ごきかぶり3
「店長ってアレだよね」
一緒に事務所から出て来た同僚がくすくすと笑いながら言った。
「アレって?」
「きもくない?」
質問に質問で返されてしまったので、英美はしばらく黙った。
「……まあ、きもいけど」
「だよね~。彼氏にもあの調子なのかな。ウケル!」
「彼氏って? 店長ってホモなの?」
同僚はばさっと髪の毛をかきあげて笑った。
「そうだよ。みんな知ってる。自分のお金、ぜえんぶ彼氏に貢いでるんだって。もう、必死みたいよ」
「まじで?」
「そ。なんか、やばい系の人? みたいでぇ。ホスト時代に目ぇつけられて無理矢理やられてそれからずっと金とられてんだって。昔は普通に女好きだったんだけどさ、もう今は無理なんじゃない」
「誰に聞いたの? そんな事」
「安原君」
先ほど事務所でデザイナーを気取っていた男だ。
「へえ」
「凄かったらしいよ。大勢見てる前でやられまくりの撮影入ります状態で。男前だからその裏ビデオが売れに売れたってさ」
「……それでも今も金を貢いでるの?」
「そうみたいよ。たまに彼氏と一緒のとこを見かけるけど、似合ってるって安原君が言ってた。でもさ、店長ももう年だし? 若い男の子はいくらでもいるし、捨てらないようにもう必死なんだって」
「店長って三十五だっけ……」
「きもいよね~~」
と同僚が笑った。
英美は宜哉の事を生理的に好きではなかった。不健康そうな黒い肌やカラーリングのやりすぎで痛んだ長髪、そして何より皺の刻まれた目尻と疲れきった肌。
必死で若作りしようとして、それがすべて逆効果になっていた。やたらに派手な服装でしゃべる言葉も若いが、ぜんぜん似合っていない。おまけにおねえ言葉が気持ち悪い。
そう思っていたが悲惨な過去を聞いてしまい、何やら憐れに思える。
手を振って去っていく同僚を見送りながら、聞かなきゃよかった、と英美は足元の小石を蹴った。
だが宜哉の事よりも自分の金儲けが大事だ。宜哉にはもう少しがんばって貰わないと。
今の仕事は英美の性に合っている。システムもいい。ホモでもきもくても宜哉はきちんと金を払ってくれる。その事実の方が英美には大事だ。
もっともっと稼ぐんだ。英美は顔を上げてにやっと笑った。
山田英美が新しいカモを捕まえて、喫茶店に入るのを確認してから浅田も店に入った。
英美と背中合わせになるように座る。カプチーノを注文してから、携帯電話を取りだして、メールを打つふりをしながら耳をすます。
英美は可愛らしく話をしていた。
椅子に座る前に確認した相手の男は依頼人の尾上と同じようなタイプだった。
肩掛けのカバンをしっかりと膝の上に抱えている。
黒い縁の眼鏡をして、真面目そうな顔をした男だった。
二言三言、英美に返す言葉の中に方言が聞こえる。
「うん、うん。そうなんだぁ。へぇ。あ、そうだよかったら、これ,見て。うん。アンケート。これね、すごいの。海外旅行が当たるんだよ。うん、もちろん、ただだよぉ。あ、なんかそういう旅行とか売りつけられると思ったの? 違う、違う。ただのアンケートだもん。うふふ。あ、相田君て、彼女とかいるの? へえ、いないの? 嘘、優しそうだもん。え、本当? へえ。うふふ」
運ばれてきたカプチーノを飲んでから、浅田は立ち上がった。
携帯と伝票を持って英美のテーブルの横を通る。そして、
「あ、なんや、お前、相田やないか。奇遇やの」
と言った。相田は面食らったような顔で浅田を見上げた。
「何、何? もしかしてデートか? べっぴん連れとるやないか」
どすんと浅田は相田の横に座った。
英美の顔が一瞬だけ曇ったが、愛想よく浅田に声をかけた。
「あ、もしかしてお友達ぃ?」
「声かけとんのや友達に決まっとるやないか」
「あ、そっかぁ、うふふ」
そっけない浅田に英美は焦りだした。
この男はカモにはなりそうもない。悪ければ邪魔をされるかもしれない。英美が頭の中でぐるぐると作戦を考えていると、浅田はテーブルの上のアンケート用紙に手を伸ばした。
「なんや、街頭アンケートに捕まっとるんかい。ださいの。海外旅行なんて嘘やで。たいがい事務所に連れて行かれて、絵か宝石でも買わされんで」
「え」
相田の顔がぎょっとなって英美を見た。
「そ、そんな事しませんよっっ。本気でアンケートなんですっ。あ、本気でアンケートって何かおかしいかなぁ。うふふ」
英美のぶりっこ笑顔を完全に無視して、浅田は続けた。
「相田、ように自分の頭で考えようなぁ。見ず知らずの女に乗せられて住所まで知らせてどうすんのや。カモのレッテル貼られて、明日からお前んち訪問販売の的にされんで」
「ほ、本当ですか」
「そんなん、今時常識やろ」
相田は英美を見て、
「ぼ、僕、帰ります」 と言った。
「ちょっと、あのねえ。いいがかりだわ。ただのアンケートだって言ってるでしょ」
「何のアンケートや?」
「そこに書いてあるでしょ」
つんと英美は横を向いた。
「あなたの財産はいくらですかってアンケートか? 六百万売るまでは離れませんよって書いてあるんか? 彼女のふりして、宝石買わせますよって書いてあんのかな」
浅田はぽんぽんと相田の肩をたたいて、
「もうお前は帰ったほうがええで。知らない人にはついて行かないっお母ちゃんのいいつけはちゃんと守らなあかんで」
「は、はい」
相田はかばんをぎゅうっと抱いたまま、足早に去って行った。
「何なの? あんた」
英美は悔しさで唇をぎゅっと噛みしめた。
「代理人や」
「代理人?」
「そう、あんたに騙された男の代理人や。ダサイオタク野郎やけど、六百万はあんまりやろ。泣いてたで」
その値段には覚えがある。尾上に売りつけた金額だ。
英美は目の前の男を見返した。
今まで英美の近くにはいなかったタイプだ。お洒落でハンサムで。
英美が一度だって交際した事のないタイプだ。
「……ちゃんと売買契約はされたはずよ。あれは正規の契約書だもの。品物も渡したわ。騙したなんていいがかりよ」
「まあな、騙された方が悪いんや。粗悪品でも宝石には違いない。あんなもんの値段はあってないようなもんや。契約書に印をついた方が負けや」
「そ、そうよ」
「でもあんまりやり方が悪質やないけ。結婚する気にさせて、金出させて、まんま結婚詐欺やないか」
「結婚するなんて言ってないわ。思い込んだのは向こうの勝手よ。とにかく、返品には応じないわ。なんなら事務所に来て店長と話でもする?」
「行ったら怖いお兄さんがいてるんやろ」
浅田はけっけっけと笑った。その笑顔に英美はどきっとなった。
浅田はいい男だった。英美のような十人並みかそれ以下の女にはとても間近で見られる笑顔ではなかった。
「返品に応じる言うてももう遅いんや。こっちの契約は成立したからな」
そう言って浅田は立ち上がった。
「ちょっと! 何よ!」
「惜しいなぁ、綺麗な肌してんのに」
またけっけっけと浅田が笑った。
「な、何よ」
浅田はばいばいと手を振って去って行った。
残された英美の耳には浅田の言葉だけが残った。
英美はすぐさま事務所に引き返した。まだ事務所ではデザイナーもどきの安原が客をくどいていたが、客が素直に契約書に印をつかないのだろう、いらついた風に声を荒げていた。
英美は宜哉へ事の次第を報告した。
「弁護士とかそういう系?」
と問う宜哉に英美は首をかしげた。
「さあ、そんなちゃんとした格好じゃなかった。どっちかと言うとチンピラふう」
「ふうん、なら問題ないよ。英美ちゃん、そういう輩にはうちは強いから。もしまた何か言ってきたら返品に応じるって言って連れてきてくれる?」
「分かりました」
その時、ぴりっと英美の頬に痛みが走った。
「痛っ」
頬を手で触る。
「どうしたの?」
宜哉が英美の顔を見た。
「ちょっとほっぺたが痛いような……いえ、大丈夫。じゃ、何かあったらお願いします」
と言う英美に宜哉はにっこり微笑んで見せた。




