210話 完熟トマトと夏の終わり
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八月も半ばに入ったというのに暑さは変わらない。
寒さ暑さも彼岸までという言葉があるが、それも過去のものとなっているようだ。この後の一か月で涼しくなるとは恵真には到底思えない。
「恵真ちゃんもなんか夏らしいことしたら? 海に行くとか」
お盆に実家へと帰省していた祖母の言葉に恵真は首を振る。
岩手から戻ってきたばかりの祖母瑠璃子だが、疲れた様子を見せることはない。
今も自分で購入してきた南部せんべいを齧っている。
南部せんべいにごま擦り団子、ジャジャ麺など食べ物を中心にお土産を買ってきた祖母のセンスに恵真は喜んだ。行かずにその地域の食生活に思いを馳せることが出来る土産というのは良い物だ。
どうやら、恵真の兄圭太と共に仙台にも足を延ばしたらしく、笹かまぼこまである。
「ほら、この暑さだし。海に行ってはしゃぐ年齢でもないしなぁ」
実際に想像する海のイメージは涼しげだが、この日の強さだ。ビーチの砂も暑くなり、体力を消耗することだろう。
実際にこの気温では体力が持たない。
「あ、野菜の様子見てくるね。クロはここにいていいよ、暑いからね」
「んみゃう」
着いてこようとしたクロにそう言うと、支度した恵真は玄関へと向かう。
まだ朝早いうちだが、ドアを開ければ日差しの眩しさに恵真は目を細める。
道具は裏庭においているため、手ぶらのまま恵真は向かった。
「あー、結構焼けてる部分もある……」
おそらくはこの日差しの強さであろう。
実った一部のトマトには焼けが出ている。
葉が焼けた時点でカバーを立てたのだが、遅かったらしい。
「でも、味は悪くないと思うし、何に使うか楽しみだなぁ」
焼けた部分は皮を剥いて使えば問題ないだろう。
高気温のせいで焼けたトマトだが、味は良いはずだ。
しかし、これが仕事であれば、どれだけ大変なことだろう。
天候が影響する仕事の大変さを感じる恵真であった。
*****
喫茶エニシに久しぶりに顔を見せたジョージは大きな木箱を抱えて訪れた。
アッシャーが見かねて、ドアを押さえ、ジョージが店に入ってくるのを手伝う。
「おぉ、すまねぇな。お前さん達に良いものを持って来たぞ! 嬢ちゃん、トマトを安く買わねぇか?」
「え、もしかしてそれ、全部トマトなんですか?」
木箱を床に降ろすと、中にはぎっしりとトマトが入っている。
しかし、そのどれもが恵真の育てたトマトと同じく焼けていた。
「わぁ、トマトがいっぱいだねぇ」
「おう! どうだ? 嬢ちゃん、安くするぞ!」
「いいんですか? 見た目は焼けてますけど、全然使えますよ?」
恵真の問いにジョージは深いため息を溢し、隣にしゃがみ込んだテオが不思議そうに見つめる。
「実はなぁ、この気温で野菜にも問題が出てきてな。特にトマトは保存が効かねぇ、知り合いに頼まれて引き取ったんだが、俺んとこでもそんな長く置いとけねぇからな」
「確かに水分が多いトマトの保存は大変ですね」
恵真の元では冷蔵も冷凍も可能である。
しかし、マルティアではそうはいかないだろう。
同意した恵真にジョージは頷く。
「そこで、お前さんやアメリアに頼もうと思ってな。料理屋なら使う量も多いだろ?」
「はい。トマトは色々と使えますし! ぜひ、購入させて頂きます」
トマトは色々と使い道がある。そのまま食べるのはもちろん、煮ても良いし、トマトソースにすれば、冷凍・冷蔵保存も可能なのだ。
育てている分は家での料理に使い、ジョージから購入した分は店での料理に使えばいいだろう。
恵真の答えにジョージは少し安堵した様子だ。
「ありがとうな」
「え?」
気のせいだろうか、ジョージに礼を言われたことに恵真は振り返る。
しかし、ジョージはアッシャーとテオにトマトの目利きの仕方を教えている。
小首を傾げた恵真だが、気持ちは既にトマトでどんな料理を作ろうかと考え出すのだった。
商業者ギルドでは各ギルドの長や関係者たちが顔を揃えている。
久しぶりに会合を開き、ギルドの状況を話し合うことになったのだ。
冒険者ギルドのセドリック、薬師ギルドのサイモン、そして商業者ギルドのレジーナ、そこにセドリックに連れられたリアムがいる。
本来、マルティアの薬師ギルド長は他にいるのだが、もうすっかりサイモンが代表のような扱いである。
「で、どうなんですか? 薬草の研究は」
セドリックの問いで、皆の視線はサイモンに向かう。
しかし、サイモンの表情は優れない。薬草のこととなると、嬉々として語り出す彼にしては珍しい反応である。
「――えぇ、なんとか形になりつつあります」
「それはいいですね! 携帯食の代わりになる可能性もあるんじゃないか?」
「確かに軽量で保存可能なら、商人にも向くわね。船旅だと特に野菜が保存出来なくって困ることが多いのよ。商業者ギルドでも瓶詰めとかの需要が高くなっているわね」
セドリックの言葉にレジーナも同意する。
陸路は途中で鮮度の良い野菜などを入手出来るが、海路ではそうはいかない。
そのため、瓶詰めなど保存できる形に注目が集まっている。
恵真が以前、作ったピクルスなどもそれに適しているだろう。
「あぁ、冒険者も同じ問題を抱えているなぁ。トーノ様の作られたピクルスとかも合うんじゃないか? それに携帯食の代わりも出来れば心強いんだが」
移動が多い冒険者も商人も食事の軽量化や長期保存は待望である。
今の携帯食は高価なうえ、味も悪い。多くの者がその代わりになる物を求めているのだ。
期待を込めた視線が再びサイモンへと注がれる。
穏やかなサイモンの眉間に深い皺が寄り、研究が行き詰っていることを皆が悟る。
「上手くいけば良いのですが……」
恵真から良い薬草を譲って貰っているというのに、満足できる品が出来ない。
そのことがサイモンの胸を締め付けるのだろう。
先日、恵真が発見したのは食事が組み合わせによって効果が高まると言う点だ。
食べ合わせという考えから生まれたその発想は、薬草であるバジルを使ったものにも生かされるのではとサイモンが研究を進めている。
鎮痛以外に治癒の効果が期待されるそれを、冒険者ギルドも商業者ギルドも待ち望んでいるのだ。
「女神から貴重な機会を頂けたのです。良い結果に必ず繋げてみせます」
決意を固めるサイモンの眼差しに、セドリックもレジーナもそれ以上は追及しないのであった。
*****
恵真は換気扇を回し、蒸気を室内に閉じ込めないようにする。
鍋の中ではくつくつとトマトソースが煮えている。
大量に手に入ったトマトをさっそく恵真はソースにしたのだ。
トマトをペーストにしただけのもの、トマトと玉ねぎを炒めて、とろりとするまで煮詰めたもの、そしてもう一つはひき肉と共に煮込んだものである。
「それぞれに味が違うんですね!」
「うん、どれもおいしいよ」
アッシャーとテオが食べているのは、薄く切ったバゲットにトマトソースを塗って、軽く焼いたものだ。
ペーストにしただけのものにはチーズを乗せてある。
3種類それぞれに使い道があるのではと恵真はアメリアにも分ける予定だ。
「いやぁ、こんな使い道があるとはなぁ」
ジョージはアッシャー達と同じバゲットを齧りながら、嬉しそうに笑う。
「ただ、そこまで持つものでもないので、早めに消費しないといけないですけどね」
「だが、これでもっとトマトを仕入れられるだろ?」
「え、まだトマトが必要なの?」
テオがジョージの言葉に驚くが、恵真やアッシャーも同じ気持ちである。
確かにトマトソースにすれば、生のままよりも保存や消費が可能になる。
しかし、だからといってさらにトマトを仕入れる必要があるとは思えない。
安価で仕入れていても無駄になれば、そのぶんジョージの負担が増えてしまうだけなのだ。
三人の驚きと心配の眼差しに、ジョージはけらけらと笑う。
「なんだ? 俺の心配か?」
わしゃわしゃとテオの髪を撫でるジョージだが、どこか嬉しそうにも見える。
「でも、実際仕入れる分が多くても余ってしまえば、損益になりますよね」
「そうだな、そのリスクをちゃんと考えて動く度胸が俺の経験の差よ」
そう胸を張るジョージにため息を溢す者が現れる。
「……まったく、そんなことを言って。本当に大丈夫なんですか?」
「あ、リアムさん」
「暑かったでしょ? ぼく、お水持ってくるね!」
いつの間にか、 店に入ってきたリアムは呆れたような視線を送りつつも、ジョージにある提案をする。
「――まだ入荷できるのなら、私の方でも引き取りましょう」
「いいのか?」
「信仰会の集会所に持っていく予定です。スープなどにも使えますし、あそこなら大勢の人が利用しますから」
ディグル地域にある信仰会、そこの修道士であるクラークはリアムと旧知の仲である。そんな彼の元に、時折リアムは野菜や肉を持って行っているのだ。今回はトマトを持っていくのだろう。
集会所にはディグル地域の人々が集まる。そのため、リアムがトマトを持ち込んでもおそらく受け入れて貰えるだろう。
「……しかし、いいのか?」
「子ども達のためになりますし――なにか、ご事情があるんでしょう?」
「……っかー、嬢ちゃん達と違って可愛げがねぇなぁ」
痛いところをつかれたのか、ジョージは髪を掻き、そんな姿にリアムは口元を緩める。事情が分からぬ恵真達は、二人の様子を不思議そうに眺めるのだった。
『ジュリとエレナの森の相談所』1巻が8/12に発売されます。
楽しんで頂けるかとそわそわする日々です。
暑い日が続きますね。ご自愛ください。




