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《1/15 小説3巻・コミカライズ1巻発売!》裏庭のドア、異世界に繋がる ~異世界で趣味だった料理を仕事にしてみます~  作者: 芽生


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SS 輪っかのドーナツ、丸のドーナツ

今回はSSです。

昔懐かしいお菓子や料理、それにも思い出があったりしますね。

今回は瑠璃子さんの思い出です。


 朝晩と冷え込むことが増え始め、季節は徐々に冬へと近付いている。

 晩秋というこの時期を表す言葉が瑠璃子の頭に浮かぶが、その響きの寂しさとホリデーシーズンで賑わう街はどこかちぐはぐな印象だ。

 孫の恵真は今、買い物へと出かけている。まだ時間は遅くはないのだが、夕暮れも随分と早くなった。


「この時期は暗くなるのも早いわね。恵真ちゃん、そろそろ帰って来るかしら」

「んみゃう」


 相槌を打ってくれるクロはすんすんと匂いを嗅ぐ仕草を見せる。

 今、瑠璃子はドーナツを揚げている最中なのだ。

 ぽとりと油の中に生地を落とせば、しばらくするとふわりと浮かび上がる。素朴で優しい味わいのこのドーナツは、瑠璃子にとって母との思い出の味である。

 お手伝いの女性達がいるような家であったため、必ずしも母が台所に立つとは限らない。直接、包丁を握るのではなく、家事の采配を振るう立場であったためだ。

 そんな母が必ず台所に立つ時がある。

 それが年末年始と正月の準備、そして兄と瑠璃子のための菓子作りであった。


「こうしてると思い出すわね……」

「……みゃ?」

「あぁ、母のことよ。初めて母がドーナツを作ってくれたのはね、私がお友達のおうちで絵本を見たからなのよね」


 絵本で読んだドーナツ、くまのドーナツ屋の話であったのだが、それが幼い瑠璃子の心をなぜか捉えた。帰宅してもその話ばかりをしていた瑠璃子を見て、母はドーナツを拵えてくれたのだ。

 わくわくしながら台所に立つ母の背中を見ていたあの日を、瑠璃子は今でも覚えている。そして、母を傷付けてしまったこともだ。


「良い香りがしてね、凄くわくわくして待ってたのよ。でも、母が作ってくれたドーナツは私が思ってたものと違ったわ」

「みゃう?」


 きつね色に揚がったドーナツを菜箸で取り上げて、金網の上に乗せていく。そんな瑠璃子の表情は、どこか寂し気なものだ。

 あの日、母が作ったドーナツを皿に乗せ、テーブルにと持ってきた。

 そのとき、瑠璃子は言ってしまったのだ。

 これはドーナツじゃないと。


「私が見た絵本の中のドーナツは輪っかの形をしていたの。でも、母が揚げてくれたのはまん丸のドーナツ。絵本と違うと駄々をこねてしまったのよ」


 泣き出してしまった瑠璃子に母も戸惑ったことだろう。

 忙しい中、母が作ってくれた菓子であったのに――大人になった今であれば、母がどのような想いで台所に立ったのか、その愛情が痛い程わかる。

 あの時代、今よりも窮屈であったことだろう。

 今の瑠璃子より、遥かに若い母は懸命に日々を送っていたはずだ。

 いつのまにか、瑠璃子も母のように料理をするようになった。

 あの頃はそれが当然であった。男性は男性らしく、女性は女性らしく振舞うことが良しとされていたのだ。

 今、この時代に生まれていれば、自分は台所に立っていただろうかと瑠璃子はふと思う。


「――ただいま!」

「みゃうにゃ!」


 瑠璃子の言葉にクロが玄関へと続くドアを見て、ひと鳴きする。

 どうやら恵真が帰ってきたらしい。キィとドアが開くと両手にエコバッグを持った恵真が顔を覗かせる。

 マフラーをした恵真はキッチンの瑠璃子を見るとぱあっと表情を明るくする。


「うわぁ! おばあちゃんのドーナツ、久しぶりだね」

「食べるのは手を洗ってからよ」


 香りでわかったのだろう恵真の嬉しそうな笑顔が、困ったような笑みに変わる。


「もう、子どもじゃないんだから」


 そう言うとくすくす笑いながら、買ってきた荷物を手際良く冷蔵庫へとしまっていく。恵真の言う通りであるのだが、つい昔のくせで瑠璃子の口からはそんな言葉が出てきてしまったのだ。

 ドーナツも揚げ終わり、油以外のものを片付け始める瑠璃子に恵真が声をかける。


「おばあちゃんやお母さんが料理をする姿、小さい頃はわくわくしながら見てたなー」

「わくわく?」


 恵真の言葉に瑠璃子は再び振り返る。

 

「うん。何ができるんだろう、どうやって作るんだろうって不思議だったもん」


 それは幼い瑠璃子が母を見ていた気持ちと同じものだ。

 瑠璃子にとってもまた、母が作ってくれる時間は特別なものであった。

 後ろから、ある日は横に立って母の優しい表情を見つめながら、今日学校であったことを話す時間は唯一母を独り占めできるものだったのだろう。

 母が作ってくれる菓子を食べる時間と同じくらい、作ってくれる時間も好きだったのだ。


「おばあちゃんのドーナツって丸いでしょ? 輪っかじゃないから、お店にはない特別なドーナツだって思ってたなぁ」


 お店にある輪っかのドーナツに瑠璃子が憧れたのとは逆に、輪っかのドーナツが定番となった恵真には丸いドーナツが特別に思えたようだ。

 あの日、泣き出した瑠璃子に母は叱るでもなく、今度は一緒に作ろうと言ってくれた。スプーンを生地でまとめるのは瑠璃子の仕事、それを母がぽとりと油に落として揚げるのが、遠野家のドーナツの定番となった。

 瑠璃子の友人が来たときに母が振舞うと、皆が褒め、誇らしい気もちになったものだ。


「――あぁ、そうだったんだわ」


 小さく呟いて瑠璃子は口元を緩める。

 そんな母への憧れから、瑠璃子もキッチンに立つようになったのだ。

 きっと、あのときの瑠璃子が今この時代に生まれ、過ごしていても、母の姿に惹かれ、キッチンに立っていたことだろう。


 時代の差がなかったとは言えない。

 男性らしく、女性らしくと今よりも窮屈な時代であったのも事実だ。

 しかし、それ以上に瑠璃子自身が母のようになりたいと願っていたのだ。

 使用人の采配、親戚付き合いに子育てと多忙であった母だが、いつも瑠璃子と兄を気遣ってくれていた。

 それを実感させてくれるのがこのドーナツなのだ。

 そしてまた、瑠璃子も息子に、孫である恵真達にと菓子や料理を作っている。


「あ! おばあちゃんのドーナツ、明日アッシャー君とテオ君にもあげよう!」

「でも……喜んでくれるかしら?」

「大丈夫だよ。明日の休憩時間に食べようっと」


 いつのまにか、瑠璃子の洗った食器を恵真がふきんで拭いて、片付けだしている。

 金網で油を切っているドーナツは、母が作ったものと同じ丸い形だ。

 料理を通し、思い出が積み重なっていく。

 母のドーナツは瑠璃子のドーナツとなった。

 丸いドーナツは瑠璃子にとって、そして恵真にとっても懐かしい菓子となっている。

 もう会えない母であるが、その味は残り、食べた人に届く。

 一番小さなドーナツに瑠璃子は手を伸ばし、口に運ぶ。

 サクッとした表面を齧れば、広がるのは素朴な優しい味わいだ。

 幸福な味わいにじんわりと目を潤ませる瑠璃子であった。



料理は味や香り、その時の気持ちをふと思い起こさせることがあります。

寒くなってきましたし、慌ただしい時期になるかと。

皆さん、どうぞ美味しいご飯で英気を養ってくださいね。

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― 新着の感想 ―
うちの祖母ちゃんが作ってくれたドーナツも丸かったなぁ
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