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  作者: 猫又
13/33

ごきかぶり5

「ありがとうございました」 

 と言って去って行く尾上の後ろ姿を見送りながら浅田は首をひねった。

 玄関のドアを閉めて、浅田はまた部屋の中に戻った。

 尾上が礼と称して鴉を訪ねて来たのは依頼人にしては珍しい行動だった。

 菓子折を持って礼儀正しく尾上は礼を言った。

 そして、今日これから故郷へ帰るのだとも言った。田舎で農業をして暮らす事に決めたらしい。

「ずいぶんとしょぼくれてたな。憎い相手が死んですっとしたろうにな」

 鴉の作業場のソファに腰をかけて浅田が呟いた。

 そんな浅田を見て鴉が笑った。

「え? 俺、何かおかしい事言いました?」

 浅田は慌てたように鴉に言った。

「いや、別に」

 鴉は机に向かって絵を描き始めた。一般の客用に図柄を考えているところだった。

 そんな時の鴉は少し穏和な顔をしている、と浅田は思った。

「六百万騙されて、仕返しの金が二百万かぁ。ずいぶんと無駄遣いしたもんやな。まあ、金があるから出来るこっちゃ。これに懲りて田舎で大人しいに暮らすやろ」

 ぶつぶつと浅田がつぶやいていると、鴉がまた笑った。

「何ですかぁ」

「……お前もたがい鈍いな」

 と鴉が振り返りもせずに言った。

「え?」

「この部屋に出入りしてたらちょっとぐらいは視えるようになるかと思うたけどな」

「何がですか?」

 浅田ののんきな返答に部屋の中でくすくす笑いが起きた。

 鴉の周囲で浅田をあざ笑う声がする。

(ほんまに、浅田の取り柄は顔だけやなぁ)

 聞き慣れたしわがれた声がした。浅田はむっとしてその婆さんの声に言い返した。

「何や、どういう意味や」

(今の男に取り憑いてた女が視えんかったんかい? 怨みを晴らして、怨みを買う。もう現世も来世もあのままやろうなぁ)

 青女房がひっひっひと笑った。

「え? お、女? もしかして、死んだ詐欺女が取り憑いてたんか?」

(そうや。ひっひっひ)

「ま、まじですか」

 浅田が鴉の背中に向かって聞いた。

「まあな。ようあるこっちゃけどな」

「え」

 浅田の顔がこわばった。女の怨みは自分にも身に覚えのある事だった。

「金払うて自分の身に厄災を背負い込んだだけや。まあ、本人は気がついてないけどな」

「まじっすか……」

「金に執着のある人間はやっかいや。自分の罪よりも他人を怨む念が強いからな。自分のした事を棚に上げて、すぐに人を怨む方に回る」

「……あの……」

 鴉は気がかりそうな浅田の顔を見て、

「ああ、お前には憑いてない。大丈夫や」

 と言った。浅田はほっと胸をなでおろす。

(ずいぶと惨い死に様やったんやねえ。体中の肉がえぐれてましたぇ)

 と鬼子母神の声がした。

「ムシが言うには自分で包丁で体中をえぐったらしい」

 と鴉が答えた。

(通りで……穴だらけになって……おかわいそうに……)

「でも詐欺女やで」

 女というだけで同情を見せる鬼子母神に浅田が責め口調で言った。

(そら、そうやけどなぁ……女にとって一番酷なやり方やったなぁ)

 女を騙した男を情け容赦なく追い回して憑き殺したくせに、やけにしんみりとした口調で鬼子母神は呟いた。

「何や、悪いんは俺か」

 と鴉が言った。

(いや、そういう意味やあらへん……あにさん、かんべんやで)

 鬼子母神は慌てたふうに答えた。

「まあ、ええ」

 鴉は短く答えてまた背中を向けた。

 その時、盆を手に須藤が入ってきた。盆の上にはコーヒーカップが乗っている。震える手でカップを鴉の机の上と浅田の前に置いた。

「あ、さんきゅー」

 浅田が礼を言うと、須藤は少しだけ頭を下げた。そして、

「し、仕事の話ですか?」

 と浅田に聞いた。

「え? いや、今日は仕事の話ちゃう」

「そ、そうですか」

「何?」

「いえ……べ、別に」

 がっくりしたような声で須藤がため息をついた。

「どうしたん? 須藤ちゃん、元気ないやん」

「いえ……」

 小さい声で返事をしてから須藤は部屋を出て行った。

(しんきくさい奴)

(けっけっけ)

 意地の悪い連中が須藤を嘲笑する声がした。

 浅田は鴉の背中を見た。体中、彫り物でいっぱいの鴉から笑い声や意地の悪い声がする。鴉の左腕に彫られた小鬼らがぎょろりと目玉をむいて笑っている。何匹かの小鬼らが内臓のような物を食っている図柄だった。「餓鬼」というタイトルのそいつらはいつも何かを食わせておかないとどうしようもない、と鴉が言っていたのを浅田は思い出した。勝手に抜け出して、自分らで獲物を探しだしたりするらしい。だが鴉に見つかったが最後、消滅の危機に遭う。だから小鬼らもむやみに鴉を怒らせるような事はしない。それに他の御大図らにも睨まれるし、逆に喰われる場合もある。

 その小鬼らがケケッケと笑っていた。

(くさい、くさい、)

(しんきくさい)

 あまり知恵はないのだろう。同じ単語を繰り返して笑うだけだ。

 浅田は鴉の左腕で蠢く小鬼らを眺めた。

 鴉の体に施された彫り物は一応に渋い柄で昔ながらの浮世絵でありそうな図柄である。その柄達がごそごそ動き、しゃべるのは不思議な見せ物であった。時には冗談を言い合ったり、浅田に軽口をきいたり、世の中の動向について話し合ったりもするのだ。

 だが、彫り物達の主はそうそうそれを許しはしなかった。

「やかましぃな」

 鴉が低い声で一言そう言うと、ぴたっと部屋のおしゃべりが止む。しーんと息を殺す気配が充満するのだ。調子づいた者がまだ口を開いていると、不思議な呪力を持つ鴉の手がそいつの首根っこをぎゅっと捕まえる。

「そんなにおしゃべりがしたいんやったら、どこへなりとも行けや」

 そして自分の肌からその図柄を剥ぎ取ってしまうのだ。

 剥ぎ取られた図柄はぺらぺらした体でおいおいと泣き声を上げる。

 鴉の肌の上でしか生を与えられない彫り物達だ。追い出されたらもう消滅してしまうしかない。泣いて謝って、鴉に許しを乞うのだった。

 浅田はソファの上で膝を抱えた状態で座っていた。そしてじっと鴉と彫り物達のやりとりを耳をすまして聞いている。それはいつもの事だった。特に用事がない時は何時間でも座っている。一日中座っていても鴉も彼の彫り物もうんともすんとも言わない日もあるが、それでも浅田はじっと座っていた。

 浅田は鴉の刺青に魅せられていた。ものしゃべる怪異、という意味も含めてだが、鴉の刺青は素晴らしく精巧で美しかったからだ。

 浅田がそれを見ているうちに自分でも刺青をいれたいと思うようになるのに時間はかからなかった。だが浅田はそれを鴉に言い出せないでいた。

 怪異を肌に施して欲しいのではなく、芸術としての刺青を入れたかった。だが、どうやって頼めばいいか分からない。一度は鴉の的にされた自分を鴉がどう思っているかも分からない。毎日顔を出す事を咎めはしないが、歓迎もしていない。マネージャーを名乗って集客する事をやめろとも言わないが、仲間だと認めてくれていないのは明白だ。

「浅田」

 と鴉が言って、机の引き出しから封筒を取り出した。

「はい」

 浅田が顔を上げると、鴉は浅田にその封筒を投げてよこした。

 分厚い封筒の中身は一万円札がぎっしりと詰まっていた。

「お前の取り分や」

 と鴉が言ったので、

「ありがとうございます」

 と浅田は素直に受け取った。

 押しかけマネージャーだが、浅田にしても毎日物を食うし、家賃の心配もある。自分から金を欲しがったわけではないが、くれるというのなら貰う。

 毎月というわけではないが、鴉は浅田に取り分と称して金を渡した。贅沢しなければ一回の封筒の中身で半年は暮らしていける。

「なんや……まだ何か用か?」

「え?……いや、別に」

 迷惑そうに自分を見る鴉の視線に耐えきれず、浅田は腰を上げた。

「んじゃ、また来ます……」

 鴉の部屋を出て、浅田は行くあてもなく歩いた。

 鴉の所へ出入りするようになってから、浅田には友人と言える人間がいなくなった。 元々軽いノリでつきあう軽い人間ばかりだったのは違いない。だが仕事をやめ女の子と遊ぶ気にもなれない今、連絡を取り合う相手がいなかった。愚痴を言い合える友達も久しぶりに酒を酌み交わす相手も思いつかない。

 鴉とは酒を飲んだこともない。食事をしようと誘われたこともなかった。

 だから浅田は鴉のことを何も知らなかった。

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