215話 秋の訪れと魚料理 3
喫茶エニシのドアを開けたリアムとバートは、店内から聞こえてきた音に驚き、立ち止まる。
たんとん! たんとん! と軽快だが勇ましい音がキッチンから聞こえてくる。
その音を立てる人物は店主の恵真だ。
包丁をリズミカルに動かし、まな板の上で何かを叩いているではないか。
「ど、どうしたんすか? トーノ様は」
自分達に気付かず、包丁を振り上げ続ける恵真を気にかけつつ、バートは小声でアッシャーとテオに問う。
「新しい料理の開発をしてるんだって!」
「お客さんがまだ来てないうちに、試作をしたいんだってさ」
「なるほど! そりゃ、いいときに来たっすね!」
恵真の様子に少々腰が引けていたバートだが、試作品ということは試食も必ず必要になる。開店間もない店内にいるのはリアムとバートのみ。当然、二人にも試食する機会が巡ってくるはずだ。
リアムはというと静かにキッチンに近付き、恵真の手元をまじまじと見る。
「……これは魚ですか?」
その言葉には少々驚きの響きがある。
「はい! 魚をミンチにしているんです」
「魚をミンチに!!」
恵真の言葉にリアムとバートの声が重なる。
それは彼らにはなかった発想だ。
どうやら余り肉の時と同じように、恵真は魚をミンチにして料理に利用するつもりらしい。
たんとん、たんとんと包丁の軽快な音は続く。
予想外の恵真の調理にただただ、リアムもバートもその行く末を見守るのだった。
今回、恵真が使う魚は青魚と白身魚に分かれている。
それぞれミンチにした後、恵真はまず青魚にショウガやにんにく、柑橘類のトルートの絞り汁、そして米粉を加えてよく混ぜる。
青魚特有の臭みを薬味で消すのが目的なのだ。
サラダ油を手に塗った恵真は青魚のミンチを木の葉型にして、ナイフで模様を刻み、温めたフライパンの上で焼いていく。
少し多めに油を引いて、カリッと焼き上げて作るのは青魚の木の葉揚げだ。
「葉っぱの形にするんだね。皆、出来るかな?」
テオが心配そうに言うと恵真が微笑む。
「葉っぱじゃなくっても好きな形でいいの。その人が作りやすいのが一番かな」
そう言いつつ、手を洗った恵真は次の料理へと取り組む。
白身魚のミンチに塩を加え、刻んで炒めた玉ねぎと米粉を加えてよく混ぜ合わせる。適度な粘りが出たら、生地を団子状に丸めて油で揚げていく。
こちらは白身魚のボールフライだ。
臭みの少ない白身魚はどんな味付けにも合うはずだ。
出来上がった二品を恵真は複数の小皿に盛りつける。
「どうぞ、よければ試食してください」
「え! いいんすか? いやぁ、申し訳ないっすねぇ……!」
差し出された皿にいそいそとバートがフォークを伸ばし、さっそく料理を口に放り込む。嬉しそうなその表情に皆は吹き出しそうだ。
アッシャーとテオ、そしてリアムにも恵真が皿とフォークを勧めた。
「旨い! いいっすね、これ! 青魚って独特の風味があるっていうか、場合によっては臭みに感じるっていうか……でも、にんにくや生姜が効いてるっす。トルートの酸味も脂が抑えられていいっすね!」
「よかったー! やっぱり、青魚は苦手な人もいますもんね」
通は好む特有の風味も、苦手な者はいる。
そこで生姜やにんにくを効かせ、その匂いをカバーすることを恵真は考えた。
トルートの酸味や香りも、魚の脂を抑えるのには効果的なのだ。
「うん、こっちはふわふわだね。今まで食べたことがある魚の食感と違ってて不思議だけどおいしいよ!」
「揚げてるから外側がカリッとしてて、中身はふわっとしてる……淡白だからいろんなソースに合わせられそうだよな」
テオは嬉しそうに頬張り、アッシャーは真剣にその味を分析する。
そう、アッシャーの言う通り、白身魚のミンチボールは様々な味付けに対応できる。今回は揚げているが、蒸しても茹でてもどんな料理とも合わせやすいのだ。
「小魚が多いので、マルティアに届く魚は種類もサイズもまちまちになるかと思うんです。でも、ミンチにすることでその問題は解決できます」
恵真の言葉に試食していたリアムも頷く。
青魚と白身魚、料理によってはその捌き方や切り方を変える必要がある。
それが魚を調理する苦手意識にも繋がっているのだ。これは恵真の世界でも同じことだ。
そこで恵真は魚をミンチ、つみれ状にすることを考えた。
この調理法は手間こそかかるが、料理の幅は広がる。
魚のサイズに関わらず調理出来ることも大きな利点であろう。
「これならば、様々な調理法に挑戦できますし、失敗することも少ないでしょう。なにより、骨などがなく年齢も関係なく食べることが出来ますね」
リアムの言葉に恵真はぱっと明るい表情を浮かべる。
「そうなんです! 魚は体にいいんですよ。お肉には入っていないDPAが入っていますし、あとカルシウムでしょう? それにこれからの時期は脂が乗ってすっごく美味しい時期なんです! あとは……」
どうやら、リアムの一言は恵真の熱意に火をつけたらしい。恵真は熱心に魚の良さを喋り続ける。
その足元でクロは不満げな態度を隠さない。
今回、魚を調理しているのに、クロには一切おすそ分けがないのだ。
恵真の足元をみゃうむうと抗議しつつ、くるくると回るクロ。そんなクロに気付かず、リアムに話し続ける恵真。
一生懸命な恵真とクロには悪いが、どうにもユーモラスなその光景に四人は笑い出すのだった。
*****
シグレット地域から運ばれる魚は徐々にマルティアの街に広がっていく。
貴族や料理店はサイズの大きな魚、小魚は庶民にと上手く需要も分かれているようだ。セドリックの元へもシグレット地域から感謝の声が届いている。
同時に街には新たな魚の調理法も広がった。
恵真が魚のミンチの調理法を冒険者ギルドに登録したのだ。
金額は決して高くないため、皆が買い求めた。その結果、街では魚をミンチにした料理がよく見られるようになっていた。
「ね! お兄ちゃん。あそこで揚げてるのって魚のミンチボールだよね!」
くいっと兄のアッシャーの服を引っ張ったテオが嬉しそうに笑う。
恵真はあの後も試作を続け、魚に合うソースやスープなどを喫茶エニシでも出すようになった。アメリアの店、ホロッホ亭でも同様だ。
まずは魚自体に親しみを感じてもらう――そんな恵真の作戦はまずまずの成功を収めていた。
「でも、シグレット地域だと鮮度がいいから、もっといろんな料理が出来るってエマさん言ってたな」
そう、産地には産地の魚料理、こうして他の地域に運ばれた魚にはまた違う調理法がある。料理はその土地で入手できる素材、そしてその土地で生きる人に合う味が必要となるのだ。
「うん! マルティアでも魚に馴染みが出たら、また違う料理も広がるんだって! リアムさんも言ってたよ」
賑わうマルティアの街に、新たに伝わる魚料理。それは喫茶エニシの厨房から生まれたのだ。
そんな喫茶エニシの店員としてアッシャーとテオは今日も働く。
少し誇らしい気持ちになったテオは胸を張る。
小さなテオが胸を逸らしている様子にアッシャーは笑って、青空を見上げる。
まだ暑い日が続くが、高くなった空は秋のものだ。
「俺もいつかこんな風に街に広がる料理を作ってみたいな」
「出来るよ! そのときは僕が一番先に食べるからね!」
弟の言葉に少し気恥ずかしさを覚えながらも、アッシャーは頷く。
「そのときはお母さんと一緒にな!」
父ゲイルや喫茶エニシの店主恵真のように、自分の手で作った料理で誰かに喜んでほしい――いつの間にか、芽生えていた小さな夢はアッシャーの胸の中でじわじわと熱を持つのだった。




