198話 薬草研究と新たな発見
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五月に入り、日差しも強くなった。
庭に植えたバジルも生育旺盛に茂っている。カゴを持ち、新鮮なバジルを収穫する恵真はその様子にわくわくと胸躍らせる。
香りを吸い込むと爽やかな独特の匂いに何を作ろうかと楽しみになるのだ。
「さっそく、明日のバゲットサンドで使ってみようかな。それとも、今日の晩御飯でもう使ってみようかな」
「あら、今日は天ぷらにしようかと思ってたのよ? 春人参を千切りにしてかき揚げにしてもいいし、新玉ねぎでもいいわよねぇ」
まだ朝の段階だというのに、恵真も祖母の瑠璃子も夕食の算段をし始める。それくらい二人は料理も食事も好きなのだろう。
そんな二人がラディッシュやバジルを摘み取っていく中、黒猫のクロは虫を追いかけ、ぴょんぴょんと走り回る。
マルティアではその深い緑の瞳から、魔獣と見做されるクロだが、恵真の前では可愛い猫である。飛び跳ねる虫とクロに恵真はくすりと笑う。
「そうそう、天ぷらといえばね、最近は食べ合わせを気にしなくなったわねって梅ちゃんと話してたのよ」
「岩間さんと? あぁ、このあいだ、食事に行ったものね」
梅ちゃんことお隣の岩間さんは祖母の瑠璃子と親しい。恵真のことも子どもの頃から知っており、今もよく声をかけてくれるのだ。
「そう、お昼にお蕎麦屋さんに入ったの。で、天ぷら定食を食べてる人がいたんだけど、昔は食べ合わせでお冷やと天ぷらはダメ! なんて言われてたのよ」
「お冷や……あぁ、冷たいお水のことね。たしかに天ぷらと冷たいお水、あと梅干しとうなぎ、なんて昔は言ったらしいもんね」
恵真の言葉に瑠璃子は頷く。今となってはあまり根拠がないように思えるそれらの言葉も、瑠璃子が子どもの頃は信じられていたものだ。
現在では食事のバランスを気にすることはあれど、食べ合わせなどは気に留めることはないだろう。
「食事の習慣や考えも時代によって変化するものなんだわって、実感しちゃったわ」
「ふふ、食事は毎日のことだし、自然と受け入れていくから変化に気付かないものなのかもね」
そう言いつつ、恵真が思い浮かべるのはマルティアの人々のことだ。
マルティアの食事にも少しずつ変化が生まれている。豆や野菜への認識、余り肉への評価など、恵真自身が工夫を凝らしたこともある。
食事は日々のものであり、心身の健康にも直結するものだ。マルティアの地に住み人々、そして喫茶エニシに訪れる人々により良いものを提供したい。青く広がる空を見上げ、恵真はそんなことを思うのであった。
*****
喫茶エニシの営業前に、アッシャーとテオは店頭でバゲットサンドを販売する。これを目当てに集まる人も多く、毎回バゲットサンドは完売するのだ。
今日はそんな列の先頭に兄弟もよく知る男が立っている。
「今日の薬草サンドはまた素晴らしいものだね! 青々とした薬草、その鮮度が確かなものだと僕の薬師としての感覚に訴えてくるよ!」
薬師ギルドの中央支部長サイモンである。恵真を薬草の女神と慕う彼は、マルティアの街の薬師ギルドに居座っており、こうして喫茶エニシに頻繁に足を運ぶのだ。
薬草の鮮度に興奮しているサイモンを横に、アッシャーもテオもてきぱきとバゲットサンドを並んでいる客達に販売していく。
少々風変わりなサイモンではあるが、紳士的で無害であると兄弟は認識しているのだ。
本日分のバゲットサンドも無事、販売し終わり、アッシャーとテオがふぅと息を吐く。次は店内での仕事だと、片付け始めるとテオがこちらへと近付いてくる人物に気が付く。
「あ、リリアさんだ。どうしたの? こんな朝早く」
パン屋の娘、リリアがこちらへと歩いてくるのだが、その表情は今まで見たことがない程、暗いものだ。なにか瓶らしきものをぎゅっと抱えたまま、ふらふらとリリアはこちらへと向かってくる。
テオとアッシャーは顔を見合わせ、不思議に思う。いつも喫茶エニシで会うリリアは憧れの恵真に会える嬉しさで表情が明るいのだ。
彼女のこんな表情は今まで見たことがない。
「……しまいました」
「え?」
なにか小さく呟く声が聞こえ、アッシャーが聞き返す。
「私は、私は罪を犯してしまったんです!!」
崩れるようにしゃがみ込むリリアの様子に、アッシャーやテオはもちろん、道を歩く人々までも彼女に視線を向ける。
「ふむ、とりあえずは店内で話を聞いてはどうだい?」
突然のことに目を丸くする兄弟に、サイモンが声をかける。
真っ当な大人としての意見にすぐアッシャーとテオはリリアに駆け寄ると、店内に入るように促す。
「さて、今日はどんな薬草料理を女神は提供してくださるんだろうね……!」
リリアに手を差し出しつつ、嬉しそうにサイモンは呟く。
薬草以外のことに関しては至極真っ当なことを考える紳士と共に、リリア達は喫茶エニシのドアを開けるのだった。
*****
爽やかな晴天が広がる外と異なり、喫茶エニシの店内はどんよりとした重い空気に包まれている。
いつも穏やかでどこかのんびりとした空気が流れるこの店には、なかなかないことにアッシャーとテオは困惑した表情を浮かべた。
重い空気の原因には落ち込むリリア、そして先程までにこやかであったサイモンまでもが、かなり落ち込んでしまったことにあるのだ。
「えっと……お二人とも、そんなに気になさらないでください。また作ればいいことですし、リリアちゃんに詳しく話しておかなかった私の責任もありますから!」
二人が落ち込んでいる理由は、リリアが持ってきた瓶にある。
以前、恵真がリリアに託したバジルオイル。これは祖母に裏庭のドアと喫茶エニシの事情を話す前に、リリアへと渡したものだ。
もし、マルティアに戻って来れなかった場合を考慮して託したのだが、それ以降、リリアに渡したままになっていたのだ。
当然、それから月日は流れ、中身は完全に使えぬものとなっている。
「本当に、本当に大事に守ってきたんですけど……」
「そ、それは違うよ、リリアちゃん! 私も皆に再会できた安心感で、リリアちゃんに渡したままにしちゃったから……本当にごめんなさい!」
しょんぼりとしたリリアに、恵真は慌てる。自分の都合で預かっていたものであり、恵真自身は返してもらい忘れたものだ。恵真の落ち度でもあるにもかかわらず、リリアは自分を責めてしまったらしい。
「もう一回、チャンスをくれませんか⁉ 私、今度こそ、守ります!」
「リリアちゃん……」
リリアの言葉に恵真は困った表情を浮かべる。
薬草を渡しておくことが、リリアの負担になることは恵真にとっても本意ではないのだ。なんと返事をすべきか、恵真が考えていると、それまで黙りこんでいたサイモンが顔を上げる。
「女神、私は最近、思うことがあるのです」
「……なんでしょう?」
めずらしく真剣な面持ちのサイモンに、恵真だけではなくリリアやアッシャー達も彼をじっと見つめる。
「今まで、このような鮮度の良い薬草を入手することは困難でした。しかし、今でも薬草を求める人々はマルティア、いえ、この世界に多くいるのです。そんな中、薬師として女神からの安定した供給に甘えていていいのかと」
サイモンの言葉に、恵真は答えに詰まる。
裏庭のドアがマルティアに続いている限り、恵真は薬草を供給するつもりであった。だが、祖母が帰ってきたときに感じたことであるが、この関係性が崩れたときに、薬草を必要とする人々が窮地に立たされることも考えられる。
薬師らしいサイモンの視点に、隣のリリアが賛同する。
「わかります! エマ様のご厚意に甘えていてはいけませんよね!」
「えぇ、そうなのです。女神のご負担を考えるとそこに甘えてはいけない」
「もっと自分達で創意工夫していく必要がありますね……」
恵真が答えに迷う間に、サイモンとリリアは二人でどんどん意見を合わせていく。
アッシャーとテオは二人の盛り上がりにきょとんとした表情を浮かべ、恵真はサイモンとリリアの情熱に圧倒されてしまう。
興味がないのか、クロはソファーの上でくわっとあくびをする。
まだまだ開店したばかりだというのに、今日は賑やかな喫茶エニシであった。
「なるほど、そんなことがあったのか」
恵真達からリリアとサイモンの話を聞いて、ナタリアは楽し気に笑う。
ナタリアからすると、恵真を慕うリリアとサイモンは意気投合するのもわからない話ではない。
バゲットサンドを冒険者ギルドに届けてきたナタリアが、恵真にカゴを手渡そうとする。
「――っ!」
「ナタリアさん?」
受け取ろうとした瞬間、ナタリアが右肩をびくりと上げる。
「大丈夫ですか? あ、薬草には鎮痛の効果がありますし、なにか召し上がりますか?」
恵真の言葉にナタリアは首を振る。
「大したことはないんだ。冒険者に怪我は付き物だからな」
「そうですか……? でも、無理はしないでくださいね」
「あぁ、エマは心配性だな。そんなことより、リリアだ。ああ見えて、なかなか意志が強い。なにかあったら手伝ってやってくれ」
そう言って笑うと、ナタリアは喫茶エニシを後にする。
「薬草のこと、どうするのが一番いいのかなぁ……」
「んにゃう」
恵真の小さな呟きに、返事をするクロ。少し気が紛れた恵真は、その小さな頭を優しく撫でるのだった。
『裏庭のドア』二巻が発売されました!
帯の裏にはコミカライズのご報告があるんです。
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