48話 ホットケーキとクランペット 3
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店に入ったハンナの目に白いシャツにスカーフを襟元に巻いたエプロン姿の息子たちが映る。いつもハンナが中庭で洗っているシャツに身を包んだ息子達は、家にいるときよりどこか引き締まった表情に見えた。その奥にいる黒髪の女性、その姿に気付いたハンナは深々と頭を下げる。
そんなハンナを見た女性はキッチンより、ぱたぱたと小走りに駆けてきた。
「いらっしゃいませ…ハンナさんですよね。私は遠野恵真です。こうしてお会いできて嬉しいです」
「トーノ様、息子達共々お世話になっております。もっと早くこうして伺いご挨拶すべきところを、私の体調によりここまで時間を頂く事となり申し訳ありません」
「いえ!そんな…本来は私が行けたらよかったんですけど、それだとちょっと問題があるみたいで…アッシャー君やテオ君にはいつも助けて貰ってるんです。今日はお母様にもお会いできて良かった」
「そんな、勿体ないお言葉です」
「どうぞお掛けになってください。テオ君、お客様のご案内をお願いします。」
リアムの言った通り、いやそれ以上に気さくな対応を取る女性にハンナは驚く。高位女性にありがちな高圧的な雰囲気や居丈高な様子が一切ない。以前、貴族の元で働いていたハンナだからこそ、その驚きは大きい。息子達の様子や持ってくる食事からも、彼らを気にかけてくれるのを感じてはいたが、実際に目の当たりにするとそれがひしひしと伝わってきた。
テオの案内で席に着く。柔らかいソファーに腰掛けたハンナはテオと視線を合わせる。少しはにかんだ笑顔を見せるテオはどこか誇らし気な様子もある。そこへグラスを載せたトレイを持ったアッシャーがやってくる。
「どうぞ」
そう言って置かれた透明度の高いグラスには綺麗な水が入り、そして氷が浮かんでいる。しばらくの間、ハンナはそのグラスを見つめていた。それは彼女にとってまだ鮮烈な印象を残すものであった。
「お母さん?」
テオの呼びかけにハッとするハンナであったが、そんなテオの言葉をアッシャーが軽く注意する。
「テオ、お客様だろ?」
「そうだった!」
アッシャーの言葉にテオが肩を竦める。それは普段の息子達の様子で、少し安心したハンナはくすっと笑う。キッチンから恵真もまたそんな家族の様子を微笑ましく見つめていた。出来上がった食事は恵真がナタリアとリリアの元へと運ぶ。少しの間、家族だけで会話をする時間があっていいはずだ。
ナタリアとリリアの元へ恵真が行くと、リリアから歓声が上がる。そこまで料理を楽しみにしてくれることに恵真は嬉しくなり、微笑みを返した。
「こちらが本日のメニューです。ミネストローネにベイクドポテト、コールスローサラダにバケットを添えたものです。バケットはスープに浸しても美味しいですよ」
「ホロッホ亭でも、じゃがいもを出しているんですよね!それがきっかけで冒険者や兵士の方もじゃがいもを食べるようになったって。ホロッホ亭には私、年齢のせいでまだ行けなくって…キャベツもそちらで食べられるようになったって聞きました」
「…よく知っているな」
ナタリアの言う通り、リリアは食に関する情報をよく知っている。キャベツもじゃがいもも恵真がきっかけとなっているのだが、流石にそこまでは把握してないようだ。料理に関心があるリリアという少女に恵真は好感を抱く。
「では、サワーもご用意しましょうか?」
「え…う、嬉しいのですけれど私、年齢が…」
「この子はまだ成人前なんだから、考えてくれ」
「お酒ではないので雰囲気だけ味わえるものです。甘くて爽やかな味ですよ」
恵真の言葉にリリアは表情を明るくし、サワーも注文する。酒ではないという事でナタリアもそれ以上は追及はしない事にしたようだ。恵真がキッチンへと戻るとアッシャーがやってくる。注文はワンプレートの物でよいか、確認しようとした恵真にアッシャーがおずおずと尋ねる。
「あの…母に食べて貰いたい物があって…でもワンプレートの物以外は無理ですよね」
「待って、アッシャー君。今は他にお客様も1組だし、時間もあるから。さっきね、あちらのお客様にもメニューにないサワーをお出しするって言ったの。お母さんに何を食べて貰いたいの?材料と時間があれば大丈夫だよ」
そう言われたアッシャーだが、それでも困ったような表情を浮かべている。そんなに難しい調理法や手に入りにくい食材なのだろうか、確かにこちらの料理であれば恵真には作れる自信がない。アッシャーは少し恵真に近付くと小声でそのメニューの名を口にした。
「…です」
「え?」
恵真がかがんでアッシャーの近くへと顔を寄せる。するとアッシャーはもう一度その料理名を口にした、
「…ほっとけーきです」
それは恵真も良く知る料理名、初めてアッシャーとテオがここへ訪れたときに作った料理である。今からでも作れる料理であることに安心した恵真は快諾し、アッシャーは笑顔で母の元へと少し早足で戻っていくのだった。
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ふっくらと綺麗な焼き色のそれはアッシャーとテオが初めて持って帰ってきた料理、ほっとけーきである。それを見たハンナはあの日を思い起こす。
あの日、パタパタと走ってくる2人の姿を見たとき、ハンナは安堵の息を溢した。体を壊したハンナの代わりに息子達が働いている。それは日々、2人が帰ってくるまで気が気でない思いで過ごす時間だ。だが、走って部屋へと帰ってきた2人の顔は喜びに染まったものだった。そして2人は綺麗な絵が描かれた箱に入ったほっとけーきを持ってきた。透明なこちらも愛らしい絵が描いてあるガラス瓶、その中には氷が入っていた。その日から2人の息子とハンナの生活は変わっていったのだ。
今、目の前にいるアッシャーとテオは健康で、その顔には少し照れた表情が浮かぶがどこか嬉しそうでもある。ハンナは必死で涙を堪えた。今、この場で息子達に示したいのは喜びだ。涙を溢せば、まだ幼いテオは混乱するだろう。
「ほら!テオ、まだ仕事中だ」
「あ、そうだね。じゃああとでね」
そんなハンナに気付いたアッシャーはテオと共に席を外す。短い間に成長していく子ども達、その小さな背中がハンナの瞳に滲んで見えた。
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「いかがでしたか」
「本当にお味も雰囲気もよろしくて、それに…」
ハンナが褒めようとするのを察した恵真は敢えて途中で遮るように言葉を返す。
「アッシャー君もテオ君も頑張ってくれてて、私、この国の事に疎いんで助かってるんです。それに初めはなかなか店にお客様が入ってくださらなかったんです。そんなときに、バケットサンドを外で売ろうって考えてくれたのもアッシャー君なんですよ。こうしてお客様が来てくれるようになったのもアッシャー君のおかげです」
恵真の言葉に照れたように視線を泳がせるアッシャーにハンナは驚く。それは初めて聞く話であった。何よりその言葉に耳を貸し、その結果もアッシャーのおかげだとその力を認めてくれる、そんな人物の元で働けている事に安堵する。
今までの事を思い返すと上手く言葉に出来ないハンナだが、恵真は慌てたように言葉を続ける。
「もちろんテオくんも!」
「だって!」
ハンナの方に振り向きちょっと自慢気なテオの様子に皆、少し笑ってしまう。当の本人はなぜ笑われたか分からず、きょとんとした表情を浮かべている。ハンナにもようやく笑顔が浮かぶ。
そんなハンナに恵真はゆっくりと思いを話す。
「…ですので、先日の話も受けてくださると助かります」
「ですが、そこまでして頂いても良いのかと…」
「いえ、するべきだと私は考えています。2人にはこれからもここで働いて貰いたいんです」
恵真はハンナの言葉を強く否定する。今までここで過ごしてきた中で、恵真が感じ、必要だと判断したことである。アッシャーとテオがいなければ、そもそも喫茶エニシは始まらず、恵真は再び料理を楽しいとも思えなかったはずだ。なにより、今この店に彼らは必要な存在だ。
そこまで望まれて断るのは却って礼を失するだろうとハンナも受け入れる。
「…最近、体調が格段に良くなりました。最終的には私が以前のように働きたいと思っております」
「お母さん…!」
「はい。そのときはまたこうして話しましょう」
この世界では雇用者の力は強い。一方的に自分の願いを言っても構わない立場であるはずの恵真は、ハンナの言葉を喜んで受け入れている。不思議な人物だとハンナは思う。黒髪黒目であることより、魔道具に囲まれて生活する人物であることより、ただ知り合った自分達に親身に接してくれる人柄が何よりも印象的だ。
こうしてアッシャーとテオに給金を払いたいという恵真の願いはなんとか受け入れられるのだった。
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「あの!先程のものはなんという料理なのでしょう!初めて見ました!」
「あぁ、ホットケーキですね。粉に砂糖や卵、ミルクを入れて作るんですよ」
「…そうなのですか」
ハンナが帰った後、ナタリア達の皿を下げに来た恵真に問いかけたリリアだったが、その返事に落ち込んだようだ。
「…リリアはパン屋の娘なんだ。それで気になったんだろう」
「えぇ、卵や砂糖が使われているなら高価になりますから、恥ずかしいのですが私には頼めませんし」
「パン屋の娘さん…酵母…酵母って使っていますか?」
「えぇ、酵母は使っています。でも、卵やバターを使えませんし、粉も精製が甘くってあんなに綺麗なものは作れないかと思います」
「…イースト菌じゃなくっても作れるのかな…」
残念そうに呟くリリアだが、恵真は上の空で何かを考えているようだ。そんな様子にナタリアは少し機嫌を損ねる。だが、そんなナタリアに気付きもせず、ハッと何かに気付いた恵真はリリアの手を取る。リリアは驚き、頬を赤く染める。
「あの…クランペットを作ってみませんか?」
「クランペット?」
「私、ずっと作ってみたかったんです!」
嬉しそうにリリアを見つめる恵真にクランペットが何なのかもわからないリリアだったが、その言葉に一にも二にもなく頷いたのだった。
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