216話 秋の味覚、山への再訪
いつも読んでくださり、ありがとうございます。
残暑の暑さも落ち着き、過ごしやすい日が続く。
やっと訪れた秋は、食に文化にと楽しめる季節なのだ。
だが、侯爵令嬢シャーロットの表情は優れない。
父メルヴィンに打ち明けられた情報は、それほど重い内容であったのだ。
「それほどまでにあの御方の容体は優れないのですか?」
「病を患っているわけではない。生来、病弱でいらっしゃるんだ。それを懸念する声が高まっていてな……」
人払いを済ませた部屋の空気は重く、二人には焦燥感がある。
ある御方、その体調によっては今後の貴族達にも、なにより民に大きな影響を与えるだろう。国の安定に影響を与える事態に繋がりかねないのだ。
なにより、その人物のことを思うと、立場を超えて胸が痛む。
そのとき、ふとシャーロットは他家のある話を思い出す。最近はシャーロットも社交の場に呼ばれることが増えた。
そんな中、ある話を耳にした。それはシャーロット自身にもどこか重なる話で、彼女の中に強く残っていたのだ。
「……お父様はローレンス公爵家のご令息のお話をご存じですか?」
「あぁ、食の細い令息を案じていたご当主だったが、最近はそういった傾向もなくなったと話していたな。あとは娘であるヴァイオレット嬢がよく弟の面倒をみているとおっしゃっていたよ」
嬉しそうに話す様子をメルヴィンも失礼ながら、微笑ましく思ったものだ。
しかし、それが今回の件とどのような関係があるのだろう。父メルヴィンに浮かんだ疑問に、シャーロットが答える。
「――最近、マルティアの薬師ギルドでは質の良い薬草が手に入ると評判だそうです。冒険者ギルドでは薬草を使った食品まであるというのです」
「薬草か。しかし、それだけであの御方の状況が変わるとは思えぬな……」
そもそも、病などではなくあの御方の生まれもっての体質だといわれている。
であれば、病に効く薬草でも効果があるものなのだろうか。いや、あの御方の立場であれば、既に最上級の薬草を服用しているだろう。
そんな考えを父の表情に感じ取ったシャーロットは軽く頷く。
父の考えも当然だ。だが、シャーロットは「マルティア」の薬師ギルドから、鮮度の良い薬草が広がっていることに特別な意味を感じている。
それは彼女自身、マルティアに特別な感情を抱いているからでもある。
他人との会食に恐れを抱いていたシャーロットの背中を、マルティアの料理人の料理が一歩踏み出せるように促してくれたのだ。
「最近のマルティアは冒険者の街だけではなく、食の街とも呼ばれるようです。どうでしょう。今回もまたマルティアの料理人に依頼を出しては」
「……あの御方のご身分を考えれば難しい」
予測通りの父の言葉、それは正論でもある。
当然、シャーロットも直接料理人が作った料理をかの御方に持っていくつもりはない。
「そうですね。ただ、外出も自由にならない日々の中、食事は大きな楽しみとなります。なにか目先を変えた料理は気力に繋がるのではないでしょうか。料理自体ではなく、調理法をお伝えするのです」
「――気力に繋がる料理か」
体質を改善する料理といえば、偽りになる。身分が身分だけに、メルヴィンも躊躇する行為だが、目先を変えるための気力に繋がる料理。
それであれば、侯爵家としても伝えやすくなる。
「確かに最近、あの御方も塞ぎがちだと耳にした。良くない噂も耳に入るのだろう。あの場所は、私達が思う以上に閉塞的なのだろうな」
「お父様……!」
「聞き流してくれ。マルティアの料理人の食事が、あの方にとって良い刺激となればよいな」
父の言葉にシャーロットの表情も明るくなる。
マルティアの料理人に依頼することを父も承諾してくれたのだ。
料理人にも冒険者ギルドにもあの御方が誰かは伏せることになるだろう。
それが料理人にとっても良いことだとシャーロットは思う。
シャーロットの日々に希望を与えた優秀な料理人、会ったこともないその人物が政に巻き込まれることは望ましくない。
本来なら、屋敷に呼び寄せたいくらいシャーロットは感謝しているのだ。
しかし、自由に料理ができるマルティアでこそ、いきいきと過ごせるだろう。
せめて、その料理人に他の貴族が手を出さぬように、防波堤になろうと思うシャーロットであった。
*****
昼時の喫茶エニシは賑やかで活気がある。
食欲をそそる香りに満ちた店内には、客の会話があちこちから聞こえる。
だが、それは騒々しさではなく、却って自分達も会話しやすい雰囲気に繋がる。
優れた味と見た目の料理、そして居心地の良い空間は客の足を再び喫茶エニシへと向かわせるのだ。
そんな喫茶エニシのドアを、静かにそおっと開いた者がいる――セドリックだ。
冒険者ギルド長でもある彼だが、なぜかこっそり店内に入ってくる。
その姿に恵真が気付く。
「どうしましたか? セドリックさん」
「いやぁ…………」
入ってきたものの、恵真に声をかけられると、なぜかぎくりとした表情になるセドリック。どうしたことだろうと思う恵真に、ある声が届く。
「どうせまた面倒な依頼でも持って来たんじゃないの?」
「オ、オリヴィエ! いや、その、ええっと、これには事情があってなぁ……」
「あ、当たってるんすね!」
オリヴィエに指摘されたセドリックはもごもごと言い訳を口にするが、バートがびしりと指摘する。
そう、オリヴィエとバートの指摘通り、セドリックが今日持って来た依頼内容はやっかいなものなのだ。
居心地の良い喫茶エニシであるはずが、今日に限ってはセドリックには所在ない。
だが、それでも依頼内容を伝える必要があるのだ。
「トーノ様もお忙しい。落ち着くまでここに来て、食事をすればいい」
「そ、そうか! そうだよな! いやぁ、実は腹が減っていてなぁ……!」
リアムの助け舟に、セドリックが相好を崩す。
どうやら、店内に満ちる香りで自身の空腹に気付いたようだ。
リアムとバートは笑い、窓際のソファーに腰かけるオリヴィエとクロは呆れた表情に変わる。
会話を聞いていたアッシャーが、水をグラスに注ぎ、テオが椅子を引き、その座面をぽんぽんと叩く。
「では、食事の後にお話を伺いますね。セドリックさんは何を召し上がりますか?」
「定食……、ワンプレート定食はまだありますか⁉」
「えぇ、大丈夫ですよ」
「では、それを!!」
嬉しそうなセドリックの表情に、オリヴィエが呆れた視線を向けている。
「これじゃ、依頼を告げに来たのか、食事をしに来たのか、わからないね」
「んみゃう」
窓際のソファーを争うオリヴィエとクロだが、その意見は一致したらしい。
席についたセドリックは、リアムやバートと話しはじめる。
喫茶エニシの空気感がそうさせるのか、恵真の作った料理のせいか、なぜか和やかな雰囲気が満ちている。
携帯食を齧ったオリヴィエもまた、恵真の淹れてくれた紅茶を一口飲むとほうっと息を吐く。
忙しそうな恵真だが、その表情には笑顔がある。
そんな彼女を見て、小さな魔獣は嬉しそうにしっぽをぱたぱたと動かすのだった。
10月ですね。
秋になって過ごしやすい気温になったな、と思うのですがそんな季節は短いですね。
秋、楽しみましょう!




