225話 夫婦の価値観、二人の始まり 2
『裏庭のドア、異世界に繋がる』3巻
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「食事ににんにくが多い……んですか?」
訪れたアメリアの話に耳を傾けていた恵真は、ケビンという青年の体調不良の原因を知り、戸惑った様子だ。
伝えたアメリア、その隣に座るバートも困ったように頷く。
今日もちらちらと雪が降る。積もる程ではない雪だが、雨になる程、気温が高くはない証拠でもある。
「どうやら、その奥さん……シャーリーさんっていうらしいんだけどさ、生まれ育った地域ではよく食事に使うらしいんだよ。体にいいからってね。だけど、そう頻繁に食べてこなかったケビンには負担が大きいらしくってねぇ……」
「ケビンは乳製品や野菜を多く好む地域で育ったらしいっす。そういう食生活の違いでも戸惑っているらしいんすよ」
二人の言葉は恵真にも思い当たることがある。
恵真が喫茶エニシで作る料理には二つのパターンがある。それは喫茶エニシで振舞う料理と、この街マルティアに広げる料理だ。
前者は恵真が好きに作っている面があるが、後者はこの国の文化や入手しやすさを考えて作っている。
食事はその国の文化でもある。だからこそ恵真なりに考えてきた。
食文化や食事の好みは無意識に料理に反映されるため、妻であるシャーリーはケビンの問題に気付いていない可能性が高い。
「でも、体調に問題が出てきているのなら、何気なくでも伝えたほうがいい気がしますけどね」
「それが奥さんには言えないって聞かないのさ。環境の違いがありながら、自分の国に来てくれたことに感謝してるらしくってね。その努力を否定するようで気が引けるらしいんだ」
国を離れるのは勇気のいる決断だ。
結婚のために異なる文化へと飛び込んできた妻シャーリーを想うあまり、ケビンは口にすることが出来ないのだろう。
その思いもわからなくもないのだが、それで体調を崩してしまえば、妻であるシャーリーも気にかけるはずだ。他人である恵真達からすれば、なんとも歯がゆいことである。
「んー、オレなんかはそれで体を壊しちゃ、却って奥さんに悪い気がするんすけどねー」
「そりゃそうだけどねぇ」
お互いに想いあったうえで起こっているうえでのことであり、なかなかに難しい問題でもある。
食事は育ってきた地域の文化を表すものでもある。
同じ国でも地域によって異なるのだ。国が違えば、さらに変化も大きいだろう。
なにより、まだ夫婦になったばかりの二人。そこに外部から口を挟むことは問題を大きくしかねない。
「……相手のことを考えてのことですし、難しいですね。どちらかが悪いわけでも、間違っているとも言えません」
妻はケビンの健康に良いと考え、にんにくを料理に使い、夫であるケビンは見知らぬ土地で懸命に頑張るシャーリーに、余計な心配をかけたくないと考えているのだ。どちらの行為にもお互いへの想いがある。
夫婦になるとは、異なる日々を過ごしてきた者同士が、共に家庭を築くこと――そのなかで、行き違いや考えの違いに気付いていくのだろう。
「時間が解決する問題なんすかね」
「変化って、いいことでも心の負担になるそうなんです」
「え! 良いことでもダメなの?」
恵真の言葉に驚きの声を上げたテオだが、アッシャーやバート達も同じような表情を浮かべる。
悪いことではなく、良いことも心の負担になると聞いて驚くのも無理はない。
しかし、環境の変化はすべてストレスになり得る。
昇進や結婚、引っ越しなど、前向きな行動であっても、時には心の負担となる場合があるのだ。
結婚、引っ越し、職場という変化が一度に起こったケビン達にも起こりうることだ。
「食事ににんにくが多いなんて小さな問題に聞こえたけど、これは結構難しい問題なのかもしれないねぇ」
新しい環境に馴染まねばと焦る気持ちもまた負担となるだろう。
夫のケビンも大変だが、他国より嫁いだシャーリーはどれほど不安であるのだろう。しかし、安易に夫婦のことに口を挟むのもまた、気が引ける。
バートとアメリアは静かにお茶を口にし、恵真もまた二人を気遣うように紅茶のお代わりを勧めるのだった。
*****
買い物から帰ってきたシャーリーはその片づけを終えるとふぅと深いため息を溢す。マルティアに来て数か月、ようやくそこでの暮らしにも慣れてきたところだが、最近急に疲れが出るようになったのだ。
夫であるケビンに言えば、心配をかけてしまうだろう。ただでさえ、ケビンはこの国での生活に不慣れなシャーリーを気にかけている。
しかし、ケビンもまた新たな土地で仕事に取り組んでいるのだ。
そんな彼に迷惑をかけまいと、ついついシャーリーは気丈に振舞ってしまっていた。
「……そうだわ。母さんへの手紙の返事を書かなきゃ」
そう言って座っていた椅子から立ち上がったシャーリーは、インクとペン、便箋を用意する。
先日、母から手紙が届いた。冒険者や商人は手紙や荷物を受け取り、それを他のギルドへと運ぶ仕事も請け負っている。各国へ足を運ぶ彼らだからこそ、出来る仕事なのだ。
母からの手紙には他国での暮らしで不安はないか、また夫であるケビンとは上手くやっているか、体調を崩してはいないかとシャーリーを気遣う文章で埋められていた。
「もう、母さんったら……心配しているのね」
シャーリーに不安がないわけではない。
夫ケビンのことでも気がかりなことがあるのだ。
ケビンはシャーリーが作る食事を残すことはない。しかし、食後の彼の表情は優れないのだ。
味が合わないのではないか? あるいは体調が悪いのではないか? そんな疑問を口にすれば、ケビンはそれを否定する。
それでも、シャーリーには違和感が消えないのだ。
返事を書くために、母からの手紙を読み返すシャーリーの瞳からはぽたぽたと涙が零れ落ちていく。
街の人々は親切で、夫も優しい。習慣の違いに戸惑うこともあるが、今の生活は幸せな日々だ――母への手紙にはそう書くつもりだ。
そこに嘘はない。それなのに、シャーリーの涙はどんどんと溢れてくる。
馴染めない自分に情けなさと孤独感だけが募っていってしまうのだ。
母には決して言えない。ただ心配をかけてしまうだけであれば、伝えないほうがよいだろう。
どんよりと重い冬の雲のように、シャーリーの心には不安が覆いつくしているのだった。
*****
「食文化の違いね……。確かに難しい問題よねぇ、それって」
祖母の意見に耳を傾ける恵真も目を伏せ、温かいほうじ茶をこくりと飲む。
バート達から聞いた話を祖母の瑠璃子に相談したのだが、彼女もまた考え込む。
夫婦の問題であり、新しく家族になったケビンとシャーリー自身で切り拓いていく必要がある。外から余計な口を挟んで、却ってこじれてしまうのでは逆効果なのだ。
頬に手を置き、小首を傾げていた瑠璃子が口を開く。
「こっちの世界でもそうよね。お味噌汁の味だって、お雑煮の味や具だって地域で全然違うものでしょう? そういう自分が育ってきた環境の違いは必ずあるもの」
「そうだよね……。そういう違いが面白かったりするんだけど、毎日の食事だと合わないと困るかもしれないね」
文化、価値観、育った環境、すべてが異なる二人が家族となるのが結婚だ。
そのなかで、お互いに折り合いをつけ、二人の暮らし方を決めていく必要があるのだろう。
しかし、ケビンとシャーリーはお互いを気遣いあうことで却って疲れをためているようにも見える。
「大丈夫よ。お互い惹かれ合って、一緒に生きていく決心をしたんだもの、尊重して譲り合って、助け合う――それが一緒に生きることよ。家族ってそういうものだと私は思うわ」
「……そうだよね。そうだと思うんだけどね」
瑠璃子の言葉が間違っていると恵真は思わない。
何より、恵真達は部外者である。余計なことをすべきではないとわかっている。
だが、お互いを想いあうがゆえにそれぞれが悩んでいるような、ケビンとシャーリーの状況はなんとも歯がゆいのだ。
なにより、シャーリーはケビンの他に頼る者がいないはずだ。
恵真がマルティアの街で喫茶エニシを開くと決意したとき、アッシャーやテオ、そしてリアムやバートがいた。
相談し、手を差し伸べてくれる人々が近くにいてくれたから、今があるのだ。
では、恵真にできることはなんであろう。
「……やっぱり、料理しかないのかな」
「んみゃ?」
「うん、生活だってお互いに納得できる折り合いをつけるんだもん。それなら料理だって同じだよね」
食文化の違いが負担になっているのだ。
それであれば、お互いの食文化が融合したものを作ってはどうだろう――そう恵真は考えたのだ。
瑠璃子は突然の決断に目を丸くするが、恵真はもう料理をどうするか考え込んでいる。料理となると途端に積極性を見せる恵真に肩を竦める瑠璃子は静かにほうじ茶を口に運ぶのだった。
年末の過ごし方、お雑煮も地域によって異なりますね。
コンビニのおでんのお出汁も地方で変えているといいます。
そういう地域での違いも個性ですね。




