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  作者: 猫又
21/33

下宇田3

「話はそれだけだ」

 と相手の男が言ったので、鴉は軽くうなずいた。

「……代彫りは成功率が低いで。代彫り人を探す時間もかかるし」

「構わない。ほんのお遊びだ」

 相手の男は初老で髪や髭にも白い物が混じっているが、その威厳はなかなかのものだった。その端正な顔立ちにブランドの品と思われる洒落たスーツ。ソフト帽で装った容姿は映画俳優を思わせるように渋い。若い頃には女に騒がれもしたし、老いてもなお洒落っ気は変わらないが、精一杯無理をしているようにも見える。

 男を守るようにして立っている者達は微動だにせずにそ主の号令を待ってじっとしていた。京極会下宇田組組長 下宇田耕三 六十をいくつか超えた年だと鴉は記憶している。年の割に高い身長に鋭い眼光。背中には一面、唐獅子牡丹、右腕には鯉、左腕には鷹、などの立派は刺青がはいっている。どれも鴉の仕事であり、下宇田は鴉の仕事を非常に気に入っている。そして極道という商売柄、特殊な刺青の方も下宇田は活用するので、鴉には上客であった。

「私も落ちぶれたもんさ。女と子分に裏切られるなんてな……失敗したらしたで構わない」

「分かった」

 と鴉が言った。

 若い頃から女には不自由していない元気な親分だが、寄る年波には勝てない。容姿も衰え精力もかげりが見え始めると、若い女は満足できない。別の男に目がいくのは節操がないが老人の相手ばかりでは不満が残る。下宇田の愛人は元キャバクラ嬢で、まだ二十歳だった。贅沢な暮らしを求めて下宇田の愛人になったが、所詮、若い綺麗な女は若い綺麗な男を好むものだ。ホストに入れあげるくらいは許せるが、組の男に手を出した。下宇田の買い与えたマンションで男と密会しているのである。

 怒って怒鳴り込むのも馬鹿馬鹿しい。自分の手にかけるのはくだらない。

 だが、どうしても許せるものではない。下宇田のような男はメンツを大事にする人種である。他の組員への示しもつかない。

 下宇田はその始末を鴉に依頼したのである。

「まあ、工夫してみるけど……成功率は低いで」

 もう一度言ってから鴉は下宇田の差し出した写真を手帳に挟んだ。

 裏には二人の個人情報が書いてある。

「かまわんよ……奴が勝つか、私が勝つか、それだけの事さ」

 そう言って下宇田は安心したように笑った。

「それにしても鴉の兄さんは変わらんな。兄さんは年とる事を忘れてるようだな」

 鴉はふっと笑った。

「そうでもないで」

「いやいや、兄さんと初めて会ったのはもう二十年も前と記憶している。私がまだ若頭だったころだ。私はこんなに年寄りになったのに、兄さんは少しも変わらない。全くうらやましい話だ」

「失礼します」

 と声がして、若い男が盆の上にコーヒーカップを乗せて部屋に入ってきた。

 きちんとしたスーツを着て、髪の毛も綺麗に整っている姿はヤクザ者とも思えない。

 下宇田組は本質はヤクザであるが、(有)下宇田ファクトリーという会社経営をしている。繁華街でのバー、キャバレー、ファッションヘルス、クラブ、居酒屋などありとあらゆる飲食店、風俗店の内装工事、看板、チラシ、名刺、宣伝幕などを仕切っている。

 実際に社長である下宇田自身が事業に力を入れており、有能な社員、デザイナーを揃えてある。オフィスも洗練された内装であり、礼儀作法や言葉遣いにも厳しい。どこを探してもジャージ姿や、ブランドロゴが大きくはいったジーンズを履いた者はいない。

 破れたジーンズでイタリア製のソファにどすっと座っている鴉の方がよほど柄が悪く見える。

 ガチャッとドアが開いて、スーツ姿の男が入ってきた。オールバックの髪の毛はグリスの塗りすぎでてかてかと光っている。うかつに壁にもたれたら、この真っ白い壁が汚れるだろう、鴉は考えた。そんなくだらない理由で下宇田が怒る所を見たいものだと思って、少し笑った。

 その男は大柄でがらがらした声で携帯電話で話をしていた。

「捕まえた? そうか、逃がすなよ。こっちは金のなる木をやられたんだ。必ず弁償はさせて……ああ、聞いた。ホスト上がりだって? そんなにいい男なのか……そいつは金になりそうだ。ああ」

 男は大きな声でしゃべった後、ようやく鴉と下宇田に気がついたような表情をした。

「あ、お客さんで……失礼しました」

 そう言ってから下宇田に会釈をした。その後、ちらっと鴉を見てから隣の部屋に入って行った。

「兄さんを引き合わせてくれたのは先代だ。その先代が逝去されてからもう十年。兄さんが人間かどうか、私はそれが一番知りたいね」

 と言って下宇田が笑った。

「不思議な力を持ってるのは知ってる。兄さんの力は不思議なんて陳腐な言葉では言い表せないのも分かっている。だが、不思議としか言いようがないね」

「下宇田さん」

「ああ、分かってるさ。兄さんの力は誰にも言っていない。実際に見なければ鴉の力は言葉ではとても信じてもらえないだろうしな。他言無用が掟なのは心得てる。兄さんの怨みを買うのはごめんだ」

 下宇田は葉巻に火をつけ、ぷかぷかとふかしてはぎゅっと灰皿に押しつぶした。

 そしてははははと笑った。

 鴉は出されたコーヒーカップを取り上げて一口飲んだ。そして、

「下宇田さん、今日はずいぶんとおしゃべりやな。何か不安な事でもあんのか」

 と言った。

「いや……そうではない。少し疲れているのかもしれないな」

 下宇田の声のトーンが下がった。しばらく黙っていたが、

「……実際、あんたはどうして年をとらないんだ?」

 と言った。

「年をとらん人間なんかいてるはずないやろ」

 と鴉が答えた。

「いや、あんたは何十年たってもぜんぜん変わらない。そ、その不思議な力によるものなのか? あんたは……不老不死の体でも持っているのか?」

 下宇田が先代から組を襲名する時に紹介された鴉はまだ二十代の若造に見えた。挨拶もしない無愛想な青年だった。

 組を継ぐ者だけが許される特権だと先代は言った。

 彫り師に知り合いはいくらでもいる。確かに鴉の刺青は素晴らしく精巧で美しかったが、特別扱いする理由はないように思えた。だが、先代は鴉を恐れているように見えた。そしてその理由はすぐに分かった。

 下宇田は敵に出来ない人間に初めて出会ったのだ。

 先代の説明など何の心構えにもならないほど、鴉の生ける刺青は恐ろしいものだった。今、こうして対峙している瞬間も鴉の肌に刻まれた刺青から鋭い視線と敵意を感じる。それらを制御できるのは鴉だけで、怪異達は意味もなく目の前の人間を嬲ってやろうと企んでいるのだ。

 鴉は正真正銘の闇だった。人間どもの小さい闇ではない。ヤクザだろがマフィアだろうが、殺し屋だろうが、所詮人間だ。どんなに組織が広がり、権力を手にしても、いつかは老いる。そして力をつけた若造にやがて追われる。それが世の理だ。

 だが、鴉は違う。

 彼……彼と呼んでいいのかも分からない。目の前の男を人間だと認識したくない気持ち悪さがもう二十年も続いている。だが、彼の力を利用しない手はない。

 何度も鴉に依頼した。もう何億使った分からないほどだ。

 今の下宇田にとって最大の敵は老いだった。

 何億積んでも手に入らない、誰を殺してもどうにもならない若さを目の前の男は持ち続けている。いつからだろうか、それが憎しみに変わるほど羨ましい。 

 この男を殺す事は不可能だろうか。 

(あにさん……この恩知らずの……息の根止めてしまいましょうか)

 下宇田の殺意を敏感に感じて、鴉の耳元で怪異達が囁く。

(ころせ、ころせ)

 鴉は怪異達の言葉を無視した。

 真剣なまなざしの下宇田に鴉はぷっと笑った。

「本気で言うてんのか? 不老不死やてありえんやろ」

 そう言い笑いながらも鴉の目はどこか冷めた様子だった。

「だったら、あんたはどうして二十年たっても若々しいままなんだ? あんたはちっとも変わらない。あんたは年をとらない」

「若作りしてるだけやで」

 そう言いながら鴉は立ち上がった。

「おもろい話やけどな、俺も忙しいんや。帰るし」

「そうか」

 と言って下宇田も立ち上がった。

「金はいつものように振り込んでおく。よろしく頼む」

「ああ」

 出入り口の白いドアに磨りガラスがはめ込んである。ドアから外に出た所で鴉はその磨りガラスの部分を振り返ってみた。モザイクがかかったように中で動いている人の様子がぼんやりと見える。 

 下宇田が歩いて通り過ぎた。

 鴉には年老いた腰の曲がった老人がよぼよぼと歩いているように見えた。

 それが今の下宇田の本質だろう。洒落て尖った外見とは違う。

 体の老いが精神まで蝕んでいるのだろう。下宇田組もやがて世代交代になる。

 下宇田の死期は近いだろう、と鴉は思った。

 その前に依頼された仕事は完了させる、下宇田も安心して逝けるだろう。

 それが鴉の仕事だ。


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