SS 黒と白の戦い
黒と白の激しい戦いが今、喫茶エニシで起ころうとしています。
皆さんはどちら派ですか?
秋も深まり、風も頬を刺すような冷たさになった。
喫茶エニシはそんな寒さとは無縁の暖かさだ。
「やっぱり、煮込み料理は体が温まっていいですね!」
「そう言って貰えると嬉しいな。寒くなってきたから、定番になってるの」
食事を終えたリリアがにっこりと笑うと、恵真も嬉しそうに微笑む。
喫茶エニシでは開店当初から煮込み料理が定番である。
すぐに盛りつけて提供できることでアッシャーとテオ、恵真だけでも対応しやすいためだ。
また、訪れる客のほとんどが仕事中の食事として喫茶エニシを利用している。
食事を済ませ、すぐに仕事へと戻らねばならぬ彼らにとっても、煮込み料理は最適なのだ。
「定番って言っても毎回、来るたびに料理は違うっすよね?」
「そうだね。あたしがこのあいだ、来たときはポトフだったけど、今日はチリコンカンじゃないか」
バートが問いかけると同意するようにアメリアが頷く。
二人の言う通り、恵真は日替わりで煮込み料理を変えている。
定番といえども、同じものを提供しているわけではないのだ。
「そ、それは大変ではありませんか? エマ様のご負担が大きいと思います!」
「そうっすよねぇ。あ! じゃあ、喫茶エニシの定番煮込み料理を決めちゃえば、トーノ様の負担が減るんじゃないっすか?」
「おや、バート。あんたもたまには良いことをいうじゃないか」
リリアの言葉にバートがそんな提案をしたとき、喫茶エニシのドアが開き、リアムとセドリック、そしてオリヴィエが訪れる。
一気に賑やかになった店内に、アッシャーとテオは急いで水を用意し始めた。
「どうしたんだ? 皆で楽しそうに話して……」
「あぁ、セドリックさんもリアムさんも参加してもらってもいいっすか? 重要な議題があるんすよ!」
突然の申し出にお互いの顔を見合わせるセドリックとリアム、オリヴィエはというと窓際のソファーへと腰を下ろし、満足げな様子だ。
「喫茶エニシの定番の煮込み料理を決めるんだって!」
水の入ったグラスを持ってきたアッシャーに案内され、リアムとセドリックは席へと座る。
「おぉ! それなら俺も一家言あるぞ! なにせ、この店の料理は旨いからなぁ」
「人数も結構多いし、店にとってもある程度の参考になりそうだねぇ」
アメリアの言う通り、定番を決めるのなら常連客が多い今が適切だろう。
こうして、喫茶エニシの定番煮込み料理を決めるという重要な話し合いが行われることとなったのだ。
「とはいっても、なんだかんだ多数決でバシッと決まっちまいそうっすよね」
「まぁ、皆きっとあれが一番好きですもんね!」
「リリアもかい? あたしもあれだと思うんだよねぇ」
盛り上がる客達の会話を聞きながら、アッシャーとテオは休憩中だ。
恵真はというと、それぞれがどの煮込み料理が好きなのか聞けるチャンスはなかなかないと、目を輝かせている。
今訪れているのは日々、喫茶エニシに訪れている常連中の常連だ。
毎回、残さず食べてくれる彼らの正直な意見を聞けるのだ。
「よしっ! じゃあ、皆で一斉に言うっすよ? 喫茶エニシ定番の煮込み料理は――」
バートの言葉に恵真は緊張の面持ちで皆の答えを待つ。
「ビーフシチュー!」
「クリームシチュー!」
意見は二つに分かれた。バートとセドリックはビーフシチュー、そしてアメリアとリリアはクリームシチューを挙げたのだ。
4人は数秒固まったが、セドリックが大きな声で持論を展開し始める。
「いやいやいや! ごろっとした肉、コクのある風味、ビーフシチューしかないでしょう⁉」
実際は喫茶エニシのビーフシチューはその時々で肉が変わる。
牛だけではなく、豚などその時々にある肉を使って作っているのだ。
恵真は便宜上、それらをビーフシチューとして紹介していた。
セドリックの熱弁に異議を唱えたのはアメリアだ。
「いやいやいや! 野菜もたっぷり、クリーミーで優しい味わい、クリームシチューしかないだろう!?」
アメリアの言葉に横にいるリリアが何度も頷いている。
ごろごろとした野菜の風味を生かしつつ、体も心も温まるクリームシチューを女性陣は支持しているようだ。
しかし、バートもセドリックも納得した様子はない。
ビーフシチュー対クリームシチュー、喫茶エニシの定番煮込み料理を決める話し合いは、思いもかけない対立を生みだした。
予想外の出来事に恵真もアッシャーも目を丸くする。
「ビーフシチューはパンにも米にも合うだろう?」
「クリームシチューだってそうじゃないか?」
「いやいや、クリームシチューに米はないっす!」
「いえ、クリームシチューには絶対お米なんです!」
クリームシチューをごはんにかける人とそうでない人など、恵真の世界でも意見が分かれるのだが、どうやらマルティアでも同じらしい。
興味深いと聞き入っている恵真に、くるりと振り向いたバートが話を振る。
「そうだ! トーノ様のご負担はどっちが大きいんすか?」
「へ? 私ですか? ……そうですね」
元はと言えば、恵真の負担を軽くするための議論であったのだ。
バートの問いかけに恵真は少し考えてから口を開く。
「うーん、煮込む時間が必要なのはビーフシチューですね」
「え!!」
バートとセドリックは驚愕して目を丸くする。
リリアとアメリアはそれ見たことかという表情になる。
「塊のお肉を使った場合は煮込む時間が必要になるんですよ。でも、お肉の種類にもよりますね」
「そ、そうっすよね⁉ 肉の種類にもよるっすよね?」
恵真の言葉に希望を抱くバートだが、そこにリリアが現実的な意見を口にする。
「おそらくですが、クリームシチューのほうが単価は低くなるのでは?」
「な、なんだって……⁉」
「エマ様のご負担がそのぶん、少なくなるはず……ここはやはりクリームシチューですよ!」
リリアの商売をする者からの視点にセドリックとバートはさらに不利な状況になる。アメリアとリリアは、既に勝者の表情を浮かべている。
そこに恵真がぽつりと呟く。
「あ、でもお肉はリアムさんが持ってきてくださったり、セドリックさんに依頼の代金として現物支給して頂いてるので、皆さんが心配することはないですよ」
「よし! 過去の俺、でかした!」
別にセドリックの功績でもなんでもないのだが、ビーフシチュー派の冒険者ギルド長は笑顔を見せる。
「ねぇ、さっきからうるさいんだけど?」
紅茶を飲みながら、ゆったりとソファーに腰かけるオリヴィエが不満そうにそう言う。
「お、お前、自分には関係ないと思って……!」
「そうっす! 携帯食と紅茶だけだから、そんな余裕を出してられんすよ!」
ビーフシチュー派の二人の勢いに、むっとした表情になったオリヴィエがぽつりと呟く。
「……ポタージュ」
「は?」
「だから、ポタージュは⁉」
オリヴィエの言葉に、皆の視線が彼へと集中する。それは驚きによるものだ。
携帯食ばかりを齧っていたオリヴィエだが、喫茶エニシに訪れるようになって徐々にその姿勢も変わってきた。
最近では恵真が作ったポタージュスープを口にするようになったのだ。
食事をすることを手間だと考えていたオリヴィエを思えば、大きな変化である。
「オ、オリヴィエ君……!」
「オリヴィエが食事に意欲的な発言をするなんて……! オリヴィエ、お前成長したなぁ!」
「ちょ、ちょっと! 折れる! セドリックの馬鹿力で繊細なボクの体が折れるだろ!」
恵真は感激し、それ以上に感銘を受けたセドリックが強引にオリヴィエを抱き寄せる。必死で抗議するオリヴィエだが、セドリックには届かないようだ。
しかし、話し合いはオリヴィエの意見でさらに選択が増えてしまったことになる。
そこにこれまで沈黙を守っていたリアムが口を開く。
「皆、一番大事なことを忘れていないか? 作るのはトーノ様なんだ。ご負担の少ない形を、ご本人に決めて頂くほうがいいんじゃないか」
リアムの言葉に皆がはっとしたように恵真を見つめる。
恵真はというと、急に集まった視線に戸惑った様子だ。
「そうっすよね……。トーノ様のご意見、聞かせて頂いてもいいっすか?」
「えっと、そうですね……」
恵真が話し出すのをセドリックとバート、そしてリリアとアメリアが真剣な表情で見つめる。ビーフシチュー派とクリームシチュー派の議論に今、店主である恵真が答えを出そうとしているのだ。
「私はお客様が喜んでくれるのが一番だと思うんです。だから、このまま日替わりの煮込み料理がいいかなって……。今日はなにかな? そうやって想像する楽しさもあるんじゃないでしょうか」
恵真の言葉にリリアやアメリアがじっと耳を傾ける。
彼女達も食事を提供する仕事をしているのだ。思い当たる点があるのだろう。
恵真自身、学生時代に親が作ってくれた弁当を開けるとき、大人になっても外食をする際にその日で変わる食事が楽しみの一つであった。
喫茶エニシに訪れる人も同じなのではないかと恵真は考えているのだ。
「そうっすね……。トーノ様の言う通り、ここに来るまでの時間に今日は何が出るのかなって楽しみにしてたっす……」
「ドアを開けたときに漂う香りも、その日その日で違うからなぁ。定番も確かに安心感があるが……日替わりは楽しみの一つでもあるな」
バートとセドリックも喫茶エニシを訪れる際の自分の気持ちを思い出し、そう口にする。オリヴィエはやれやれといった表情で紅茶を口にし、リアムは恵真の言葉に軽く笑みを浮かべた。
そんなやり取りを見ていたアッシャーは、隣で弟のテオがなにか考え込んでいることに気付く。
食事を終えたテオだが、先程から会話に入ることなく真剣な表情なのだ。
「どうした? テオ」
「んー、ぼくはしみしみのパンが合うのがいいと思うんだけど、きっとビーフシチューもクリームシチューもポタージュも全部美味しいと思うんだよね」
「大丈夫だよ、テオ君。これからも全部作るからね」
恵真の言葉にテオの表情がぱっと明るくなる。
「よかった! ぼく、全部好きだから選べなかったもん」
「そうだよな! 全部、美味しいもんな」
「んみゃう!」
テオとアッシャーの言葉に、答えたのは恵真ではなくクロだ。
いつの間にかオリヴィエの隣に座るクロは、誇らしげに胸を張る。
兄弟の素直な言葉に皆、笑みを浮かべる。喫茶エニシに訪れる彼らも恵真が作る食事を楽しみにしているのは同じこと、ただ少しでも恵真の負担が軽くなればとの思いであったのだ。
季節は日々、厳しい冬の色が濃くなっていく。
今日もまた、喫茶エニシには穏やかな時間が流れていた。
ビーフシチューVSクリームシチュー、時々ポタージュでした。
皆さん、それぞれにお好みが分かれますよね。
ごはんに合うかどうかとか……。
どれにしようかと迷うのもまた食事の楽しみの一つ。
忙しい日々ですが、食事を大切にしたいですね。




