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《1/15 小説3巻・コミカライズ1巻発売!》裏庭のドア、異世界に繋がる ~異世界で趣味だった料理を仕事にしてみます~  作者: 芽生


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197話 聖女候補と黒髪の聖女 3

いつも読んでくださり、ありがとうございます。

楽しんで頂けますように。


 温かな紅茶がソファーの前のローテーブルに置かれる。

 少し落ち着いたメアリーはそっと部屋を見回し、ひゅっと息を呑む。

 小さく黒い動物がいたのだが、その瞳は深い緑色をしている。これは魔獣の証、目の前の黒髪黒目の女性はやはり聖女なのだとメアリーは確信する。


「どうぞ、お二人とも召し上がってください」

「いえ……私は……」

「外で待たれている方には、そろそろ入って頂きますか? その方の分もご用意できますが……」


 用意された紅茶は二人分、使用人の女性の分も彼女は用意してくれたのだ。それだけではなく、彼女は紅茶のことに触れつつ、護衛のことも気遣う。

 身分など彼女の前では些末なことなのだとメアリーは悟る。そう、古の女神、聖女の逸話の中にもそのような記載があったのだ。


「――いえ、彼にはそこで護衛をして貰うつもりです。聖女様、お気遣いありがとうございます」


 そう言うとメアリーは目の前の黒髪黒目の女性を見つめる。

 艶やかな黒髪と優し気な黒い瞳、特別な存在であるはずの彼女がどうしてこの店にいるのかメアリーにはわからない。

 だが、こうして出会えたことこそが巡りあわせなのだとメアリーは思う。


「聖女様、私の悩みをどうか聞いてください」

 

 一瞬、目を軽く見開いた黒髪黒目の女性は慈愛に満ちた表情で微笑む。

 なにも言わず、もう大丈夫だと言うかのように、こちらを見つめて優しく頷くその姿にメアリーの目は再び潤むのだった。



*****



「……私は聖女候補に選ばれ、今回の花祭りで聖女となる予定です。その、本物の聖女様を前におこがましいことなのですが……」


 聖女候補だと打ち明けた少女にお付きの女性は慌てた様子だが、アメリア達も驚く。貴族のご令嬢だとは思っていたが、聖女候補である侯爵令嬢とは流石に想像を超えている。

 恵真はただ少女を見つめ、次の言葉を待った。


「ですが、私は自身が秀でていることなどないと感じているのです。聖女にふさわしい方はもっと他にいるのではないかと……! 爵位ではヴァイオレット様がふさわしいでしょう。才覚ではシャーロット様が、もうお一人の公爵令嬢様もいらっしゃいます。本当に私で良いのかと不安で過ごす日々なのです」


 今まで抱えてきた葛藤を一気に言葉にすると、少女は目を伏せる。

 彼女の悩みになんと答えるのだろうと、アメリアとリリアは恵真を見つめた。


「ヴァイオレットさまって、あの迷子の子だよね」

「テオ、ダメだ。お客様の情報は勝手に言うべきじゃない」


 アッシャーの言葉にテオは反省したように肩を竦めるが、メアリーと使用人の女性は驚く。

 公爵令嬢であるヴァイオレットもここに訪れていたのだ。やはりこの店、そして目の前の女性は特別な存在なのだろうと二人は思う。

 ヴァイオレットは以前、迷子でこの店を訪れただけである。確かに彼女の日々にも恵真は影響を与えたが、まだ幼い子どもの悩みを放っておけなかった。恵真の気性ゆえのことであった。


「私は遠野恵真です。お名前を伺ってもいいですか?」

「わ、私はメアリー、メアリーと申します」


 震える声で名乗る少女に恵真は問いかける。


「――あなたは聖女という存在をどう思っているんでしょう」


 恵真がそう問いかけたのは、少女の話から聖女に対し、彼女が特別な思いを抱いていると感じたからだ。

 リアム達の話では、聖女になることが名誉であるとのことであった。ならば、自身が聖女に選ばれたことを喜ぶはずだ。

 しかし、目の前の少女は自分がふさわしくないと悩み、苦しんでいる。

 


「わ、私の憧れです! 私も多くの人のために祈り、尽くしたいと考えております!」


 少女の言葉に恵真は微笑み、頷く。

 やはり、少女は聖女を特別な存在だと信じ、敬愛しているのだ。

 荷が重く感じるのは、その地位の価値を少女自身が重んじているからに他ならない。そう恵真には思える。

 

「――私は聖女という存在を未だよく知りません」


 恵真が口にした言葉にハッとしたように少女は固まる。

 黒髪黒目であり、深い緑色の瞳の魔獣を従え、メアリーが今まで見たことのない魔道具に囲まれている彼女は間違いなく聖女であろう。

 そんな存在なのにもかかわらず、まだ聖女という在り方を完全には理解出来ないと謙虚な言葉を口にする。


「きっと大事なのはあなたが誰のためになにをしたいか、なのではないでしょうか」

「誰のためになにをしたいか――」


 裏庭のドアの存在もあるが、アッシャーとテオと出会い、好きなことを思いだした恵真の日々は一変した。きっと目の前の少女も迷い、悩みつつも自分も道を見つけ出すはずだと恵真は思う。

 一方、聖女であるか、聖女でない道かを考えていた少女にとっては大きな衝撃だ。

 立場や身分ではなく、なにをするかが自分自身を示す――侯爵令嬢として生まれ育ち、聖女候補となった自分になかった視点である。

 沸いた湯を止めにキッチンへかけていく恵真、その後姿をメアリーは尊敬と憧れの入り混じった瞳で見つめるのだった。



「実はさっき出したケーキ以外にも作ってみたお菓子があるんです!」


 どこか嬉しそうな様子で恵真が持って来たトレイの上には、ガラスの皿に入った美しい菓子がある。紅茶と共に、皆にその菓子の入った皿を恵真が用意していくと、慌ててアッシャーがフォークを取りに行く。その姿にテオまでもその後を追う。

 アッシャーとテオも座っていても構わないのだが、恵真は声をかけなかった。張り切る二人の姿が微笑ましく感じたのだ。

 

「こりゃ、綺麗な菓子だねぇ。初めて見たよ」

「カッサータっていうんです。他の国の歴史があるお菓子なんですが、最近それをアレンジしたものが人気なんです」


 カッサータはイタリアの伝統菓子である。リコッタチーズにハチミツやドライフルーツ、スポンジケーキを混ぜ、加えて固めた菓子だ。

 本来はそれをマジパンで固め、砂糖漬けのチェリーなどを飾るのだが、日本で知られているのは冷蔵庫で冷やしたシンプルなものである。

 

「皆さん、紅茶と一緒に召し上がってくださいね」


 メアリーはそっとフォークを取るとカッサータを一口食べる。

 冷たいカッサータが溶け、チーズの風味とハチミツの甘みが口の中に広がっていく。


「……美味しい」


 さっぱりと優しいチーズにドライフルーツの酸味と甘さがよく合う。トルートも使われているのだろう。メアリーもよく知る酸味は食欲が増す。

 時間をかけて作られたドライフルーツ、スポンジ生地には卵を使っていることだろう。それらをぎゅっと詰めて、魔道具でひんやりと冷やしたカッサータはなんと贅沢で美しい菓子なのだろうとメアリーは思う。

 ふと、目を皿から人々に戻すと、皆が同じようにカッサータを食べて、笑顔を浮かべている。


「身分や立場など、聖女様の前では意味がないのね……」


 この店の中では身分の区別なく、皆が食事を楽しめる――目の前に広がる光景は聖女である恵真の教えなのだろう。

 言葉ではなく、態度と行動で、恵真は聖女としての本質をメアリーに伝えようとしているのだ。

 こちらの視線に気付いた恵真は微笑む。


「その昔、カッサータ作りに修道女の人々が集中し過ぎて、職務がおろそかになると禁止されたこともあるそうなんですよ」

「え! それでその方々はどうなさったんですか」

「こうして伝わっているということは、そういうことです」


 くすっと恵真が笑うとアメリア達も笑いだす。

 

「そりゃ、その人らに感謝しなけりゃね。こうしてあたしらがこの味を堪能できるのはそのおかげだよ」

「たしかにこの美味しさは我慢できないわよね、ナタリア」

「うむ、従順に従わなかったおかげだな」


 皆は笑い、カッサータの味を楽しむが、メアリーの表情はきりりと引き締まる。

 恵真との時間の中で、彼女の中の聖女としての思いは定まっていく。

 自分とは立場の異なる人々が共に笑い、共に食べるその姿をメアリーは忘れないようにと自分の心に刻むのだった。



 迎えの馬車が来て、メアリーは帰途に就く。

 父には叱られることだろう。しかし、今日見たこと、学んだことはなによりも価値あることだとメアリーは思う。


「――私、聖女になる覚悟が出来たわ」


 使用人の女性はじっとメアリーの横顔を見つめる。

 短い時間であるにもかかわらず、先程より大人びた表情のメアリーがそこにいた。

 

「でも、今までの聖女のようにお飾りでは終わらないわ」

「お、お嬢様、そのようなことを口になさってはいけません!」


 たしなめられたメアリーだが、その瞳はまっすぐ前を見つめ、揺らぐことはない。

 メアリーの中の確かな決意がそれに現れているかのようだ。


「聖女として利用されるだけじゃない。その地位を利用して、人々に還元するのよ。私に特別な力なんてない。でも、私は市井の人のために力を使いたい」


 落ちていく陽がメアリーの顔に影を作る。神々しいものを見つめるような思いで使用人の女性はメアリーを見つめる。

 黒髪黒目の女性と運命的な出会いをして、メアリーは変わった。恵真という女性、彼女の言葉や姿勢はメアリーが想い描いていた聖女の在り方だったのだ。

 そんなメアリーにこれから数々の困難が待ち受けているだろうことは容易に想像できる。教会側が求めているのは形としての聖女、ただの飾りなのだから。

 彼女の傍で支えたい――女性もまた決意を固めるのだった。




 近年、名を残した聖女と言えば、エドワード侯爵家のメアリー嬢を皆、思い浮かべるだろう。それまでただ神事に参加するだけであった聖女だが、彼女は違う。

 市井の人々と触れ合い、彼らの悩みに寄り添おうと自ら慰問に赴き、共に悩み、活路を見出したのだ。

 その行いや姿勢に彼女の中に、古の聖女達を重ねる者も少なくはなかった。

 彼女を象徴する出来事に、食事を貴族以外とも摂ったということがある。

 聖女であり、高位貴族であるメアリーの立場ではありえないことだ。

 寛容で公平な彼女に教会の内部では反発もあったが、動じることはなかったという。


「貴族であろうと聖女であろうと、私は私。自らが信じ、求めることをするのだと聖女様が教えてくださったのです」


 ここ数年、彼女以前の聖女がそのような崇高な信念を持っていただろうかと、人々は不思議に思ったことだろう。メアリーの前に、古の聖女が顕現したのだろうと推測する者もいたくらいだ。

 彼女の言う聖女が誰であるのかは謎の一つである。


 侯爵令嬢メアリーが影響を受けた黒髪の聖女は、今日も喫茶エニシで腕を振るう。

 

 


今日から違うお話も更新し始めました。

『全属性の付与師ミラ ~そして少女は今日も願う~』です。2週間は毎日更新です!

『裏庭のドア、異世界に繋がる』2巻は15日に発売します。どうぞ楽しんで頂けますように。



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― 新着の感想 ―
こうやってその人物が将来どうなったか垣間見えるところがいいですよね。ほっこりします。良かったね、メアリーさん。
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