているが、言葉は耳を素通りしていく。

 ガラガラガラと金属の重いドアが開かれる音がした。宜哉と安田が慌てて走っていく。

 マサトはちっと舌打ちをした。下宇田組の者が来るまでに浅田の口を割れなかったのはマサトには痛い。報酬が出るかどうか。

 宜哉と安原、それに人相の悪い男達を従えて、大柄な男、三木が歩いてきた。上等の革靴はコンクリートによく響く。三木は浅田の倒れている場所までやってきて、彼を見下ろした。

「馬鹿やろう、てめえら!」

 浅田を見下ろした後、三木は背後を振り返って怒鳴った。

「売りもんの顔に傷つけてんじゃねえ!」

 そしてまた浅田を見てにやっと笑った。

「確かに可愛らしい坊主だな」

 じろじろと見る男の顔に浅田は嫌悪感を覚える。

 こいつは嫌な奴だ、男でも女でも、なんでも食いものにしてしまう奴だ。浅田の中で危険信号が鳴る。

「英美を殺したなぁ、こいつだってのか? 宜哉」

「殺したかどうかは……」

 もぞもぞと答える宜哉に三木は、

「お前も使えねえなぁ」

 と言った。宜哉は黙って下を向いたが一瞬、心が躍った。三木が浅田を一目で気に入ったのが分かったからだ。

 三木はバイセクシャルだ。綺麗な女はもちろん、男にも目がない。

 浅田はしばらく三木に弄ばれるだろう。そして新しい玩具が手に入れば自分はお払い箱になる、と宜哉は考えた。それは宜哉の希望だった。三木に弄ばれ、金をむしられる人生にうんざりしていたからだ。

「まあいい、英美が死んで金の動きに打撃を受けた。その分の保証はこの坊主にさせる。車に乗せろ」

 三木はそう言って踵を返した。

「あの……ちょっと、待ってくださいよ。俺も……」

 と三木に声をかけたのはマサトだった。

 何かしら手柄をアピールして報酬を貰わなければ、と必死だった。

「ああ? 何だ、お前」

「お、俺が浅田を捕まえたんですよ」

 三木はマサトをじっと見てから、

「そうか、ご苦労だったな」

 と言った。

「いや……あの……俺、他にも情報があって……」

「ああ?」

「こ、こいつ、の立ち寄ってる場所を掴んでるんですよ。な、仲間がいるんじゃないっすかね」

「仲間?」

「え、ええ」

「誰だ」

「そ、それは……その……ただで情報を……流すわけには……」

「そうか、そうか」

 三木はマサトに笑顔で近寄った。そして、マサトの腹にパンチを入れた。 

 マサトの痩せた体が折れる。

「ふざけてんじゃねえぞ。チンピラが」

 低い声でそう言い、倒れ込んだマサトの顔を蹴り飛ばした。

「おい、ヤクザにたかりってのは笑えねえぞ。情報ってのは何だ」

「……す、すみません……浅田は……鴉って彫り師のとこに……」

 次の蹴りが来る前に体を小さく丸めたまま、マサトは顔を押さえながら答えた。

「鴉?」

 三木はマサトを見下ろして、そして浅田を見た。

「こいつは……へえ、お前が鴉の身内か」

 知らないと浅田が答える前に、三木がかがみ込んで浅田の顔をまじまじと見た。

「こいつはいい物が手に入ったなぁ。俺はなんてついてる男なんだ」

 三木はそう言って大きな声で笑った。


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