219話 秋の味覚、森への再訪 4
秋も後半ですね。
いつも読んでくださり、ありがとうございます。
ハチミツグマの足元に寄り添うようにいた小さなコグマが、ひょこっと顔を覗かせる。てちてちよたよたと歩きながら、コグマはリアムの投げたハチミツの元に近付き、舐め始める。くりくりとした目を輝かせながら、とんとことんとこと体を揺らし始めた。
「……ハチミツグマは質の良いはちみつだと踊ると言うが……コグマでも同じなのだな」
以前、母クマが体を激しく揺らすのを見たリアムだが、どうやらコグマも同じことらしい。剣の柄を握ろうにも、コグマの揺れで地面まで揺れる。
リアムは急な事態にも対応できるようにと、なんとか体勢を維持する。
しかし、再会した理由はなんであろう。ハチミツグマに二度会うなど、人生でそうないことなのだ。
リアムがそう考えたとき、親グマがコグマに近寄り、慈しむように舐める。
『次代の王となる者の命が消えようとしている』
その言葉は音ではなく、直接リアムの心に話しかけるように響いた。
コグマを見ていた親グマの目はまっすぐにリアムを見つめる。
「次代の王……?」
突然の言葉に驚きつつも、リアムはその発言が目の前のハチミツグマからのものだと理解する。ハチミツグマが言語を理解するのかは、定かではない。だが、理屈ではなく、五感で感じとったのだ。
『次代の王を失えば、この国に厄災がもたらされるだろう。我らは人の世に干渉はせぬ。しかし、汝らが我らに災難をもたらすのであれば、それを防ぐ必要があるのだ』
ハチミツグマの視線はリアムから、コグマへと移る。ハチミツの味が気に入ったのだろう。まだ嬉しそうに体を揺らすコグマに親グマが頭をこすりつけた。
おそらく、リアム達を呼んだのはこのハチミツグマなのだろう。
しかし、次代の王の命が消えようとしているとはなんとも不吉な予言だ。
思い当たる人物が一人浮かんだリアムだが、その可能性を内心で否定する。
コグマの側に落ちていた瓶をちろりと舐めた親グマもドスンドスンと体を揺らし、バランスを失ったリアムは地面に手をつける。
『次代の王に――』
『じだいのおうに!』
恵真から預かっていた宝珠の煌めきが強い光を放ち、リアムは目を閉じる。それはわずか数秒のこと、しかし、目の前にいたハチミツグマの親子は消え去り、後にはリアムだけが残される。
立ち上がったリアムは、辺りを見回すが、特におかしなことはない。いや、むしろ今まで聞こえていなかった鳥の声や、風で揺れる木々の音など、いつも通りに戻っているのだ。
「やはり、彼らが呼んでいたのか? しかし、次代の王の命とは……」
宝珠の煌めきはもう光を放つことはない。森の様子も含め、いつもと変わらないことからも、ハチミツグマが目的をもって呼び出したのだろう。
そのとき、リアムはハチミツグマのいた場所に置かれていた小瓶が光ったのに気付く。コグマが空にしたと思っていた瓶だが、蓋がされ、中にもハチミツが入っているのだ。
「次代の王に――これをということか? 人の世の王、まさか……」
ハチミツの瓶を手にしたリアムの中で、ハチミツグマの言葉と今回の恵真への依頼がぴたりと重なる。侯爵家からの依頼であること、外出が困難なのは体調だけではなく、立場がもたらすものだとしたら――リアムの中にある人物の名が浮かぶ。
そしてそれはハチミツグマの指摘通り、次代の王になる少年の名であるのだ。
「次代の王に作る料理になるのなら、口外できないだろうな」
手の平の中に納まる瓶の中にきらめきを放つハチミツ、これがスタンテールの今後を変える可能性があるのだ。
依頼主が相手の名を伏せたのも、万が一の際に恵真達を守るつもりなのだろう。
遠くからリアムを呼ぶ声が聞こえる。バートとセドリックだろう。
リアムは小瓶を軽く握り、この大きな秘密を口外しないと誓うのだった。
「で、君はなんなのさ?」
ぽとりぽとりときのこを落とす子どもに、オリヴィエはため息を溢す。
彼の周囲は子どもが運んできたきのこでいっぱいだ。オリヴィエの問いに、半透明の子どもは小首を傾げる。
「あ、もしかしてアッシャーとテオ?」
「……………」
こくりと首を縦に振ると半透明の子どもは、片方のきのこを指差す。散らばっているきのこだが、どうやら子どもの中では規則性があるらしい。
「えーっと、こっちがアッシャーとテオにね。じゃ、こっちは?」
アッシャーとテオ用のきのこはタグ茸やグーテ茸など、オリヴィエも見知ったものだ。だが、もう片方側に散らばるきのこは、オリヴィエも見たことがない。
長く生きるオリヴィエは森で生活することも多い。様々な書籍を読み漁るオリヴィエでも見たことのないきのこは興味深い。
「……きのこの精霊っていうのは本当?」
「……………」
問われた子どもは左に右に頭を揺らす。
どうやら、自分が精霊であるという認識はないらしい。
先程から、ぽとりぽとりと子どもが落とし、増えていくきのこだが、一体どうしたらよいのかとオリヴィエも困惑してしまう。
「えっと、こっちがアッシャーとテオにね。で、こっちは誰にあげればいいのさ?」
下を向き、きのこを拾い始めたオリヴィエに鈴を転がすような声が聞こえる。
『次代の王に』
「は? 誰、それ?」
突然の言葉に顔を上げるが、そこにはもう誰もいない。
オリヴィエと辺りに散らばるきのこが残されるだけである。
風が吹き、木々をざわざわと揺らす。
「え……。ちょっと、急に一人にしないでよ」
今まで一緒にいた子どもが消えたことで、オリヴィエは急に一人になったことを強く実感する。そう言えば、迷子になっていたのだとオリヴィエは思い出した。
魔法こそ使えるものの、一人である事実は変わらない。急に心細くなり始めたオリヴィエの耳に、聞き慣れた声が届く。
「……元王宮魔術士のオリヴィエさーん……」
「オリヴィエ! どこにいるんだー」
「迷子になってるオリヴィエさーん、どこっすかー!」
バートとセドリックだ。
「――ボクは王宮魔導師なんだけど‼」
大きな声でそう言うオリヴィエだったが、その表情は明るく笑みまでこぼれている。きのこの精霊がいてくれたことで、紛らわせていた寂しさを一人になった途端、実感したのだ。
バートの軽口も今はなぜか安心する。
大きな声で自分の居場所を知らせたオリヴィエは、こちらに近付いてくるバートとセドリックに、きのこの精霊と出会ったことを早く告げたいとそわそわし出すのだった。
*****
「いやぁ、迷子になるなんて可愛いとこもあるんすねぇ!」
「違うんだって! 気付いたら一人だったの! そしたら、きのこの精霊に会ったからきっとそのせいで……!」
喫茶エニシに戻った安心感なのか、オリヴィエはいつも通りの態度である。
バートとオリヴィエのいつもの言い合いを周囲は気にした様子もない。
それより注目を集めるのが、テーブルの上にこんもりと置かれたきのこの山と、淡く輝くハチミツである。
未だ淡く光るハチミツが特殊なものであることは一目見ただけでも明らかだ。
「オリヴィエはオリヴィエで、きのこの精霊に渡されたのだから特殊な物なのだろうなぁ……しかし、そもそもこれは安全なのか?」
セドリックの疑問は当然のものだ。ハチミツもきのこも渡してきたのは人ではない。第一の山に呼ばれた理由、それがこの二つに秘められているのだろう。
喫茶エニシに戻る前に、リアム達はハチミツグマときのこの精霊に告げられた情報を共有している。
どちらも「次代の王に」という言葉を残したのだ。
光輝いた宝珠の煌めきはハチミツグマが残したもの、第一の森にリアム達を呼んだ理由にこのハチミツを渡す目的があったのだろう。
魔獣であるクロも、手紙を差し、森に行くことを指示した。
今回の依頼の料理を振舞う相手、それが今まで以上に大きな存在であることをセドリックとリアムは察し始めている。
それゆえに、恵真達にはそのことを知らせてはいない。
相手の地位が大きすぎるため、知らないほうが良いと判断したのだ。
「んみゃうにゃ」
「クロ様? どうしたの?」
クロは再び、手紙を口に咥えるときのことハチミツが置かれたテーブルの上に座る。今回の依頼にこのきのことハチミツを使えと言っているのは明らかだ。
「本当に問題ないのでしょうか?」
「んみゃ!」
リアムが尋ねると、憤慨したようにクロが鳴く。
魔獣であるクロが保証するのだ。問題はないのだろう。
それでも依頼主が料理を提供する人物が、リアムの予測する相手であれば、大問題に発展しかねないのだ。リアムにも迷いが生まれる。
強気のクロと怖いくらい真剣な表情のリアムのにらみ合い、それをバートとオリヴィエの大声が邪魔をする。
「あぁ! このきのこ! めちゃめちゃ凄いやつじゃないっすか⁉ 奇跡のきのこっすよ! 本当にあるんすねぇ……! いや、噂だけだと思ってたっす! え? これも貰ったんすか? ……売るんす? 売るんすよね? これ!」
「いや、そんなことよりこのハチミツでしょ? 上級魔導書にも書いてあったけど、まさか本当にあるなんて……! いくら? これいくらでボクに売ってくれる⁉」
「……お前達、俺とリアムの話を聞いていなかったな?」
森から戻ってくる間、セドリックとリアムでどうするべきかと相談し合った。
しかし、その間、バートとオリヴィエは迷子だの、迷子ではないなどと軽口を叩き合っていたのだ。
どうやら、きのこにもハチミツにも気付いていなかったらしい。
呆れるリアムとセドリックだが、二人の言葉に恵真は目を輝かせる。
「じゃ、じゃあ、これは料理に使ってもいいんですよね⁉」
「え、えぇ……試食も必要ですが、二人も保証してくれるのなら問題ないでしょう」
突然の恵真の反応に圧され気味のセドリックがなんとか答える。
「うわー! 何がいいでしょうね。やっぱりご体調もありますし、毎日少しずつ食べられるものがいいでしょうか? あ、ある程度、日持ちするものがいいですよね、きっと!」
「みゃうにゃう!」
希少なハチミツもきのこも恵真にとっては食材の一つらしい。
恵真の言葉にバートもオリヴィエも肩を落とす様子に、アッシャーもテオもくすくすと笑う。
鍋には恵真が作ったミルクスープが弱火でコトコトと煮える。
蒸気で窓には結露がつく。それだけ、外との寒暖差があるのだ。
キッチンへと戻る恵真は、漂う香りに満足そうに微笑み、皿にスープをよそい始めるのだった。
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