下宇田
「確実に復讐したいんです」
と気弱そうな老人が言った。
頭髪は真っ白で、顔には皺が刻まれている。顔色は悪く、時々咳き込む。その老人の側で老婆がハンカチを目頭にあてる。その老婆の横には赤ん坊を抱いた若い女がうつむいて座っている。ぐずぐずと鼻を鳴らすのは、泣いているからだと見当がつく。
母親の腕に抱かれた赤ん坊が時折、笑い声を上げる。
浅田は頭をぼりぼりと掻いた。
「息子を殺したやつに罰を与えてください。お願いします。いろいろ探してみたけれど、あやふやな業者が多くて……金だけ取られて逃げられたのもあるんで……」
また老人が言ってから頭をさげた。
「まあな、しょうもない裏サイトは多いからな。復讐代行とかうとうてるサイトは素人が頭の弱いぼけを雇うてやらしてんの多いからなぁ。そういうのは失敗してすぐ捕まるし、逆にカモにされんで」
と言って浅田は笑った。
老夫婦はすがるような目で浅田を見た。男前で優しげな浅田の笑顔は依頼人の信頼を勝ち取るには十分な物だった。
「うちは本物やから……と言いたいとこやけどなぁ」
復讐を願う、と鴉のサイトに依頼してきたのは老夫婦とその息子の嫁だった。
息子が殺された敵をとりたいと言う。
繁華街のカラオケ店で放火があり、被害者が十名に及んだ事件があった。
犯人は逮捕済みであるが、精神鑑定の結果しだいで死刑はまぬがれるかもしれない、という記事を浅田もインターネットのニュースで見た。
「死刑になったとしても、許すことなど到底できん。死刑になる前に苦しみを与えてやりたい。息子の身を襲った苦しみをそっくり味あわさせてやりたい。まだ一歳にもならん子供を残して逝かねばならん息子の無念を……」
老人はそう言い、老婆は泣き崩れた。若い女から落ちた涙が赤ん坊の顔を濡らした。
赤ん坊は不思議そうに母親の顔を見上げた。
「結論から言うて、復讐は可能や。金さえ出せば何でも出来る。鴉としてはあんた方が望むような結末は用意出来る。鴉に失敗は絶対にない」
浅田がそう言うと、初めて若い女が顔を上げた。頬がこけ、顔色が悪い。
「けどな、それには人材不足や。鴉は依頼人に刺青を刺す。それが依頼人の復讐の念を吸い取るんや。その念が復讐の原動力になる。生半可な思いでは自爆するだけ。鴉の刺青は半端なく痛い思いするで」
「な、生半可な思いなんかではない」
と老人が言った。
老婆もうんうんとうなずいた。
「あんたらが決死の覚悟してるのは分かる。でも無理やと思うで」
「ど、どうしてですか!」
「じいさん、ばあさんでは体力的に無理やと言うてるんや。刺青の毒に耐え切れんかったら、酷く痛い思いをして自分が死ぬだけや。鴉に失敗はないけどな、依頼人が毒に耐え切れんっていう事例はなんぼでもあるんや。大金遣うて、痛い思いして死ぬだけやで。
人を呪わば穴二つって言うやろ。人を呪う時は自分も同じだけ呪いを受けんねや。自分も痛い思いせんと、復讐なんて成功せんってこっちゃ。分かるやろ? あんたらには無理や」
老人二人は唇を噛みしめた。息子を失って自分達も気が弱っている。今、彼らを支えてるのは憎いという心だけ。それだけで生きている。復讐はしたい、その為なら死んでも構わない。だが復讐は叶えられず、自分達だけが死ぬのは嫌だ。
「私が……」
と若い女が言った。
浅田は女を見た。女にとっては夫の敵である。若い女なら鴉の毒にも耐えられるだろう。大体、女は男よりも痛みに強い。
「あんたに何かあったら、その赤ん坊はどうなんねん? 父親も母親もおらん子供にしたいんか? 絶対に鴉の毒に耐えられるって言い切れるんか?」
女は口ごもった。赤ん坊を見て、ぎゅっと抱きしめた。
「ちょっとでも迷いがあるんやったら、やめとった方がええ。今は法の施行も厳しいなってる。確実に死刑になるまで待ったらええ。世間は被害者の味方やで」
浅田の言葉に老人と女は顔を見合わせた。
浅田は立ち上がって煙草に火をつけた。
少し三人から距離を取るように歩いた。
依頼人が浅田と会う為に指定したのは公園だった。依頼人の家が近いのだろう。
ベビーカーに赤ん坊を乗せて、三人は散歩がてらにやってきたという風だった。
ジャングルジムや、ブランコ、ゾウの形の滑り台がある大きな公園である。近所の団地から母親が子供を連れて遊ばせに来ている、のどかな風景だった。
依頼人達はベンチに座って黙り込んでいる。復讐までの道に光が見えていたのが急に消え去ったような気分なのだろう。
だが、浅田の言葉が正しいというのも分かるほどの理性はまだ持っていた。老人達では体力的に無理があり、赤ん坊を抱えた女にもさせたくはない仕事である。
浅田は吸っていた煙草を携帯灰皿にねじ込んだ。
鴉に会わせるまでもないな、と浅田は思った。この話は流れるだろう。
今回の依頼人はあまりにも弱い。毒に耐えきれず死ぬのは目に見えている。
タイムリーな話なのは分かっている。依頼人が無理ならば代理人を立てればいいのだ。須藤は金が必要で代彫りを望んでいる。だが浅田は須藤に代彫りの仕事を与えるつもりはなかった。須藤の体も代彫りには耐えられないだろうし、鴉が許可するはずもない。
「今回は縁がなかったってことで」
浅田は依頼人に声をかけた。老人と若い女はうなだれたまま顔も上げない。
鴉には金さえもらえばよいという考えはない。あくまでも成功にこだわる。あきらかに失敗、鴉の毒に負けるであろう依頼人は断るのが鴉である。被害者の無念を晴らすのが大前提であり、それがプロとしてのプライドだった。
うつむいたまま動けない依頼人達を置いて、浅田は公園を離れた。
ぶらぶらと駅までの道を歩く。
浅田の風体はこの辺りの高級住宅街には相応しくない。すれ違う子供連れの主婦や暇をもてあまして住宅街のパトロールをしている老人にじろじろと見られる。
「なんや……偉そうに……ええ家住んでるんがそんな自慢か!」
と小声でぶつくさと言いながらも、知らずに足早になる。夜の街のうさんくさい連中は平気だが、上品な匂いがする一般人は苦手だ。
高級住宅街を抜けて、少しばかり下町の線路沿いへ出ると浅田はほっと息をついた。放置自転車や盗難バイクの山。携帯ナンバーだけかかれた金融業のチラシが貼られたガードレール。スプレーでいたずら書きされた塀。
また煙草に火をつけようとして、浅田は手を止めた。




