220話 秋の味覚、森への再訪 5
今回、ちょっと長めです。
お楽しみ頂けたら嬉しいです。
「うわぁ、おいしそうだねぇ!」
テーブルに置かれたカゴの中にはふっくらとしたパンが並ぶ。
あのハチミツを使って、恵真が焼き上げたパンである。
自家製の酵母を使ったパンは、見た目からもその柔らかさが伝わってくるようだ。
今日は先日、セドリックとリアム、そして第一の森に共に行ったバートとオリヴィエも訪れている。
依頼品がきちんと仕上がったか確認する意味で訪れただろうリアム達。ハチミツグマの与えたハチミツの効果が気になるオリヴィエ、食事を楽しみに来たバートと理由は様々だ。
「ぜひ、試食して意見を聞かせてください。あ、そのときにはこの二つも使ってみてほしいんです!」
「それは……このあいだのきのこっすね!」
恵真が差し出したのは二つの瓶。その中にはオイルと共にきのこが漬けられている。もう片方の方はバジルをつかった物らしく、深い緑色をしている。
「はい。こちらのパンと合わせられるように、きのこのオイル漬けとバジルソースを作ったんです。きのこもバジルも他の食事にも合わせられるので、味変に使えるんじゃないかなって」
主食である柔らかいパンは、他の食事に添えることも出来る上、味の邪魔をすることもない。きのこのオイル漬けとバジルソースは通常の食事に加えることも、パンに塗って楽しむことも出来るのだ。
「あじへん……ですか?」
聞き慣れない言葉にリアムが尋ねると、バートがハッとしたように目を輝かせる。
「あ! ソースとかそういうので、飽きが来ないようにする感じっすか?」
「そうです、そうです! 体調にも波があるかと思うし、食事に変化をというご依頼だったので」
恵真の言葉に納得したようにセドリックとリアムが頷く。
変化のない日々の中では、食事もまた大きな刺激になる。おそらくは体を労わるための食事が用意されているだろうが、新しい変化も必要なのだ。
「うわっ! このパン、ふっかふかっすねぇ! ほのかに甘味があるのはハチミツなんすかね? ソース、つけて食べてみてもいいっすか?」
「はい! ぜひぜひ! アッシャー君とテオ君も」
恵真に勧められたアッシャーとテオもパンへと手を伸ばす。
白くふっくらとしたパンをちぎって、 口に運べば、小麦の良い香りとハチミツの甘さが広がる。柔らかく水分の多いそのパンは、飲み込みやすく食べやすい。
「わぁ! いつものパンもいいけど、これもすっごく美味しいねぇ」
「うん。柔らかくって香りがいいし、ちょっと甘くって食べやすいな!」
「ね。しみしみのパンにしちゃったら、溶けちゃいそう!」
「でも、具合の悪い人なら食べやすいんじゃないか?」
もぐもぐと口を動かしながらもアッシャーとテオが感想を言い合う。
その近くでバートは瓶のソースを皿に移し、パンにつける。
「こっちも旨いっすねぇ! きのこの味がしっかり出てて、じゅわっと染み出る感じがいいっす」
「パンだけではなく、肉や魚のソテー、スープにも加えられそうだな……なるほど、これが味変ですか……」
「はい! ハチミツ自体もそのまま、お渡ししようと考えているんです。ハチミツ、きのこのオイル漬け、バジルソース。いつもの食事に少し変化が出るんじゃないかなって思いまして……」
恵真の言葉にパンをソースにつけて食べていたアッシャーとテオも力強く頷く。
「同じパンなのに違う味になる!」
「バジルときのこを合わせても美味しいよな」
わいわいと皆が賑やかに食べたり、感想を言い合う中、オリヴィエはじっと恵真が作ったパンやソースを見つめる。
山の恵みを使ったパンとソースだが、このどちらもハチミツグマときのこの精霊から渡されたものなのだ。おまけに、オリヴィエはきのこの精霊が『次代の王に』という言葉を残したのを聞いているのだ。
眉間に皺を寄せ、考えるオリヴィエの隣にはいつの間にかリアムがいる。
恵真の作ったきのこのオイル漬けの瓶を手に取ると、何か考えている様子だ。
「――ねぇ、リアム。ハチミツグマは何か言い残さなかった?」
「……きのこの精霊は何か言い残したんだな?」
「ってことはそっちも言い残したんだね? ……内容が同じだとしてさ、どうする?」
リアムは瓶から視線を移す。パンにソースを漬けて楽しむ皆と、それを見て相好を崩す恵真。ハチミツグマの言葉を彼らに告げれば、その責任も背負うことになるだろう。ならば、告げずにいたほうが良いように思えるのだ。
しかし、依頼主やセドリックには告げるべきであろうか――そう考えるリアムの足元にいつの間にかクロが座っている。
「んみゃうにゃ」
「……そうおっしゃるのでしたら」
「みゃう!」
まるで、大丈夫だというかのように鳴くクロは魔獣である。第一の森へと向かったのは、宝珠の煌めきだけではなく、クロからのアプローチがあったからだ。
あの日、森に行けと言わんばかりの仕草を採ったクロは、こうなることを予測していたのだろうか。
テーブルの上にあるハチミツを使ったパンも、きのこのオイル漬けも通常では手に入らないものだ。バジルソースもここまで鮮度が良いものを使ったものは、そうそう入手できないだろう。
依頼主が渡したい相手、それが誰かを知ることは出来ないが、依頼された内容には十分過ぎるほど沿うものだ。
とにかく、恵真は十分に依頼者の希望に応える内容を用意できたと言えるだろう。
不思議な出来事を再び体験することになったリアムは、この依頼の結末がどうなるのだろうと期待も抱くのであった。
*****
依頼した品にシャーロットの父メルヴィンの真剣な眼差しが注がれる。
カゴに入っている三つの瓶はきのこのオイル漬けと薬草のソース、そして特別なハチミツだという。ハチミツを使った白いパンも添えられており、調理法も綴られた手紙を受け取っている。
単調になりがちな食事に変化をとの依頼に、十分に応えたものだ。
薬草のソースもこれほどまでに濃縮されたものはなかなか手に入るものではない。パンと三つの瓶詰めの組み合わせは、日々の食事に合わせることが出来る。
「病弱なあの御方の日々に彩りが添えられると良いのですが……」
「薬草か……。治療師なども診ていらっしゃるだろう。おそらく、質の良いものが使われているだろう。あまり期待してはならないぞ」
シャーロットは父の心配に口元を緩める。
父も母も、シャーロットがなぜ体調を崩すのか、初めは理由がわからず、悩んだと聞く。卵が理由なのだと気付いてからも、シャーロットの摂る食事に対し、神経を使ったのだ。
過度な期待をすれば、失望もまた大きくなる。そのことを身を以て知っているメルヴィンは、シャーロットががっかりさせないようにと気遣っているのだろう。
「薬草は既に召し上がっているでしょう。効果は定かではありませんが、普段と異なる味わいは食の楽しみを広げるものです。閉じこもりがちな日々を送るあの方に、せめて少し新たな楽しみをと考えております」
娘の言葉にメルヴィンは複雑な表情を浮かべる。
シャーロットが外では、何も口に出来なかった日々を思い起こしたのだ。彼女もまた、長く人と関わらない暮らしを送ってきた。
今回、シャーロットが依頼をしたのには、かの方の事情と自分を重ねた理由もあるのだろう。そう気付いたのだ。
「生まれ持った体質はどうしようもないのだ。いつの頃からか、そんな思いが私にはありました。でも、だからといってそれ以外のことまで諦める必要はないのですよね。……小さな楽しみかもしれませんが、支えたいと思う私達がいることをお伝えしたいのです」
シャーロットの想いがどこまで伝わるかはわからない。
しかし、娘が食事会を通して変わったように、かの方にもそんな変化が起きてほしい。そう、メルヴィンも思うのだ。
それは立場ではなく、一人の親としての願いに近いものだろう。
「――実際の重さ以上に重大な使命を背負った依頼品だな」
入れられた瓶の重さ以上に、ずしりと重く感じるカゴを手に取って、メルヴィンは娘に笑いかけるのだった。
*****
「……今日はいつもと違うパンなんだね」
運ばれてきたパンは白く丸い形をしている。
いつもとは異なるパンに関心を示した少年に、周囲の使用人たちは内心の喜びを隠し、表情には出さない。
今日の食事はいつもと少し違う。ローレンス公爵とグラント侯爵が、令息のためにと贈ったものなのだ。既に毒見済みであるそれは、柔らかなパンときのこのオイル漬け、そして薬草を使ったソースだという。
病弱さゆえ、長年人前に出ることのなかった侯爵令嬢シャーロットからだというその食事に、期待をしてしまうのは当然だ。
目の前の少年もまた、生まれ持った病弱さで苦しんでいることに周囲の者は心を痛めているのだから。
「えぇ、少し趣向を変えてみました。お口に合うとよろしいのですが」
「そうだね。食べやすそうだ」
普段の食事には栄養を摂るために肉が出たり、薬草を多く使った苦みとえぐみの強い料理も多いのだ。それらは少年を困らせることが多いのだが、自らを案じて作られたそれに不満を溢すことは出来ない。
彼は幼いながらに自分の置かれた立場を重々承知している。
権力を行使するものは、その影響を把握する必要がある。
まだ少年と呼べる彼だが、ひとたび命じれば、誰かの生活を一変させるほどの力を持っているのだ。
ほっそりとした手で、少年はパンを一口大にちぎると口に運ぶ。
「……美味しい」
思わず漏れたその言葉に、使用人たちが小さく息を呑む。
いつも悲し気に目を伏せていることの多い少年が、かすかに口元を緩めている。その姿だけで周囲に仕えている者たちにとっては大きな喜びなのだ。
少年としても、口にした料理に驚きを隠せない。
薬草を使ったというソースだが、いつも口にするものとは違い、えぐみや苦みがないのだ。
香りよく、食欲が増すソースが薬草を使っているとは信じられない。余程、貴重なものを使用しているのだろうかと思う少年だが、今、彼が置かれた立場も最上のものを用いているはずだ。
「このきのこのオイル漬けも、ハチミツを使ったというパンも食べやすいよ」
「それはようございました……! まだございますので、次回以降の食事にも組み合わせるよう、厨房に伝えておきます」
次の食事もこのような料理が食べられるのか――少年は内心で安堵する。
彼の体調を慮った食事は薬草が使われ、決して味は良くはないのだ。そのうえ、皆が体調が改善するのではと食事の度に期待する。
案じてくれることがわかりつつも、いつの間にかそれは負担へと変わっていった。
少し良くなって、皆を喜ばせても、そのあとに反動で寝込んでしまう。周囲の期待を裏切る自分自身に嫌気がさし、いつのまにか諦めるクセがついてしまっていたのだ。それなのに、食事を美味しいといっただけで、使用人達には柔らかな表情が浮かぶ。
「このハチミツやきのこは、どこで採れたものなんだろう」
「マルティアで採れたものだと伺っております。冒険者の街と呼ばれて久しいのですが、最近では食の街とも呼ばれておりますね」
「……マルティアか」
書籍で読んだことがある地名だが、訪れたことはない。
自国でありながら、少年は限られた世界しか知らないのだ。
少年にとって、外の世界は全て本の中から得たか、他人から聞いた知識だ。
「どんな世界なんだろうな……」
そう言って少年は窓の外の空を見る。
自室の中では見えない世界が、外の世界には広がっているのだ。
弟を陰から支えることになるだろう。それでも、十分幸福なことなのだ。
だが、一方でもっと学びたい。その目で様々な文化を目の当たりにしたいという自分の願いに少年は気付く。
そんな思いは少年に意欲を与える。再び、パンを口に運ぶ少年の姿は長年、見ることが出来なかったものだ。
傍で仕えていた使用人たちは、その姿にこれからの未来への希望を抱くのだった。
スタンテールには希望がある。
まだ健在な王、そして有望な二人の王子がいるのだ。
特に第一王子は才格溢れる青年で、子どもの頃の病弱さが嘘のようである。
恵まれた環境に身を置く者は時に傲慢になり、学びを怠る。
しかし、病弱であった第一王子は研鑽を積み、学ぶことを惜しまなかった。
次代への民の信頼は、安心感に繋がるのだろう。国の秩序も安定している。
第一王子の机には空の瓶が三つある。
なぜ、空瓶などを飾っているのか。それを知る者は少ない。
揺らぎそうになった時、慢心してしまいそうなとき、第一王子はそれを見て、自身を省みるのだ。
そんな瓶にはある特別なものが入っていたのだが、それを作った人物が誰なのか、王子自身さえも知らない。
スタンテールの次代を変えたその人物に、時折、王子は想いを馳せる。
11月ですね。
寒くなってきますので、ご自愛ください。




