204話 ある美食家への挑戦
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梅雨が明け、夏の暑さも本格的なものとなってきた。
早朝の庭で恵真は野菜の手入れに忙しい。まだ日差しの強くない時間でこの蒸し暑さでは日中の気温はどれほどのものになるだろう。
野菜は順調に育ち、瑞々しい実をつけている。恵真の食卓にも喫茶エニシのテーブルにも季節の素材を生かした料理が並ぶ。
夏野菜は彩りもよく元気を貰えるような思いになるから不思議だ。
「今年も暑い夏になりそうだね」
「……んみゃ」
日陰に体をひそめながら、嫌そうにクロが鳴く。
どうやらクロも夏の暑さは苦手らしい。とはいえ、クーラーが効いた喫茶エニシで一日を過ごすクロは暑さを感じることもないのだが。
不機嫌そうなクロの姿に、恵真は早めに野菜の収穫を終えようと思うのだった。
*****
「それはまた、やっかいな依頼ですね」
「そこをなんとかしてほしいんだよ。なにしろ、領主代行であるエリックの頼みなんだぞ?」
喫茶エニシでは男達が先程から何度も意見を交わしている。
ジョージの言葉に、セドリックは頭を抱えた。
普段、エリックを雑に扱うジョージだが、ここぞとばかりに領主代行である彼の頼みであることを強調し、流石のセドリックも断れない様子だ。
「しかし、王都の貴族の皆さんを満足させる料理など、そんな簡単に引き受けられませんよ? それ以外にも様々な問題がある。私は反対です」
リアムの言葉にセドリックが何度も頷く。
そう、ジョージがエリックに頼まれたのは王都の貴族達を満足させる料理を冒険者ギルドに依頼し、誰かに考えてほしいというものだ。
相手は王都の貴族達、なかには美食家で著名な者までいるため、エリックはジョージを頼ったのだ。
「通常、このような場合は郷土の料理や食材でもてなすべきでしょうね」
「だが、王都以上の料理なんて用意できやしねえ。それでエリックも頭を抱えてるってわけだ」
リアムの言葉はもっともである。
王都から来る者に、王都でも食べられる品を用意しても意味がない。
この土地ならではの美食でもてなすべきであろう。
だが、王都には様々な美食が集まるのだ。そんな彼らの舌を満足させる料理など容易く作れるわけがない。
「それは大変ですね。美食家の方が何を好むかなんてわかりませんもんね」
そう言いつつ、恵真は紅茶を氷のグラスに注ぎ、アイスティーを作る。
熱い紅茶が氷をびっしり詰めたグラスに流れ、ぱきぱきと氷が割れる小さな音を立てる。マドラーでからからと混ぜ、アイスティーの完成だ。
「あ、ハチミツはどのくらい入れますか? バートさん」
「……トーノ様、気付いていないかもしれないっすけど、今現在、トーノ様がこの問題に巻き込まれてるんすよ?」
「え! 私ですか⁉ そんなの無理ですよ!」
アイスティーを入れていた恵真は突然、自分に降りかかった依頼にぶんぶんと首を振る。
領主代行であるエリックとも面識がない上、黒髪黒目である恵真は王都の貴族達の目に触れることは避けたい。
そんな恵真の言葉を肯定するようにリアムが口を開く。
「エリック殿の家にトーノ様が行かれるわけにはいきません」
「そ、そうだよな。その問題があるもんなぁ」
リアムの言葉にセドリックも慌てて賛同する。
恵真の料理の腕を信じていないわけではないが、もし貴族に不興を買えば、面倒なことになるのはわかりきったことである。
しかし、ジョージもなかなか引き下がらない。
「なにか一品、そうだな。案だけでもいいんだ」
「案だけですか? 本当に?」
恵真の問いかけにジョージはすぐに飛びつく。
「案を参考に作り上げる予定だ。それなら、お前さんの姿も知られることがないだろう?」
「うーん、たしかにそうですね」
恵真がそう答えたと同時にジョージがぽんと手を打つ。
リアムとバートがしまったという表情を浮かべる。
恵真はただジョージの意見に同意しただけだが、彼がそのチャンスを逃すことはないだろう。
案の定、ジョージの大きな声が喫茶エニシに響く。
「よし、決まりだ! いやぁ、助かったよ。なにせ王都の貴族達だ。なにかあったら問題だからなぁ! よし、俺はこの辺りで帰るぞ!」
「あ! ちょっと待ってください! ジョージさん⁉ お金も多いじゃないですか!」
テーブルに残された袋の中にはコインがびっしりと入っている。
紅茶を一杯飲んだだけにしては十分すぎるほどのコインをテーブルの上に残して、ジョージは入り口のドアの前で立ち止まる。
「俺なりの礼だな。受け取ってくれ! じゃあな」
そう言うとジョージは背を向けて、ドアの向こうへと去っていく。
その背中に恵真が手を伸ばすが、当然、ジョージに届くことはない。
「引き受けるなんて、まだ一言も……あぁ」
後に残された多めのコインは依頼への礼も含まれているのだろう。
ずっしりと重いコインの袋を持った恵真は深いため息を溢す。
「そもそも、美食家の方ってどんな方なんでしょうね」
外からの日差しはレースのカーテンで和らげられ、店内に差し込む。
窓際でエアコンの恩恵を受けるクロはすやすやと眠りを楽しむのであった。
*****
王都のロジャース伯爵家では当主であるディビットが紅茶を飲みながら、窓の外の青い空を見る。今日の彼は機嫌がいい。数か所の街での会食が決まっているからである。
活気のある王都も悪くはない。だが、人と関わることを好む彼は他の街へ出向くことも好むのだ。
「まだ行ったことのない土地でどんな料理が僕らを待つんだろう。ねぇ、ロージー、楽しみだね」
「全然、私は楽しみじゃないわ」
優しい父の言葉に娘のロージーは素っ気なく答える。
そんな娘にくすりと笑う父ディビット、ますますロージーは不機嫌になる。
父ディビットは社交界では貴婦人にも人気だ。
洗練された雰囲気に物腰の柔らかさ、美食家としても名を馳せるディビットが注目を集めるのは無理もないことである。
今回、声をかけられたのにもそんな彼の華やかで人好きのする人間性からであろう。
「流行っていうのはね、人の多い場所から生まれるものなのよ? つまりは王都! 私は離れたくはないわ」
「お父様と離れる方がもっと辛いだろう?」
「……そういう冗談は好きじゃないわ」
十代の娘のきっぱりとした言葉にディビットは肩を竦める。
この強気な態度もゆるやかにカールした髪も彼の妻であり、彼女の母によく似ている。だが、一点異なることがある。
「君のお母さんは旅行が好きでね、僕達は様々な場所に行ったよ。各地の名産や風習にも彼女は興味を持っていたんだ」
「……そう」
少し和らいだロージーの声にディビットはかすかに口元を緩める。
母がいない寂しさを娘に感じさせないことは無理であろう。ならばせめて、父娘の時間を増やしたいのだが、最近はどうにも上手く会話が出来ないのだ。
それを娘の成長と受け止めつつも、微妙な距離感がもどかしい。
「美食家と皆が評価する僕だ。きっと美味しいものが食べられるはずだよ」
「それはまぁ、楽しみだけれど」
娘を頼むというようにメイドに視線を送れば、控えていた彼女が礼をする。
王都しか知らない娘だが、見知らぬ土地に行けばその良さもきっとわかるだろう。
見知らぬ土地には当然、娘であるロージーの知らない人々、まだ見ぬ物が溢れているはずだ。まだ不服そうな娘に軽く微笑むとディヴィットは白い歯を見せる。
「さてさて、これから向かう街ではどんな味覚が私を楽しませてくれるのだろうね」
窓の外には青い空が広がる。じりじりと焼きつけるような日差しが強い外を見て、ロージーはうんざりした表情になるのだった。
梅雨明けした地域もありますね。
本格的な夏が近付いてきました。
水分・塩分補給をぜひ。




