212話 完熟トマトと夏の終わり 3
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朝、まだ早い時間だというのに恵真はすでにキッチンに立っている。
オーブンの音が鳴り、目的の物が出来上がったことを知らせた。
ミトンをつけ、オーブンを開け、鉄板を出して焼き上がりの状態を確かめる。
「あ、二回目の方が上手くいってるかも!」
「んみゃ!」
「ね、いい感じだよね」
鉄板からオーブンシートのまま、目的の物を網の上に置いて冷ましていく。
一回目、二回目と焼いて段々とコツが掴めてきたようだ。焼いた状態はしっかりと水分が飛んでいる。
初めて作ってみたのだが、なかなか上出来だと恵真は思う。
「あらやだ、恵真ちゃん。こんな早い時間から何をしてるの?」
「あ、おばあちゃん。ちょっと作ってみたくなっちゃって……」
そういう恵真の手元には薄切りにしたトマトが皿に入った状態で置かれている。
どうやら、何か料理をしているらしい。
それ以外にも食欲をそそる香りに瑠璃子は気付く。
「朝食の準備をしてくれてたのね」
「あぁ、うん。昨日の夕食はおばあちゃんが作ってくれたからね」
瑠璃子がキッチンへと足を進めると、皿に入った卵焼きや鍋に入った味噌汁が見える。どうやら、恵真は先に起きて朝食まで作ってくれたらしい。
夏バテしやすいこの時期だからこそ、朝食を摂るのは大事なことだ。
そんな瑠璃子は恵真がオーブンで焼いた不思議な物に目を留める。
「……恵真ちゃん、これなぁに?」
それは恵真が今までに作ったことがないものだ。
「私も初めて作ったの。おばあちゃんが昨日作ってたものにヒントを貰ったんだ」
「ヒント? 昨日のって干し椎茸よね?」
恵真が昨日、夕食をしていた瑠璃子が戻していた椎茸にヒントを貰ったと言ったのだ。しかし、それとオーブンで焼いたこの赤いものとどう繋がるのか、瑠璃子はピンと来ない。
薄く焼き上げた赤いものを摘まみ、恵真はくすくすと笑う。
「そう、椎茸の甘煮。美味しかったよね。で、お出汁は炊き込みご飯になる予定です」
「あら、素敵! 朝からいいわねぇ。で、それはなに?」
どうやら湯気を上げる炊飯器には炊き込みご飯が仕込まれているらしい。
朝から充実した食事に瑠璃子の口元も緩む。
恵真は瑠璃子の手にその赤いものを渡すが、軽くあまり重みを感じない。
「ドライトマトなの。初めて作ってみたんだけど、これをマルティアでも作れないかなって思ってるんだ」
「ドライトマト……。トマトを乾燥させたの?」
瑠璃子にとっては馴染みのない食材である。
昨日の干し椎茸から発想を得たという恵真だが、これをどう料理に活かすのかと瑠璃子は戸惑う。
しかし、恵真はと言うと嬉しそうにまたトマトをオーブンシートに並べていく。
「まぁ、やることがある方が恵真ちゃんはいきいきしてるからいいのかもね」
「んみゃうみゃ」
「ふふ、そうね。楽しそうだわ」
恵真の様子に目を細めた瑠璃子は、冷蔵庫から麦茶を取り出すと、クロと共にリビングに向かう。
たまには早起きもいいだろう。
楽しそうな恵真の様子を眺めながら、瑠璃子はこくりと冷たい麦茶を飲むのだった。
*****
「――今回、私が作ってみたのが、このドライトマトとオイル漬けです」
喫茶エニシに訪れたリアムとセドリックは、恵真がどんとカウンターに置いた瓶をじっと見る。薬草であるバジルと共に赤い何かが瓶に詰まっていた。
他にも小皿には同じ赤い実が並べられている。
そっと摘まむと見た目以上に軽いのが特徴だ。
アッシャーもテオも手に乗せるが、あまり重量を感じない。
ジョージはじいっとドライトマトを見ながら、眉間に皺を寄せる。
「ドライトマトのままよりも、オイル漬けにした方が保存出来る期間が延びますし、バジルと一緒にすれば美味しいし、体にもいいんじゃないかなって」
恵真は今回、ドライトマトを使った料理も用意した。
ドライトマトを使ったスープにドライトマトのオイル漬けを使ったパスタだ。
アッシャーとテオがフォークと皿を皆に渡すと、試食が始まる。
「お! これは旨いですね。味がぎゅっと詰まっていると言うか、少しでも満足感がありますね」
そう言いながら、セドリックは嬉しそうにパスタを頬張る。
薬草の風味もトマトの酸味も旨味も、油と共にパスタによく合う。
どうしても変化の乏しくなる長旅の食事に新たな可能性が生まれるだろう。
セドリックとリアムは視線を交わし、頷く。
「こちらのスープもトマトの風味が良く出ていますね」
「うん。パンでしみしみにしてもいいよねぇ」
「さっき、試してみたんだ」
アッシャーとテオも嬉しそうにそう話す。
味の面では問題なかったらしいと恵真は少し笑みを溢す。
ドライトマトは知っていたが、自宅で作るのは初めてで上手く作れるか不安が少しあったのだ。
「これは船などでも使えますか? トーノ様」
セドリックの問いかけに少し考えて、恵真は頷く。
「なるべく涼しい暗所で保存しないといけないんですが、生のトマトよりも長く保存できます。瓶は熱湯消毒を忘れずにお願いします。トマトは栄養が豊富で、ビタミン、ポリフェノール、リコピンが入ってるんです!」
「まぁ、よくわからんのですが、体にいいという事ですね」
「ふふ、そんな感じですね」
カロリーこそ高くないトマトだが、栄養価があり、旨味も強い。
「――こちらは魔道具がなくとも作れるものでしょうか?」
ホッとした表情を浮かべたセドリックの隣で、リアムがさらに恵真に問う。
リアムの問いにセドリックがハッとした表情になる。
恵真の元には様々な魔道具があり、この街では珍しい調理も可能だ。
しかし、このドライトマトを普及させるには、街の皆でも作れるかが重要なのだ。リアムの問いかけに恵真は少し心配そうな表情になる。
「リリアちゃんのおうちみたいに窯があれば大丈夫だと思います。……それは、難しいですか?」
「いえ、それでしたら信仰会の集会所にもあります。もしかしたら、新たな事業とすることが出来るかもしれない……」
呟くようにリアムが発した言葉に恵真は嬉しそうに頷く。
「それでしたら、今はトマトで秋になったら違う素材で試してみてもいいかもしれませんね。それぞれの季節の美味しさが凝縮出来ると思います!」
トマトは今の時期しか入手出来ないが、季節が変われば他の野菜を乾燥させ、オイル漬けにすればいいのだ。
乾物は素材の持ちを長くすると共に、旨味を凝縮し、保存に適した状態にする目的がある。恵真にとっては馴染みのある考えだったのだが、リアムはもちろんジョージも感銘を受けたように目を見開く。
恵真は今、野菜と船旅に新たな形を示しているのだ。
「――困ったときはお嬢ちゃんのとこに持ち込むのが正解だな」
そう言ってジョージは口を開け、豪快に笑う。
せっかく作ったトマトだが、安く市場に出せば買い叩かれるだろう。
敢えて自分が損をする覚悟で訪ねてきた農家からトマトを仕入れた。
そして、店には置かず、知人である恵真とアメリアにだけ売った。
それはこれ以上のトマトの値下がりを懸念してのことだったが、恵真はジョージが期待していなかった成果を出したのだ。
「始めにあなたが買い取ったことがきっかけですね」
「な……! そりゃ、お前……商売だからよぉ……」
リアムの言う通り、ジョージが恵真の元にトマトを持ち込んだのが今回のきっかけだ。見た目の悪いトマトをいつもと変わらぬ値段で買い取ったジョージ、彼の行動が恵真に新たな発想をもたらしたのだ。
恵真はもちろん、アッシャーやテオもジョージを見つめて、笑みを浮かべている。気恥ずかしさにジョージはダンと突然立ち上がる。
「あー、そうだな。あれだ、俺には仕事があるからよぉ……」
後半はもごもご言って聞きとれない。
涼しい喫茶エニシの店内なのだが、ジョージの顔が少し赤い。
わしゃわしゃと自分の髪を掻きながら、ジョージはくるりと背中を向けると喫茶エニシを後にした。
「んみゃうにゃう」
今まで黙ってソファーに寝転んでいたクロがやれやれ、と言うかのように鳴き、皆はくすくすと笑うのだった。
*****
ドライトマトは薬草であるバジルと共に瓶詰めにされ、船旅に欠かせないものとなった。船旅では各港に寄り、生鮮食品を仕入れるのだが、それも数日しか持たない。そんなとき、この瓶詰めが頼りになるのだ。
味も良く、薬草の効果も期待が出来ると船旅のよき友となることだろう。
同時に商業者ギルドでは夏野菜のピクルスを瓶詰めにして販売し始めた。
冒険者ギルドを通じ、恵真からその製法を買い取ったのだ。
こちらもまた好評である。
ドライトマト自体は信仰会の集会所でも作られ、活動の支援にも繋がり、乾燥させる調理法をトマト以外の野菜へと生かせるのではと期待も高まっている。
周囲へ大きな影響をもたらしたドライトマトだが、もっともそれに感銘を受けた男がいる――サイモンである。
薬草の女神と慕う恵真が新たな発想から生みだしたドライトマト。それに彼は驚き、自身を恥じた。
恵真から授かった優れた素材を粗末にしたくない。それゆえ失敗を恐れ、新たなものに挑む気概すら、サイモンは失おうとしていたのだ。
薬草を使った恵真の新たな作品を知ったサイモンは奮起し、目の前の高い壁に挑む決意を新たにする。
そんなサイモンが歴史に名を残すのは、もう少し先の話である。




