63話 喫茶エニシの夏休み
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
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「クロー!ただいまー!」
「みゃおん」
恵真が冷房を効かせておいたダイニング兼リビングに入ると、ドアの前でクロが座って出迎えてくれた。エコバッグに入った荷物をどさりと恵真がテーブルに置く。
エコバッグの中身は道の駅で買ってきた季節の果物である。岩間さんのお宅と一緒に道の駅に行った恵真はついつい果物を多めに買い込んでしまった。桃やメロンなど香りの良い果物が少し熟してきているため、値が下がっていたのだ。それを今から恵真は処理をして冷凍するつもりでいる。
「みゃ」
「うん、今からこれを切っちゃって、冷凍するの」
「みゃうん」
「あぁ、そうだね。大事なことを忘れてた」
そう言って恵真はクロを抱き上げてぎゅっと頬を付ける。
「お留守番、ありがとうクロ」
「みゃおん」
留守番という任務を終えたクロは満足げに恵真に鼻をすり寄せるのだった。
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喫茶エニシは夏というのに、今日も涼やかな風が吹く。
魔道具の効果らしいが、このように優れた魔道具を入手できる伝手がそもそも他の者にはないだろう。そんな涼を求めて、喫茶エニシに足を運ぶ者達がいる。
「涼しいねぇ、店に帰りたくなくなるよ」
「あぁ、配達が終わったというのに私もなかなか帰れん…」
「わかるわ、この空間、エマさまの笑顔…癒されるわよね!」
アメリア、ナタリア、リリアの3人である。
リリアの恵真への呼び方は何度言っても本人が頑として変えず、なぜか呼ばれる恵真の方が折れる形となっている。
「エマさん、でいいんですよ。ほら、歳の離れた姉みたいに…」
「いいんですかっ!!」
「えっ?えぇ、もちろん」
恵真が何気なく口にした「姉」という言葉にリリアが飛びつく。だが、それを放っておけない者がリリアのすぐ隣にいる、ナタリアだ。
「待て!なら私だっているぞ!私だってリリアと姉妹と言える年齢だ!」
「おや、それじゃあ、あたしも混ぜとくれ」
「なぜだ?厚かましいぞ、アメリア」
「ナ、ナタリアさん!」
確かにアメリアだけぐんと年齢が離れている。到底、姉妹には見えないのだが、なぜかアメリアは不敵な笑みを浮かべ、ナタリアに言い放つ。
「だって、あたしら全員、名前に『リア』がつくじゃあないか」
「な…!」
「ほらね!あたしらマルティアの美人三姉妹だねぇー」
確かに3人の名前には共通点があるのは確かなため、ナタリアは少し悔しげに見える。どうやら今日もまたアメリアは割とすぐ本気にするナタリアをからかっているようだ。
リリアがそっと恵真に呟く。
「名前に『リア』がつくのって、この国じゃよくあるんですよ。伝統的な名前ですね」
「それでなのね」
日本でいえば、「○○子」や「○○美」のように名前によく使われる言葉なのだろう。地域や世代によっても違うが様々な国にもあることだ。もちろん、アメリアはそのことを知っていてナタリアをからかっているのだろう。
「…ねぇ、じゃあリアムさんも?」
「それは違うだろ」
「みゃう」
テオの疑問をアッシャーがきっぱりと否定し、クロも相槌を打つ。
今日も喫茶エニシは賑やかで和やかである。
_____
畳に正座するのも久しぶりだと恵真は思う。
幼い頃、夏に祖母の家を訪れると必ず岩間さんの家にも伺った。畳に低いテーブル、縁側から見える風景はその当時と変わらない。紐を引っ張って電気をつけるのが面白く、兄と何度も点灯を繰り返し、共に訪れた祖母に叱られたことも懐かしく蘇る。
「はい、恵真ちゃん。食べて食べて!」
「あの、本当に私も…!」
「いいの!せっかくのお客さんだもの。すぐ終わるから、座って待ってて。年寄りの言う事は聞くものよ」
嬉しそうに台所に向かう岩間さんに恵真も大人しく座る事にする。重いものがあれば手を貸した方がいいが、慣れた台所で勝手の分からない恵真がいても邪魔になるだろう。
庭の木に止まっているのだろうか。セミの鳴き声がやけに大きく聞こえる。暑い夏をより、そう感じさせる鳴き声を聞きながら、恵真は水滴のついたコップの麦茶をこくりと飲む。
岩間さんが用意してくれた料理で食卓は夏の彩りに染まる。とうもろこしのご飯にみょうがの入ったお味噌汁、きゅうりの辛子漬けにざく切りトマトにシソが乗ったもの、それにピーマンとナスの炒め物。季節の素材を上手く組み合わせた料理は食欲をそそる香りと彩りである。
「あらまぁ、先に食べててよかったのよ」
「ふふ、大丈夫だよ。どれも美味しそうだね」
「ありがとう、恵真ちゃんのシソもきゅうりも使ってるわよ。はい、それじゃあ、いただきましょ」
「いただきます」
恵真はまず味噌汁に口をつける。濃い目の出汁とみょうがのすっきりとした風味が暑い日には良く合う。箸をきゅうりの辛子漬けに伸ばす。こちらはピリリとした辛味とカリコリとした歯ごたえが心地よい。季節や気温、その人の体調によって合う食事も変わる。
幼い頃の恵真ではわからなかった風味が今の恵真には美味しく感じられた。
みょうがやきゅうりの辛子漬けに舌鼓を打つ恵真を見て、驚いたように岩間さんは言う。
「大丈夫?辛くなかった?」
「ふふ、大丈夫だよ。私、もう29歳なんだもの」
「まぁ、そうだった?」
『もう29歳』 何気なく自ら口にした言葉が心に大きく響く。そう、幼い頃の夏とは違うのだ。姿かたちも味覚も恵真は29歳の大人になっている。
異世界との繋がりを通して、柔らかさを取り戻していた恵真の心がぎゅっと硬くなる。大人はどう生きるのが正しいのだろう。周りと違う道を今、恵真は歩いている。では、今の恵真は正しい大人ではないのだろうか。
ふと口にした言葉が暗雲のように恵真の心を覆い、気を緩めたら雨が涙となって零れ落ちてしまいそうだ。
「でも、まだ29歳なのねぇ」
「……え」
「まだ、私の半分にもなってないのよ?やだ、びっくりね」
「……そう、かな」
「そうよ、言ったでしょう?年寄りの言った事は聞くものだって」
「…ふふ、ありがとう。おばちゃん」
「あら、もうおばあちゃんよ」
「もう……」
「ふふふ」
再び、恵真は辛子漬けを口にする。その辛味も塩気もちょうどよく漬かっているから美味しい。何事にもちょうど良い時間や頃合いがある。
思いがけず口にした言葉で苦しくなった心を岩間さんの言葉が包み込む。こんなふうに歳を重ねていけるのなら歳をとるのもそんなに悪くないのだとその存在が教えてくれる。
「せっかく恵真ちゃんが帰ってきたんだし、花火でもしたいわねぇ」
「花火?」
「そう、スイカ食べたり花火したり。あの人と2人じゃ味気ないもの。恵真ちゃんが来るなら、あの人きっと買ってくるわよ、花火」
強面の岩間のおじちゃんだが、子どもや動物にめっぽう優しい。恵真も兄も小さい頃から、実の孫のように可愛がってくれている。夏休みにはよくこうして岩間さんの家でお昼ご飯を食べた。そのあと、昼寝をして起きたらスイカを食べて、夜になったら皆で花火をしたものであった。
青空とセミの鳴き声、風鈴の音、こうして岩間さんと食べる昼食はまるであの頃の夏休みのようだ。
(あぁ、そっか。今は大人になった私の夏休みなのかもしれない)
もう29歳か、まだ29歳なのか、その答えはわからない。ただ、岩間さんの言うように、まだまだ道が続くなら少し立ち止まって、元気を蓄えても良いのかもしれないと感じられる。
「…うん、花火したいね」
セミの鳴き声も暑さも変わらない。だが青い空がなぜか、先程より高く見える。
今年の夏もまだ始まったばかりである。
*****
「こっちにも夏休みってあるんですか?」
その問いに4人の顔が一斉に恵真の方を向く。
夕方の喫茶エニシには帰り支度をするアッシャーとテオ、そして暑さから逃れるように涼を求めに来たリアムとバートがいる。クロはいつものように棚の上で丸くなって寝ていた。
「夏休み、ですか?」
「ほら、学校とかで夏に休暇をとって…」
「あぁ、長期休暇ですね」
「合ってるんですけど…なんとなく違うんですよね」
「何が違うんすか?」
リアムもバートも恵真の言う夏休みと長期休暇がどう違うのか、今ひとつピンとこない。
確かに長期休暇は間違いではないのだが、恵真としてはなんとなくニュアンスの違いを感じるのだ。主に情緒や思い入れ、そんな感覚的な違いである。
「合ってるんですけど違うんです!」
「はぁ、そうなんすか?」
グラスを回しながら、アイスティーの氷をカラコロと鳴らすバートはどこか適当さがあり、恵真はついつい言葉に熱がこもる。
「海に行ったり山に行ったり!花火をしたりお祭りに行ったり、あとスイカを食べたりアイス食べたり。で、お昼がそうめんで『また、そうめんなのー?』って子どもだから言っちゃったり!自由研究に困ったり、どこにも行ってないから絵日記書けなかったり、天気予報なんて覚えてないから全部くもりにしたりするのが夏休みなんです!!」
料理以外のことでは穏やかな恵真の感情の波が今、「夏休み」という言葉で高まっている。圧倒されたのはバートだけではない。リアムも帰ろうとしていたアッシャーとテオも目を大きく開く。
「夏休み」という言葉は恵真が過ごしてきた国では、それだけ深く意味のある長期休暇なのだろうか。いや、単なる「長期休暇ではない」そう恵真は言っていた。恐らく、特別で意義深い行事や儀式的な祭事が行われるのではないかと3人はそれぞれに「夏休み」を想像する。
だが、バートは他の事が気になったらしい。
「スイカってなんすか?アイスってなんすか?そうめんって何回も食べれるんすか?ぜひ、聞きたいっす!」
急にバートも関心を持ち、恵真に質問をし始めた。
恵真はそんなバートではなく、アッシャーとテオに尋ねる。
「こっちで夏にお祭りとかイベントみたいなことってしないの?」
「うん、しないよ。お祭りとかそういうのは、秋とか春だよ」
「えっと、秋には収穫祭があって春には冬を終えて春が来たお祝いがあるんです。あとは教会のとか、お祭りっていうより儀式になるのかな」
「そうなの」
それでは恵真が思い描く「夏休み」はこちらの夏にはないのだろう。夏休みが少しだけ特別に感じられるのは夏だけのイベントや味覚があるからだと恵真は思う。
恵真はアッシャーとテオの顔を交互に見る。2人は恵真の顔を不思議そうに見つめている。頑張っている可愛い2人に夏休みがないのはおかしいのではないか。そう、子どもには夏休みが必要なのだと恵真は確信する。
恵真自身が「大人の夏休み」を体験するのならば、子どもであるアッシャーとテオにも「子どもの夏休み」をきちんと経験して貰いたい。そして楽しんで貰いたい。恵真はもう、そう思ってしまったのだ。
「うん、そうですね…『夏休み』しましょう」
「え?」
再び4人の視線が恵真に集まる。そんな顔を見回した恵真は笑顔を返す。
「皆で『夏休み』しましょう!」
夏休みとは何なのか、わからぬ4人は戸惑いがあるものの、恵真の言葉に何やら楽しそうな響きを感じ取る。アッシャーとテオはお互いの顔を見て、白い歯を見せる。
今年の夏もまだ始まったばかり、まだまだたくさん皆で思い出が作れるだろう。時間はまだあるのだから。
久しぶりの夏休みに恵真の心も高まるのだった。
暑い日が続きますね。
夏休み、お盆休みの方もいらっしゃるかと思います。
皆さん、体調にお気をつけください。




