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  作者: 猫又
17/33

不浄の壺4

(あにさん……あにさん)

 鴉の背後で声がする。しわがれた婆さんの声だった。鴉の背中からふらっと出て来て、遠慮がちに鴉に声をかける。鴉はソファに寝転がって目を閉じていた。 返事がないので眠っているのかもしれない、と青女房は口を閉じた。

「何や」

 一寸遅れて鴉が返事をした。

(あにさん……気ぃついてなさるんやろう? 浅田の……)

 と青女房が小声で言った。

 鴉が返事をする前に、背中の彫り物達が一斉にしゃべり出した。

(ああ、もう、あかんやろうねえ)

 と言ったのは鬼子母神である。赤子を腕に抱いて、彼女も鴉の頭元に立つ。

 やがて次々と怪異達が背中から抜け出しきて、鴉の部屋は奇妙な格好をした者達でいっぱいになった。

(しね、しね、あさだ)

 と口々に話しているのは小鬼らである。他の柄達も、

(三ヶ月……もって……)

(いや、もう明日にでもおしまいや……ひゃっひゃっひゃ)

(いっそ、ひと思いにやってやったらどうや? 苦しまずにな……)

 と勝手に浅田の死を話し合っている。

(あにさん……浅田に憑いたもん、放っておくのかえ……)

 と青女房が言った。

「何や、青女房、心配なんか? 一時はお前が憑き殺そうとした奴やで」

 鴉が面白そうな声を出した。

(そうら、そうや……)

 声がだんだんとしぼんでいく青女房に鴉は笑った。

「へえ、青女房、浅田に惚れたんか。まあ、奴は男前やからなぁ」

 と鴉が笑った。

(そんなんやないわ! わしが殺すはずだった命を奴は一度拾うた。そやからつまらんことで死なせるのは許されへんだけや……)

 と青女房が呟いた。

 他の彫り物達は面白そうに聞き耳をたてている。

(あにさん、やったら、浅田に憑いた怨衣、脱がせてやれるやろう……)

 最後の方は懇願のような口調で青女房は言った。

 鴉が考えるように黙り込んだので、彫り物達は皆一斉に口をつぐんだ。

 浅田が尾上を鴉の所へ連れてきた時、部屋の怪異達がいっせいにおやっという雰囲気になったのは、尾上に憑いた英美の怨霊のせいではなかった。

 とうの浅田が怨衣を着ていたからである。

 もちろん浅田には見えない。力のある霊能者ならば感じるかもしれない死相である。

 死相の出た人間が着せられるという怨衣。一度被せられたら二度と脱ぐ事は出来ない。

 そのぼろぼろの衣を被ったまま、人間は死の闇に誘われる。

 暴力、殺人、詐欺、嘘、この世の悪に身を染めた人間は必ず被るようになる。

 怨衣は罪が深いほど、重く黒い。一度被せられた怨衣は二度と脱ぐことは出来ないのだ。

 だが怨衣は悪人を裁くものではない。例えどんな善人であっても被せられる事もある。

 悪人の犠牲者として死を迎える不幸な魂を持つ人間にも。

 鴉の元にいる怪異達には街を行く、あるいはテレビの中で笑っている人間のほとんどがこの怨衣を被っているように見える。

(あにさんやったら……)

 もう一度青女房が呟いた。

 彼ら、怪異の宿主である鴉であれば浅田から怨衣を脱がせる事ができるはずだ。元の肌の色が見えなくなるくらいの大勢の怪異を自分の身に飼う鴉の呪力は絶大なものだからだ。

 鴉に見捨てられたら浅田は三ヶ月と保たずに死んでしまうと青女房は考えた。一度はその背中に宿ったのだ、無残に死なせるのはしのびない。

(ばあさん)

 と声をかけて、鬼子母神が首を振った。

 無駄な事を何度も言うと鴉を怒らせるだけだ、という意思表示である。

(そうやなぁ……わしとしたことが……)

 青女房は淋しそうに呟いた。

(浅田は……孤独な人間なんや……わしが浅田の背中に憑いてる間、あいつを見舞う人間なんか誰一人いなかった……電話は借金の催促だけや……あのまま死んでも腐るまで誰も気がつかんかったやろうな……なんとか命は拾うても、今もやつには誰もおらんのや……)

(そういうもんです、今の人間はたいていそう。浅田だけではないですよ)

 と言ったのはタイトルが「貧乏神」という、貧相な老人の図柄だった。

 坊主頭で薄汚れた着物を着て、杖をついている。がりがりに痩せた体で頭だけが巨大な姿は異様であった。

(孤独でない人間などいやしません……いいや、孤独だからこそ人間、孤独を淋しいと思う感情こそが人間、我々とは違う……)

(そんな話とは違うんじゃ! 他の人間なんかしらん!)

 青女房、つんと貧乏神にそっぽをむいた。

 この二柄は非常に仲が悪かった。じいさんVSばあさんである。

(そうは言っても、もうどうしようもないこと……あにさんを困らすのはやめなさい。他の者にも迷惑です)

(貧乏神! ぬしも浅田のおかげで仕事にありついたではないか! あんときゃ、楽しそうだったやないか!)

(確かに……あれは浅田が持って来た話でした……久しぶりの外界は楽しゅうございました) 

 貧乏神は素直にうなずいた。思い出すように目をつむって、

(そうです、的は医者でした。患者をモルモットの様に扱う酷い医者……何人の患者が死んだことか……その医者は金持ちでした……患者を救うこともせず、金の亡者となりはてた医者……わたしはその医者の家に憑いて……一家離散となるまで見守ったものです……)

(そうやろ……やったら、浅田を生かしといたら、また仕事を持ってくるで……他のもんも皆、浅田が死んだら仕事が減る……そしたら出番も回ってこんでぇ……)

 他の彫り物は皆一応に考え込んだ。小鬼らだけが、

(でばん、でばん、あさだ、あさだ、しごと、しごと)

 と理由も分からずに騒いでいる。 

(浅田が仕事を持ってくるようになって二年や……その間、皆も楽しい思いさせてもろうたやろ……鬼子母神……ぬしもようけ仕事もろうたやろうが……)

(……そりゃあ、あたしらはええよ……浅田が生きてても……でもなぁそれを決めるのはあにさんやから……)

(わたしたちに出来ることは……願うことだけですな)

 と貧乏神も言った。

 とりあえず仲間に青女房の言い分は通った様子だった。確かに浅田が死ぬと仕事が減って、自分らのお楽しみがなくなるのは事実である。

 怪異の世界も弱肉強食である。鴉に取り立てられるのは怨の力が強い図柄だ。

 出番がなかなか回ってこない柄も大勢いる。退屈しのぎに隣の小鬼を一匹喰ってしまう柄もいる。あとで鴉にこっぴどく怒られるが、暇なのでしょうがない。

 だが、浅田を助けるかどうかは鴉の胸内三寸である。余計な事を言って鴉を怒らせては自らの存在に関わるのだから、どの柄も小声でもごもごと意見を言うだけである。

 そんな事は分かっている、と青女房は薄い唇を噛みしめた。

 そしてふらっと鴉の背中へ戻っていった。

 青女房が消えたので他の彫り物達もばらばらと消えた。 

(あにさん……お願いや……)

 消え入りそうな声の青女房に鴉は目を閉じたままで返事もしない。

 やがて物の怪たちもしんと黙り込んだ。

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