6 ゆめぢの果てに咲くえにし 天の果てより流れ来て(短歌・解説あり)平安時代
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平安時代 3
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台所の竈で小鍋が静かに湯気をあげていた。海藻の香りがふわりと漂った。玉藻が朝、海辺で拾ってきた海藻を使った海藻鍋だった。海からの暖かな陽が差し込む中、玉枝の控えめな柔らかな声が静かに発せられた。
「朝餉にしましょう。藻女さん、ずっと眠り続けていたからお腹すいたでしょう。身体になじませるようにゆっくりおあがり?」
藻女は台所に立つ玉枝を見やった。彼女の笑顔は春の野にひっそり咲く花のように慎ましかった。そしてそれでいて心を温めるものがあった。
玉枝は囲炉裏に移すために鍋を持ち上げようとした。そのとき背後からさりげなく盛吉の気配が忍び寄った。彼の手は優しく自然に、まるで何事もなかったかのように鍋をヒョイッとつまんで歩き出した。
コトリ
そして静かに囲炉裏の端に置いた。
「無理はせぬように。いつでも声をかけなさいというておるだろう」
盛吉は穏やかな声でそっと告げた。その瞳には深い思いやりと何気ない日常を共に過ごしてきた尊さが映し出されていた。
玉枝は一瞬、遠慮の色を浮かべた。しかしその一瞬ですべてを見透かされたような気がして、やわらかく微笑えんだ。
「ありがとう存じます」
玉枝は小さな声で感謝を述べた。それは発せられた言葉以上に感謝と心の拠り所を表していた。
囲炉裏の揺れる火影のもと、海藻鍋の湯気が静かに立ち昇った。淡路南部の海辺のあばら家に安らぎが満ちていく、そんな情景だった。
「いただきます」
三人の声がそろった。
ザザァ
その声はかすかな波音に消えていった。
藻女は温かな海藻汁を口に運んだ。何日も眠り続けていたのだ。お腹がすいていないわけはない。温かな海藻汁は藻女の胸の奥まで染みた。こんな朝を迎えられることが、夢の続きのように思えた。
朝日は柔らかに差し込んだ。潮騒の音が静かに響いた。藻女は静かに海藻汁を匙ですくいあげた。くぐもる光が湯気に紛れた。藻女の横顔はどこか遠い異国の夢を映し出していた。
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かつて藻女ははるか天竺の古の都にて「華陽夫人」と呼ばれていた。天竺では仏塔がそびえ、朝ごとに祈りの声が響いていた。彼女は天竺で比類なき美貌と、どこか影を帯びた妖しさをまとう存在だった。華やかな仏教の都に華陽夫人の名が語られぬことは一日としてなかった。
彼女は瑠璃色の衣をひるがえし静かに微笑んだ。その姿は王侯や貴族だけでなく、僧侶までも彼女を胸の内に思い狂わせた。
彼女が黄昏の回廊に立てば、沈香の香りとともに人々の視線は自然に彼女に集まった。その面差しは誰もの心を奪われずにいられなかった。
宮殿の奥深くに涼やかな水面があった。その池は月を映していた。彼女はそのほとりで静かに空を仰いだ。華やかな祝宴の夜、人々はさかんに彼女の名を口にして心をときめかせた。彼女の存在そのものが都を包む甘美な夢だった。誰もが彼女に愛を語り、誰もが彼女に高価な衣類や宝石を貢いだ。
けれど、彼女自身が心から求めていたものは宝石やまばゆい衣裳、あるいは宮殿の権力などではなかった。彼女は夜ごと繰り広げられる華やかな宴をたびたび抜け出した。
彼女は静かに差し向けられるささやかな言葉、曇りなき眼差し、さりげない優しさを好んだ。その小さな好意やぬくもりが彼女を癒した。彼女は思った。その温もりにそっと報いることができればと。
彼女の華やかな美名が広がるとともに、彼女の胸のうちに深い孤独が広がっていった。胸を焦がすほどのひそやかな願いはいつもかなえられることはなかった。
中国では彼女は「妲己」と呼ばれた。彼女は都に現れた。後宮ではさまざまな麗人が集っていた。常に華やかな宴が繰り広げられていた。しかしその華やかさとは裏腹に恐ろしい嫉妬がいつも渦巻いていた。彼女の美貌はたびたび争いの火種になった。彼女はその美貌を尊ばれ、朝な夕な宴に招かれた。そして国を揺がす権謀の渦に巻き込まれていったのである。
藻女の正体、九尾の狐――その名は『山海経』にも記された恐ろしき怪異である。天竺や中国の古き物語、歴史書にしばしばその足跡が残された。
けれど彼女は国を乱したいと願ったことはなかった。ただ一度たりと。彼女に与えられた好意にただ応えたい。それだけだったのだ。一体それがどれほど罪なのか。しかしそれはいつも女たちの嫉妬や権力の策略を引き起こしてしまった。
藻女は当時を振り返って一滴の涙を頬に流した。
かつて王や皇帝を惑わしてしまった……。知らず知らず国を揺るがせてしまった……。その悔い、そして想いに報いきれなかったチクリと痛みを伴う記憶が海藻汁の温もりとともに彼女の胸奥を締め付けた。
その記憶が藻女の瞳を濡らした。そしてひとしずくの涙がぽろりとこぼれ、椀のふちに滑り落ちた。
「どうした藻女……」
盛吉は荒れた手を板間においてそっと彼女の前に膝をついた。武士の面影を残す厳しい顔立ちは柔らかくなっていた。朝の光のなかで幾度も風に晒されたそのかんばせは、厳しくも優しい面差しに変わっていた。盛吉は彼女が泣く理由はわからなかった。しかし理由はわからずとも幼女の胸に大きな哀しみがあることだけは痛いほど感じれれた。
玉枝もまた藻女の頬を伝う涙を見て胸がきりきりと締め付けられる思いだった。玉枝はそっと藻女の小さな手を握った。
「大丈夫よ……。もう大丈夫だから」
玉枝は優しく声をかけた。しかし藻女の細い肩はかすかに震えたままだった。
ザザァ、ザザァ
沈黙の中、潮騒だけが静かに響いていた。朝の柔らかな光は三人を温かく包んでいた。
ヒュゥ
しばしの沈黙。そして戸口から朝の冷たい風がそっと吹き込んだ。盛吉は藻女の傍らにそっと座った。そして藻女の肩を抱いた。玉枝も藻女に寄り添うように藻女の小さな肩をそっと包み込んだ。
ふいに訪れた温かさ。盛吉の力強くも優しい抱擁に藻女は頬を赤らめた。玉枝の遠慮がちで柔らかな抱擁は哀しみに沈む藻女の心をやさしく温めた。
「藻女。もしよければ、この先もわしらと一緒に暮らさぬか?」
盛吉が静かに、しかし決して揺らがぬ声で言った。
「藻女、大切に、大切にあなたを守り育てるわ」
玉枝の声は遠慮がちで小さく細かった。けれど芯の強い声だった。
藻女は驚いたように二人を見上げた。その目はまだ涙で曇っていた。しかしいつしか心がほどけるような温もりが藻女の心に広がった。ほのかな安どが彼女の胸いっぱいに広がっていった。
過ぎ去りし天竺と唐の辛い思い出は、この朝の食事と囲炉裏の柔らかなぬくもりのなかに遠ざかった。彼女の涙は少しずつ静かに乾いていった。
海風のなかで暖かな家族の影だけがそっと新しい絆のはじまりを告げるように朝の陽の下で揺れていた。朝の光が三人の姿をやわらかに包んだ。潮騒が静かに響く朝の海辺のあばら家。
そうして新しい家族の営みが始まった。
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◆今日の短歌
あめつはて
ゆめぢをとおみ
ながれきて
むすぶるこころ
あかつきのゆめ
天地果て
夢路を遠み
流れ来て
結ぶる心
暁の夢……
◆短歌に寄せる思い 解説
九尾が遥かな流浪を経た末にあたたかな家族の一人となれました。それまでの哀しみと喜びを心に描きながら詠みました。哀しみ・悲しみと希望、その対比を思い浮かべました。
意味はこんな感じです。
地の果て遠くから夢のように遠い道を流れ流れてきた。自らの思いはままならず辛く哀しい流浪の旅だった。けれど今、こうして心を結んで家族となることができた。それはまるで、暁に見る美しい夢のよう。
第一から第三句までは、遠い異国での孤独や流浪、哀しみを表します。
第一句の冒頭は「天地果て あめつはて」です。世界のはての異郷。はるか遠い場所で人生を歩んできた。そんな感じを込めました。
第二句は「夢路を遠み ゆめぢをとおみ」です。第三句は「流れきて ながれきて」です。まるで夢の中にいるように現実感がなかった。想いと裏腹に様々な災厄を引き起こしてしまった。まるで悪夢のような道を、時間的にも空間的にも、そして心情的にも、はるか遠くから旅してきた。現実とも夢ともつかぬはるかなる流転と哀しみに多くの時や地を流れてきた。運命や時代に翻弄されて漂い流れてきた。乗り込んだ船は嵐に会い難破して砕かれた。死の淵をなんどもさまよいながらこの淡路の盛吉と玉枝のもとに流れ着いた。そんな情景と気持ちを込めました。
第四句は「結ぶる心 むすぶるこころ」です。盛吉と玉枝によって新たにな縁が結ばれました。心が通い合ってついに自分の家族を得ました。人生(怪異生?)の試練をへてついにやすらぎを得ることができたのです。そんな思いを込めました。
最終句は「暁の夢 あかつきのゆめ」です。夜明けを新しい始まりと希望の象徴としています。これまでの苦難と孤独を超えてようやく美しく輝かしい夢のような朝、夢のような幸福に満ちた未来を得ることができました。そして喜びとともに不安も暗示します。幸せが夢でなければいいのにと。
この先のことになりますが、藻女がようやく得られた幸せは、またもや国の権力によって奪われ、藻女は再び運命に翻弄されることになります。
作者はそれを知っています。また読者様もすでに藻女が追い詰められて殺生珠に封じられるのをご存じです。
せめて成長するまでの間、藻女に幸せな時を過ごしてもらいたいです。藻女の幸せな時間を次々話で紡ぐよう努力します。でも、その前に圧倒的な妖狐に翻弄される剣奈たちの話を紡がねば!
まあでもあんまアクセス伸びないし、ブクマつかなし。焦って毎日更新でなくてもいいかなー。なんか慌てて投稿して読み返したら文章ぐちゃぐちゃだったりしたし。場合によったら更新間隔、週一とかゆっくりでもいいかな……
なんでだろ。一生懸命書いてんだけど、書きぶりが重いのかなぁ……
いかん「作者病」に陥ってるぞ夏風!
◆「作者病(夏風命名)」
:自分の書いたものが素晴らしいと思い込む病。「自分が書いたものは素晴らしいので読者は読んでくれるはず」との無自覚な傲慢に陥る。まるでナルキソスやハブリス。アスラやルシファー。
一読さえしてもらえればあとは自分の作品の虜になるはずとの妄念に取り憑かれる。
時に強引で性急で一方的な勧誘に走る病状ステージに進行する。あたかも病にとりつかれたカマキリが水辺に近づくと躊躇なく水中に入るがごとき。水に走る病、水が誘う尊大なる虫の王がごとく。
他人からは厚かましく押しつけがましく思われていたりするが本人は気づかない。創作を行うものがよく罹患する。
この妄念が良い方に向かうと創作に向かう良き燃料となる。あたかもハイオクを飲み込んだ車が無人の荒野を疾走するがごとし。ぶぉー!
危ない!落ち着け夏風!
ちょっと『赤い女の幽霊』以来、内容が病んでるかも?
まあ仕方ないですね。夏風こんなやつだし
さてと。吉備編書いててまた岡山行きたくなったから、8月なったら取材旅行という名の気分転換に行ってこよかな。
書き終わってから行く夏風であった。うっ 直前じゃないけど前にちゃんと行ってるもん!だいぶ前だけど……
岡山好き♡ 一時期貪るように横溝正史さん読んでた時期あったっけ……
横溝正史さん岡山が舞台なの多いんですよね。備中から美作あたり。独特の雰囲気で好き。
「きちがいじゃが仕方がない」(うろ覚え)
的な和尚のセリフ わりと重要なんだけど、コンプラ的にテレビでは色々変えられてておかしい
いかん九尾ちゃんからも短歌からももはや脱線してるのではっ!
失礼しましたっ
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天地果て
夢路を遠み
流れ来て
結ぶる心
暁の夢……
ゆめぢの果てに咲くえにし
天の果てより流れ来て
夏風




