SS ホロッホ亭の始まり
今回はホロッホ亭とアメリアさんのお話です。
こちらは過去のSS、『リリアの夢と歩む道』と
一緒にお楽しみ頂けたらなと思います。
今夜もホロッホ亭は多くの客で賑わう。
冒険者に兵士、商人など訪れる客層は様々だ。
マルティアの街で最も長い営業時間のホロッホ亭、魔物であるホロッホになぞらえたその店名通り、朝から晩まで客が止むことはない。
「――リリアがパン屋を継ぐ夢をあきらめなかったのには、喫茶エニシの店主トーノ様やアメリアさんの影響もあるんでしょうね」
リリアの父ポールがアメリアが働く姿を見ながら、呟くように口にする。
娘の夢はポールにとっても喜ばしく感じられた。
しかし、それを叶えた後の厳しさ、辛さを考えると父であるポールには決して賛同できる道ではなかった。
そんなポールの意識を変えたのが、娘であるリリアの強さであり、マルティアで働く店を持つ恵真達だった。
「そうっすね。この街で女性の店主って言えば、まずアメリアさんが思いつくっすもんね。兵士にも冒険者にも慕われてるっす」
「あぁ、トーノ様以前はマダムしか店を開いていなかったからな」
ポールの言葉に、バートもリアムも同意する。
夢を抱くリリアだが、その道の先を歩む者がいるからこそ、自身もまた歩む決意を固めたのだろう。
憧れであり、目標、リリアにとってそんな存在が恵真とアメリアなのだ。
「――あいつも始めは相当な苦労をしたからな」
「ジョージさん、そうなんすか?」
今のアメリアからは想像つかないのだろう。
バートとポールの表情からはそんな気持ちが伺える。
アメリアと付き合いの長いリアムは静かにエールを口にする。おそらく、その辺りの事情をリアムは察しているのだろう。
「アメリアさんはどんなきっかけでこのホロッホ亭を開くことになったか、ジョージさんはご存じなのですか?」
「あ、それオレも気になるっす!」
二人の言葉に少し考え込んだジョージはアメリアへと視線を移す。
客と笑いながら話すアメリア、ざっくばらんなその態度が気を遣わせず、居心地が良いのだろう。客も楽し気に酒を飲む。賑わう店内では笑いあう客の声が響く。
街で最も賑わう酒場ホロッホ亭、だが、アメリアがこの店を開いた事情を知る者は少ない。
アメリアがこの道を歩み出した理由、それは決してリリアのように夢や希望に満ちたものではなかった。
ジョージ自身がそれを見てきたし、アメリアからもその事情を詳しく聞いている。
小さくため息を溢したジョージは、昔を思い出しながらぽつりぽつりと語り出すのだった。
*****
アメリアの夫、フランクは冒険者だ。
夫妻の家にはいつも冒険者仲間が集う。フランクが慕われている証であり、アメリアもそれを悪く思うことはなかった。
そんな賑やかな日常に、文句を言いつつも、笑いながらアメリアはその料理の腕を振るう――それがいつもの光景。
結婚して冒険者を引退したアメリアだが、仲間が集まる時間は昔に戻ったような気持になる。
仲間達、そして愛する夫、アメリアは幸福な日々を送っていた。
「まったく、あたしだってその気になりゃ、まだまだ働けるっていうのにさ」
結婚を機に冒険者の道を引退したが、まだまだ自分だって戦える。
冒険者仲間が集い、その仕事の成果を口にした日にはアメリアはきまってそんなことを口にする。
しかし、夫のフランクはそんなアメリアの言葉に笑って首を振る。
「結婚するときに約束したじゃないか」
「そりゃ、そうだけどさぁ……」
口を尖らせるアメリアにフランクは困ったように微笑む。
結婚を申し込んだのはアメリアからだった。
恋仲ではあった二人だが、結婚の申し込みの際にアメリアが冒険者を引退することを提案されたのだ。
「――ただの俺の我儘だ。アメリアに戦う力がないとは思っていない。けどな、いつも怪我をしたらどうしようと気が気でなかったんだ」
フランクの言葉に悪い気はしないアメリアだが、その一方で少々むっとする。
夫が仕事に出るたび、待っているアメリアも同じ気持ちなのだ。
「そりゃ、あたしだってそうだよ。あんたが仕事に出るたび、無事に帰ってくるか心配してるんだからさ。まったく、勝手なもんだよ」
アメリアのむくれた表情にフランクは優しい眼差しを注ぐ。
「帰る場所があるから、仕事に行っても自分を奮い立たせることが出来るんだ。俺だけじゃない。家族のいないあいつらも、アメリアの料理を楽しみにしてる」
「……そうかい。それじゃあ、仕方ないね。待っててやろうじゃないか」
照れくさそうにぶっきらぼうな言い方をするアメリア、そんな彼女にフランクはある提案をする。
「いつか俺が冒険者を引退したら、一緒に店をやらないか?」
「店? どんな店だい?」
初めて口にした夫の夢、アメリアは目を瞬かせる。
「冒険者仲間が集まる店だよ。皆が集う場所になる。アメリアの料理は旨いからな」
「そ、そりゃあ、腕には自信があるけどさ……」
突然の夫の言葉に戸惑い半分のアメリアだが、じわじわと喜びも込み上げる。
冒険者はいつまでも出来る仕事ではない。
フランクの腕や判断力を信頼しているアメリアだが、夫の無事を願い、待つ時間は落ち着かず不安でもある。
「冒険者の中には家族がいない者も多いだろ? そういう奴にも戻ってこられる場所があればいい。ずっとそう思ってきたんだ」
「――そうだったのかい」
アメリアにも夫のフランクにもお互い以外に家族は既にいない。
だからこそ、夫の気持ちはアメリアにも痛いほどわかるのだ。
そういうフランクの優しさがアメリアは好きだ。
まだ遠い未来の話。だが、それはアメリアにとって希望にも感じられた。
ある日、フランクはいつものように仕事へと出かけた。
アメリアは笑ってそれを見送り、帰ってくる日には料理でもてなす約束を交わした。遠ざかっていく夫の姿が見えなくなるまでアメリアは手を振る。
それはいつもと変わらぬ朝の光景――しかし、そのままフランクが帰ってくることはなかった。
*****
仲間を庇ったらしいと人づてに聞いた。
あの人らしいと思う一方で、アメリアはフランクのいない日々を受け入れられない。
周囲に気を遣われるが、それもまた辛く苦痛でアメリアは家に閉じこもる日々を過ごしていた。
夫が帰ってくるわけはない。しかし、そう思いつつも小さな物音一つに反応してしまう。その度に、フランクが帰ってくることを期待している自分に気付かされ、落ち込む。そんなことの繰り返しであった。
ある日、家のドアが無遠慮に開いた。
カーテンを引き、明かりもつけずに、アメリアは椅子に座り込んでいた。
「……誰だい?」
ずかずかと歩いてくる足音と、自分を見下ろす人影にアメリアは顔を上げた。
ジョージである。どさりとテーブルに置かれた箱には野菜がぎっしりと詰まっている。
突然現れたジョージと持ち込まれた大量の野菜、頭が働かないアメリアは泣きはらした目でジョージを見つめた。
「鮮度がいいうちに使うといい」
「作っても食べてくれる人はもういないじゃないか」
「…………」
アメリアの言葉にジョージは何も返さない。
口も態度も悪いジョージだが、フランクともアメリアとも親しい。
だからこそ、こうして訪ねて来てくれたのだろう。
ぶっきらぼうないつもの態度が、今のアメリアには心地が良い。
「――わかってるんだよ。このままじゃダメだってさ、働く必要だってある。頭じゃ理解してるんだ。だけどさ、気持ちが追い付かないんだよ」
「なら、働きながらお前らの夢を叶えればいいじゃねぇか」
え、とジョージの方にアメリアは体を向ける。
夫のフランクがアメリアに口にした夢、それをジョージも知っていたのだ。
冒険者の居場所、戻れる場所を作る――そうフランクは語っていた。
自分やアメリアと同じ、家族のいない者達のための場所だ。
アメリアはこぶしを握り、唇をぎゅっと噛み締める。
「――冒険者仲間に声をかけとくれ」
そう言ってアメリアは立ち上がると、ジョージに背を向ける。
「あたしの料理で勝負できるか、あいつらにまず試食してもらいたいんだ」
ジョージはアメリアの背中をじっと見つめる。
当然、まだ立ち直ってなどいない。それでも、アメリアは再び歩き出す決意を固めたのだ。
悲しみだけではなく、夫婦の夢を背負うアメリアの背中は凛々しく美しい。
「お前の惚れた女は背中まで格好いいじゃねぇか。なぁ、フランク」
塞いだカーテンの隙間から入る日差しがアメリアを照らす。
それはアメリアの歩むべき道を指し示しているかのように、細く、だが長い光であった。
*****
ジョージの話を聞いた三人はしばらく黙り込む。
いつも頼もしく笑い、皆を元気づけるアメリアの過去にそんな事情があったとは――皆が集うホロッホ亭を作り上げた日々も並大抵の努力ではないのだろう。
「そうして出来たのがホロッホ亭だ。冒険者仲間も協力してな、女性が一人で店に立つ。今以上に強い反発がある時代だったな」
そんな厳しさを知るからこそ、アメリアは恵真やリリアにも力を貸すのだろう。
働くアメリアの背中をジョージはじっと見つめた。
皆が集い、皆が戻ってくる場所、ホロッホ亭。
同じようにここはアメリア自身の大事な居場所でもあるのだ。
賑やかな笑い声が響く店を見回し、アメリアは満足そうに微笑む。
目を閉じれば、そこに夫であるフランクの笑い声が聞こえてくる気さえする。
いつか再び夫に出会る日が来れば、アメリアは夫婦の夢を叶えたことを誇るだろう。その日が来るまで、アメリアはこのホロッホ亭に立つのだ。
読んでくださり、ありがとうございます。
そして!コミカライズ版が昨日から配信開始しています。
pome村先生が描いてくださった『裏庭のドア』
こちらもどうぞお楽しみ頂けたら嬉しいです。




