207話 七夕と冒険者ギルドの恋模様
読んでくださり、ありがとうございます。
暑い日が続きます。お体にお気をつけください。
夏の暑さも本格的になり、恵真は今日の買い物の時間を夕方へとずらした。
日傘を差しても、暑さ自体は変わらない。これでは、体力も知らず知らずのうちに消耗してしまうだろう。
「ただいまー、夕方でもまだまだ暑いんだね」
「あらあら、大変だったわね。ほら、麦茶があるわよ」
祖母が用意してくれた氷入りの麦茶のグラスにはすぐに水滴がつく。
それだけ、外の気温との差があるのだろう。
こくりと麦茶を飲み、一息つくと恵真は買ってきた荷物を冷蔵庫へとしまい始める。
「あ、スーパーで笹飾りを見かけたよ。お客さんが短冊に自由に願い事を書いていいの。いろんなお願いがあったなぁ。知ってる? 今年の七夕は令和7年の7月7日なんだって」
「スリーセブン? でも、中国から来た日本の風習に関係あるのかしら? それって。まぁ、楽しいほうがいいけれどね」
七夕の風習は中国から伝わったものである。
中国、韓国、日本と今でもそれぞれに七夕の風習が残っているのだ。
「小さい頃、仙台の七夕祭りに行ったわ。あれはたしか、八月なのよね」
「じゃあ、これからなんだ」
東北出身の祖母が語る仙台の七夕祭りに恵真は関心を示す。
旧暦で言うと八月になるのだろう。テレビでもよく見かける吹き流しは恵真も知っている。
色鮮やかな飾りの大きさは一度見てみたいと思っていたのだ。
「で、恵真ちゃんはどんな願いを書いたの?」
「書かないよー、大人だしね」
手際良く買ってきた物を入れる恵真の言葉に祖母は意外そうな表情を浮かべる。
「やだ、願い事に大人も子どもも関係ないわよ。せっかくだから書けばいいのに」
「うーん、家内安全・健康第一とか?」
「それじゃ、つまらないじゃない。もっとどーんと大きい願いはないの?」
七夕の願い事に大小の違いがあるのだろうか。
疑問を抱きつつも、再び恵真は考えてみる。
「やっぱり平和が一番じゃないかな」
「もう、恵真ちゃんったら欲がないわねぇ」
再び麦茶のグラスを手に取り、恵真はこくりと飲む。
クーラーの効いた部屋の中でクロはのんびりと昼寝をしている。喫茶エニシのソファーはクロかオリヴィエが占領している。
閉店後の今はクロだけのスペース、ごろんとお腹を出して完全にリラックスしきっている。
「どう? 他の願い事思いついた?」
「ないよ。だって、おばあちゃんの健康でしょ? あとはアッシャー君やテオ君、ハンナさんだって元気でいてくれたら嬉しいでしょう?」
「……そうね。恵真ちゃんが正しいわ」
どうやら家内安全・健康第一の中には、自分やマルティアの人々も入っているらしい。何気ない恵真の言葉に瑠璃子はふっと口元を緩める。
恵真と裏庭のドアの向こうの人々の関係、不思議で奇妙ではあるのだが、それは温かく優しい。
恵真が自然体のまま過ごせる日々を祖母の瑠璃子も、いつの間にか認め、許しているのだった。
「で、こうしてお願い事を紙に書いて飾るんです」
そう言って恵真が見せるのは様々な色の画用紙で出来た短冊である。
昨夜、岩間さんが笹とすいかをわけてくれたので、喫茶エニシでも飾ることにしたのだ。
笹には吹き流しやちょうちんも飾られる。懐かしくなった恵真と瑠璃子が折り紙で作ったものである。子どもの頃にもこうして作ったことがあったと昔話に花が咲き、こうして短冊までこしらえたのだ。
「でも、豪気っすねぇ。自分達が年に一回会えるからって他の人の願いも叶えるなんて……」
「たしかにそういう考えもありますね。小さい頃から知っているから、特になんとも思ってなかったですけど……」
風習などは物心ついた頃から知っている。その伝承に疑問を抱くことなどなかったが、言われてみればなんとも景気のいい話だ。
リアムはというと、短冊を書くアッシャーとテオの傍にいる。
「さて、アッシャーとテオは願いが決まったか?」
問われたアッシャーは頷くが、テオはまだ考え中のようだ。
眉を下げ、真剣に悩んでいる様子だ。短冊の願い事に真剣に書いていたのはいつの歳までだったであろう。
自分の幼い頃を思い出し、恵真は懐かしくもどこか寂しい気持ちにもなる。
素直に短冊に願える――それは子どもらしい純粋で美しい心に思えるのだ。
「うーん、難しいよね。お願い事かぁ……」
むぅと口を尖らせ、テオが悩む隣で、アッシャーが元気に手を挙げる。
「俺はもう決まったぞ! エマさん、飾ってもいいですか?」
「うん、もちろん。じゃあ、私が……」
そんな会話をしていたとき、喫茶エニシのドアが突然開く。
ガチャリと大きな音がしたため、皆の視線はドアを開けた人物へと注がれる。
そこにいたのは意外な人物である。
「――え、シャロンさん?」
恵真が声をかけたが、リアム達も皆、驚きの表情を浮かべる。
冒険者ギルドの副ギルド長であるシャロンがこの時間に顔を出すのは珍しい。
生真面目で仕事熱心なシャロンは、職務中にこうして店に訪れることはないのだ。
「いらっしゃいませ!」
「いらっしゃいませ。あ、アッシャー君ありがとう!」
短冊を恵真に渡したアッシャーが急いで水を汲みにキッチンへと向かう。外は暑いだろうと、氷水をピッチャーに入れている。
それをアッシャーはグラスに注ぐと、シャロンの元へと急ぐ。
席に着いたシャロンは黙り込んだまま、ただ深いため息を溢す。
「――あぁ、えっと、アイスティーをお願いできますか?」
「はい、今すぐ。珍しいですね。この時間にいらっしゃるのは」
いつも通りの様子のままで、恵真はシャロンに問いかける。
何か事情があって訪れたのを察してはいるが、彼女が自ら話すまで恵真は待つつもりである。
「えぇ……。なんとなく、そういう気分だったもので」
「そうですか……。嬉しいです、久しぶりにお会いできて」
どうやらシャロンはそれ以上語る気はないらしい。
恵真も踏み込むことはせず、たわいのない会話を続ける。
なぜ、この時間帯にシャロンが訪れたのかと不思議に思いつつ、喫茶エニシの皆もそれ以上は触れず、いつも通りの時間が流れるのだった。
*****
「完璧に俺のせいだ……!」
数日後、喫茶エニシに現れた冒険者ギルド長セドリックの言葉で、恵真達はすぐに先日のシャロンを思い浮かべる。
どうやら、シャロンの様子がおかしかった理由はセドリックにあるらしい。
「何があったの?」
テオが不思議そうに首を傾げるが、セドリックはもごもごと珍しく口ごもる。
そのとき、ソファーにゆったりと腰かけていた人物が声をかける。
「ボク、知ってるよ」
「オ、オリヴィエ……!」
喫茶エニシのソファーに座り、携帯食を齧っていたオリヴィエがくすりと笑う。
そんな姿にセドリックは気まずそうに視線を下げた。
「冒険者ギルドで何かあったんだな?」
リアムの問いかけに観念したようにセドリックは事情を話し始めるのだった。
「その、最近は暑さもあって、冒険者達も苛立つことが多くてな。職員達も忙しく、集中力が低下してるんだ。なかでも、副ギルド長のシャロンは多忙でなぁ。そんな中、ある噂が皆に広がったんだ」
からりと音を立てて、アイスティーのグラスの氷が溶けていく。
エアコンの効いた喫茶エニシでもそうなのだ。冒険者ギルドやマルティアの街の人々は暑さ対策も大変であろう。
「噂ってどんなものですか?」
恵真の言葉にセドリックはため息を溢す。
そもそも、この噂が今回の諸悪の根源なのだ。
「シャロンが冒険者ギルドを辞めるんじゃないかと――」
「え! シャロンさん辞めちゃうんですか!」
恵真が驚きの声を上げる。
アッシャーやテオ、リアムもじっとセドリックの答えを待っている。
冒険者ギルド副ギルド長シャロン、彼女が優秀で如才ないため、冒険者ギルドはなんとか成り立っていると皆思っているのだ。
セドリックはそんな皆に首を振る。
「いや、それはない! ……というか、その間違った噂が今回の問題なんだ」
「噂が間違いだということはシャロンは辞めないのだろう? それで何の問題があるんだ?」
リアムの疑問は当然のものである。
副ギルド長のシャロンが辞めるという噂が真実ではないのだ。そこは喜ぶべきところだろう。
しかし、セドリックは頭に両手を置くと下を向く。
「あのな……、職員達からそんな噂を聞いた俺は言っちまったんだ。『そんな! シャロンを俺は失いたくない!』……と皆の前でだ」
喫茶エニシには沈黙が満ちる。
きょとんとしたテオ、気まずそうな顔を浮かべるアッシャー、リアムはあきれ顔でセドリックを見つめる。
オリヴィエとクロは自分には関係のないことだと、ソファーでのんびりと寛ぐ。
「……で、でも、シャロンさんは知らないんじゃ?」
恵真が心配そうに尋ねると、セドリックは下を向いていた顔を上げる。その目は力なく、自分自身の言葉を後悔するものだ。
「いや、シャロンは俺の後ろにいた。職員の視線で振り向くと、シャロンが真っ青な顔をして立っていたんだ……。嫌われた……完全にシャロンに嫌われたんだ……!」
手を頬で押さえつつ、恵真は困ったようにセドリックを見つめる。
恵真の予想とセドリックの想像には大きく開きがあるのだ。
しかし、それを他者が口にするわけにもいかない。
再び、カウンターテーブルに突っ伏してしまったセドリックに、どうしたものかと恵真は考える。
岩間さんに貰った笹には色とりどりの短冊が飾られ、エアコンの風に吹かれて揺れるのだった。
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